理不尽な悪魔が酷すぎる!(1)【漫画原作部門・創作大賞応募作】
<あらすじ>
間宮 碧(16歳)は、祖父が残した古書店で猫の姿をした悪魔と出会う。
知らずに交わしてしまった契約が、実は猶予3日の死の宣告であることを知った。
この契約の運命を断ち切る手段とは?
碧の窮地な状況が、兄の翠の機転によってひっくり返る展開に加え、実は碧がとった【ある行動】が、生き残る為に最も重要な鍵となっていた事が判明する。
そして祖父の日記帳が見つかり、そこに書かれていた内容とは……?
『過去と現在を繋ぐ2つの願い事が、切なくも温かい結末へと僕らを導いてくれた』
<補足>
第1話
この田舎町にある間宮古書店は、亡くなった祖父のお店だ。
僕は祖父の定位置だったレジ前の椅子に座り、ぼんやりと店内を眺める。
天井まで備え付けられた書棚が細い通路の壁際に並び、そこには沢山の古書と、隙間にランタンが並べられている。ランタンといっても、炎を模した間接照明なので燃える心配はなく、その淡い光が狭い店内を優しく照らしていた。
「じーちゃん、ごめんな」
僕は小さくつぶやく。
祖父がこの世を去ってから一年。家族に古書の知識がなく、遂に明日ここを手放すことになっていた。
『碧! 一緒に本を読もう』
祖父は僕にも読書好きになって欲しかったようだけど、むしろ活字を見ると眠くなるタイプに育ってしまった。少しでも賢そうに見えればと思い伊達メガネを掛けているけれど、賢そうに見られた事はない。
歳の離れた七歳上の兄の翠は、僕と違い頭脳明晰で読書好きだ。でも、今は東京の一流企業に就職しているので、ここを引き継ぐ訳にはいかないようだった。
「翠も今日来るって言ってたのに、遅いな」
スマホを取り出し『いつ着く〜?』とメッセージを入れる。
ここに一人でいると何をしていいのか手持ち無沙汰になり、僕は机に平積みされた古書を一冊手に取りページを捲った。
目元に少しかかる長めの前髪をいじりながら、文章に目を通してみる。けれど、やはり活字は苦手だと再認識するばかりで、僕は欠伸をしながら山積みされた古書の一番上に本を戻した。
その時、更に高く積まれた隣の古書の山から、一枚の古い紙切れが舞い落ちてきたのだ。
「ん?」
その紙には、文字なのかよく分からない何かが羅列されている。
何だ、これ?
僕はそれに手を伸ばす。紙を拾い上げようと触れた瞬間、その手触りに僕は驚愕の声を上げていた。
「うわっ!」
それは確かに紙のはずなのに、まるで何か動物にでも触れているような感触がしたのだ。モフモフの動物を撫でた時に伝わる、滑らかなあの手触りだ。不思議に思い何度も紙の上で手を滑らせていると、不意に尖った端の部分で指を切ってしまった。
「痛っ」
すぐに赤い線がスッと指に浮かび上がる。予想より深く切ってしまったのか、そこから溢れた僕の血液がその紙の上へ一雫つたい落ちるのが見えた。
「あ……」
しかし、その紙が血で汚れる事はなく、まるで僕の血液をゴクリと飲むかのように吸収されていく。わずか数秒で、僕の血は跡形もなく消えていた。
「え? え……。な、何だよ。これ!」
恐怖を覚え、僕は思わず紙を放り投げた。
すると、重力に逆らうように天井へ向けて高く浮かび上がった古紙が、白い煙と共にその形を変えたのだ。
旧型のレジが置かれたアンティーク机の上に、一匹の黒猫がしなやかに着地する。
「うわっ! 猫? え? 紙が…………猫!」
その上よく見ると黒猫の背にはとても小さな翼のようなものまでついている。完全にパニック状態となった僕に追い討ちをかけるように、更なる衝撃が襲った。
「俺を呼んだのはお前か?」
しゃ、喋った……!
小さな体の見た目からは想像もできないような低音の渋い声で猫が喋った。そこで僕の混乱はピークに達し、思考が完全停止する。
ピィイイーーー。
火にかけたヤカンの水が沸騰した時に鳴るあの高音に似た、限界を告げる汽笛が僕の脳内で鳴り響く。
「おい、お前。聞いているのか」
ピィイイーーー。
フリーズし続ける僕に痺れを切らしたのか、黒猫が僕の手に触れた。肉球のぷにっとした感触が伝わり、僕の思考がようやく回り始める。
あ、この愛すべき感触。猫だ、喋るけど猫だ。ちょっと喋るだけで、大好きな猫じゃん!
猫好きで異常にポジティブな僕の思考が、とりあえず現れたのが猫でよかったのではないかという楽観視への道を進み始める。
もしこれが虎や狼の姿だったなら、恐怖でもっと酷いパニックになっていたはずだ。
「俺を呼んだのはお前か?」
「……呼んでませんけど」
問いに答えると、猫の眉間に皺が寄った。
「どういう事だ?」
そんな事を聞かれても、むしろ僕がそれを聞きたい。なぜ急に現れ、なぜそんなに横柄な物言いなのか。厚みのある低音の声と小さな黒猫の可愛い姿があまりにも不釣り合いで脳がバグりそうになる。
「お前が俺と血の契約をしたのだろう?」
契約という言葉に全く心当たりは無かったけれど、『血』の方には不本意ながら身に覚えがあった。
「それって、もしかして……」
まだ血の滲む右手の人差し指を見せると、ご立腹な黒猫は今度は呆れたように大きな溜息を吐いた。
「え? や、やっぱり、これのせいなの?」
遠慮がちに訪ねると、僕の問いに答えるように、黒猫がゆっくりと語り始める。
彼は魔界最強の悪魔で、名をリヴというらしい。
人間の血液を吸収する事で、その人物と血の契約を交わすという。その内容が、契約者の願い事をなんでも一つ叶えるというものだった。
「魔界最強が猫で大丈夫なのか?」
思わず魔界を案ずる心の声が出てしまい、猫……ではなく悪魔・リヴにギロリと睨まれる。予想以上に瞳に迫力があり、僕は後退りした。
「と、とにかく! 願い事を言えばいいって事だよな?」
焦って問いかけた僕の言葉に、リヴが意味ありげに目を細める。
「まあ、一応……そう言う事だ」
その様子に違和感を覚えたものの、願い事へ意識が向いていた僕は深く考える事なく願い事を告げた。
「僕の願い事は、祖父を生き返ら」
「無理だ」
え?
言葉の語尾をかき消す勢いで、僕の願い事が却下された。
「蘇生は不可だ」
「なんでも一つ叶えるって言った癖に!」
咎めるように反論すると、リヴがお座りの姿勢からゆっくりと立ち上がった。そして、獲物を捕らえる寸前の肉食獣のような獰猛な瞳でまた睨まれる。
姿はあくまで猫だが、並々ならぬ迫力がある。理不尽にも、僕を狩る気満々の目をしていた。
「あー、あのぉ……。よかったら、コロッケ食います?」
コロッケで悪魔の機嫌がとれるのかは不明だけれど、とりあえず怒りを沈めてもらう為に僕は自分の好物を差し出すことにした。
この田舎町でたった一店舗しかない、駅前のコンビニで買ってきたコロッケだ。
「頂こう」
意外にもすんなり食べるらしく、コロッケを袋から出し机に置くと、カラッと揚がった衣に齧りついたリヴが、サクサクと良い音を響かせた。
「……コロッケ好きなんだ」
「いや」
その食い付きの良さで否定されてもと、そう声に出して突っ込みたくなるほど、リヴは美味しそうにコロッケを食べている。
「俺は今、お前と血の契約中だからだ」
話を聞くと、契約中はなぜか相手の好物が食べたくなるようだ。
コロッケを食べ終え、満足そうに伸びをしたリヴが、「では、食い物の礼に情報をやろう。契約はギブ&テイクだからな」と、意味深な視線をこちらに向けた。
「まずはじめに、願い事の代償として、願いを叶えた後にお前の心臓を頂く」
「……は?」
今更のとんでもない発言に呆然となる。
心臓とは、この心臓のことだろうかと左胸を押さえて考えた。しかしどれだけ考え直してみても、これ以外に思いつくものはない。
それはつまり、死ぬと言うことだ。
「願い事を決めるための猶予は三日。そして、心臓を渡さないという願いは無効となる。更に、三日以内に何も願わなかった場合でも、きっちり心臓は頂く。そして最後に、俺の命を奪おうとする行為はペナルティとなり、行動を起こした瞬間に心臓を没収する」
「え? え、え、えぇ?」
次から次へと、とんでもない条件ばかりが加算されていく。
「ちょ、ちょっと! ちょっと待って!」
願い事を一つ叶える。それだけなら、なんの問題もなかった。突然、猫が現れようが、その猫の態度が横柄だろうが、実は悪魔だろうが。願い事をするだけでいいと思っていたので、こんな非現実的な事態であろうとまだ落ち着いていられたのだ。
それなのに、なんだよその条件!
「それって、願ってもアウト。願わなくてもアウトって事だろ? どうしたって僕は、死ぬことになるのか?」
縋るようにリヴを見る。
「悪魔が見返りもなく人助けするはずが無いだろう。俺とお前は血の契約を交わした。その時点で、これは運命と同義になる。ちなみに過去の契約者達はみな、例外なく死を迎えている」
「そんなっ! ……嘘だろ」
僕は脱力して椅子の背もたれに寄り掛かった。
「こうして、古から人の命を奪い続けてきた。誰よりも長く、誰よりも多く。これが、俺が魔界最強と呼ばれる由縁だ」
そう言ったリヴが、ほんの一瞬何かに絶望しているような表情に見えて、僕の頭の中が余計に混乱する。しかし今の僕に、リヴの表情をいつまでも気にしている余裕は無かった。
『過去の契約者達はみな、例外なく死を迎えている』
先程の言葉を思い出すだけで、自然と恐怖で体が震える。
「どうしよう」
与えられた猶予は三日。
それまでに、生きる為の願い事を見つけなければいけない。
僕がいくら楽観的な男とはいえ、さすがに今まで通りのお気楽思考で「なんとかなる!」とは思えなかった。
そんな絶望感の中で、僕のパーカーのポケットが小さく振動し始める。スマートフォンを手にとると、兄の翠からの返信だった。
『五分以内に着くよ』
簡素な一文だけれど、それを見ただけで重かった僕の心が一気に軽くなる。
「翠!」
僕がたった一人でこの状況をなんとかできる訳がない。しかし僕よりずっと頭の良い翠なら、何か良い方法を見つけてくれるような気がする。高校の成績もそこそこだった自分とは違い、翠は学年でも常にトップだった。
『待ってる!!!!!!』
ビックリマークの数に待ちわびているという感情を込めて、ハイテンションに返信する。それに対する翠のリアクションは何もなかったけれど、メッセージに既読マークがついたので見てはくれているようだ。
どちらかというとテンションの高い僕と違い、兄の翠は昔からテンションが低い。
それは根暗という訳ではなく、翠が必要最低限の動作と言葉の省エネモードで過ごしているからだ。
大学・就職と東京で一人暮らしをしている翠とはしばらく会えていなかったが、相変わらずこの性格は変わっていないようだ。
兄が来たらまず何から説明すればいいのかと、僕はスマートフォンを握り締めて考える。
ーー落ち着け。
脈打つ心臓を説得するように、僕はそう心で呟いた。
その時、遠くで砂利道を歩く足音が聞こえ、小さかったそれが、徐々に大きくなりこちらへと近づいてくる。
僕は一目散に古書店の扉を開け、ゆっくりと歩いてくる兄に向かって大きく手を振ったのだった。
*
「翠、久しぶり! 元気だった? あれ? また身長、高くなってる?」
男性の平均身長より少し高い僕もスタイルには自信はあったけれど、翠は更に高く百八十センチ以上ある。柔らかなウェーブの髪はパーマではなく癖毛で、見事な『無造作感』を醸し出していた。
直毛の僕はこの無造作ウェーブというものに憧れて、色々とセットに奮闘してみたけれど、結局うまく出来ずそのまま前髪を下ろしている。
「その猫、どうしたんだ?」
僕の言葉が聞こえていないのだろうか。そう思うほど見事に挨拶と質問を無視された。
昔から翠は、よく言葉を端折る。
現状で、一番重要度の高い言葉から選んで口にするからだ。
頭の回転が早過ぎるせいか、中学生の頃はそのせいでよくクラスメートを怒らせていた。しかし高校に上る頃には、翠が家族以外の前でこの態度をとることは無くなった。
翠のことを良く思わない同級生達から、弟の僕が虐められるという事態が起ったからだ。
それ以来、翠は人前で好青年の振る舞いをするようになる。そうして、会話の残念なイケメンから、残念が取れ、ただのイケメンとなった翠はとにかくモテた。
いつもバレンタインデーに沢山のチョコを持って帰ってくる兄のことを、幼い頃から羨ましく思っていたのだ。
「猫、拾ったのか?」
「ううん。そうじゃなくて……。翠、実はこの猫、悪魔なんだ!」
「寝惚けてるだろ」
普通はそう思うであろう当然の言葉が返ってくる。
「やっぱ、そう思うよなー」
どう説明するのがいいのか頭を捻り、僕はこれ以上自分が話すよりも、悪魔であるリヴに言葉を発してもらうのが一番手っ取り早いと考えた。そして、とりあえず悪魔に紹介してみる。
「リヴ。こちらが兄の翠です」
しかし先程の翠と同様に、見事にリヴにも無視をされてしまった。
「え? なんで?」
リヴは一般的な猫のように体を丸くして寝転がり、前足で首を掻いている。
「もしかして、契約者以外の人がいると普通の猫になるとか? あんなに無駄に偉そうな口調だったのに、肝心な時に喋らないなんて、どうやって説明すればいいんだよ!」
僕が頭を抱えて叫ぶと、リヴが寝そべっていた体勢をゆっくりと起こした。
「聞こえている。そのまま愚弄を続けるなら、今すぐ喉元に噛みつくぞ」
強烈な脅し文句が飛び出し、普通なら恐怖に震えるところだけど、僕はリヴが言葉を発した事が嬉しくて笑顔で翠を振り返った。
「ほらね、聞いた? 喋っただろ! 悪魔なんだよ!」
感情があまり表に出ない翠が、珍しく驚愕の表情を浮かべている。
当然の反応だろう。
猫が喋ったのだ。
しかし、翠は不測の事態への順応速度も早いのか、すぐにいつもの感情省エネモードに戻り、スンとしたすまし顔になっていた。
「戻るの早!」
どう考えても、目の前の現実を受け入れるのが早過ぎる。楽観的な僕ですら、もう少し戸惑ったというのに……。
もちろん翠なら冷静に対処してくれるだろうと思い頼りにしているのだが、たまには兄が狼狽えている姿も見てみたいと思ってしまう。
そんな事を考えていると……。
「碧。説明!」
と、この状況に至る説明を翠に急かされた。
その一方で、
「先程の愚弄に対する謝罪はまだか!」
と、リヴまで詰め寄ってくる。
この二人、気が短いところがちょっと似てるんですけど。
説明を少し待って欲しいという意味を込めて、とりあえず兄の方を向いて愛想笑いをしてから、僕はご立腹な悪魔に先に謝罪することにした。
「なんか、ごめんなさい。……態度がでかいって、つい本音が出ちゃって」
「なんだと?」
「や、な、何でもないです!」
翠が来てくれた安心感で気が緩み、明らかに僕の失言が増えている。つい、口を滑らせてしまった。
焦って兄を見ると、残念な生き物を哀れむような目でこちらを見ていた。
その残念な生き物が、あなたの弟ですよ。
だから助けてという眼差しで訴えていると、翠が大きな溜息を吐く。
それから悪魔の方へと向き直り、丁寧なお辞儀をするように、凛とした姿勢でリヴに頭を下げた。
「弟に代わって謝罪するよ、申し訳ない。これで先程の失言に対する怒りを収めてくれないか。馬鹿な奴だけど、俺にとっては大事な弟なんだ」
翠のお手本のような素晴らしい謝罪に、リヴが納得したように目を伏せた。
この短い時間で、謝罪の良い例と悪い例が具体的に二つ揃ってしまい、悪い例が自分という現実が悲しい反面、頼りになる兄を誇らしくも思う。
昔から、省エネ対応であっても翠は優しい兄だった。本気で困っている時は必ず助けてくれる。本人の前で言った事は一度もないけれど、子供の頃からずっと、僕にとってのヒーローはテレビの中の戦士ではなく隣にいる兄だった。
「ニヤニヤしてないで、お前は早く俺に事情を説明しろ!」
呆れたような声でそう言って、翠がデコピンをしてくる。
「痛っ!」
額を抑えて痛みに耐えながら、僕は悪魔・リヴとの契約内容を慎重に思い返した。
・なんでも一つ願いが叶うこと
・その代償に心臓を奪われること
・願い事の猶予は三日であること
・心臓を渡さないという願いは無効なこと
・願わなくとも三日後に心臓を奪われること
・悪魔の命を狙う行為は禁止であること
この条件を満たした上で、死なない為の願い事を考えなければいけない。
ここにやって来てから今に至るまでの経過を、僕は頭の中で順を追って説明していく。その言葉を翠は黙って聞いていた。
僕が話し終えると、その場が少しの間静寂に包まれる。そんな沈黙の中で、うつむいていた翠がゆっくりと顔をあげた。
普段、感情があまり表に出ない翠の瞳に、まるでこの難題を楽しんでいるかのような光が見える。
僕の辿々しい説明と、その説明を聞くわずか数分の間に、翠はもう願い事の答えにたどり着いたのかもしれない。
そんな風に思うほど、翠の目は自信に満ち溢れた輝きを放っていたのだった。
→ 2話 へ
:「ヘタレな主人公がんばれよ」や「続き気になる」など、少しでも共感して頂けたら、お気軽に【スキ】してもらえると嬉しいです☺︎✨