見出し画像

日本人にアート理解は無理なのか?NHK「あさイチ」のアート鑑賞特集に違和感を持った話〜8月1日放送回レビュー

NHK朝の連続テレビ小説、通称朝ドラの後に放送される「あさイチ」は、芸人の華大のお二人と鈴木アナが朝ドラの感想や意見でお茶の間を代弁することで話題だが、内容としてはコロナウイルス対策やファッションに至るまで生活に役立つ知識をわかりやすく誰でもわかるように説明してくれるやさしい番組である。
しかし、本日8/1のアート作品の鑑賞については、少しモヤっとした感情を抱いたのは私だけだろうか?

理性の反対が感性である。
アートは感性によって評価されるものである。
アートと定義する際、この前提が先立つ。
言い換えれば、実存は本質に先立つという、
サルトル的実存主義で考えても良い。
感性で捉えられるからこそ、アートの知覚は教わるものではないのだ。
ただ、一つその感動のスイッチを入れる要因としては、制作背景や当時の時代背景、作家性がある。
このストーリーテリングが感動への道へ誘うトリガーとなり得る。
それならば、音声ガイドを借りようぜ!
でおしまいにできる。
あるいは、事前にユーチューブで作家についての解説動画や、大学などで開講される公開講義を聴講したって良いのだ。

例えば↑なんておすすめ!
しかし、アートの見方さえもテレビという大衆情報伝達ツールにて、教わるというのはいかにも日本らしい。学校教育によってとことんクリエイティビティを排除する方針の結果といって良いだろう。
今後人口が減る見込みの日本において、文化の価値や役割はますます増えることを考えられる。
この教育体制は見直しが早急に必要そうだ。

さて本題のアート作品を感じるとは何か?
それは個々人が別々に感じとるもので、再現性はなく、孤独な個人の嗜好を探るという沈黙の作業だ。
つまり、作品を通し、自分と対話するのだ。
だからこそ、似た感覚や同じ感性を持ったもの同士の交流は感動を生むのだ。
よって、アート作品のオークションは、時間や開催地、出席者、個々人によって価格が変動するし、それは作品現物というものに関してはリプロダクションできないものだからこそ、市場の外側に位置づけられる。
つまり、天才や巨匠の視座に敬服の念を抱き、教えを請うことはできても、個人の感性に強引に働きかけたり、個人に価値観を与えることは再現できないはずなのだ。
なのに、アートの見方って伝えるの変じゃない?
個人個人好きに楽しめば良いじゃん!
と私は思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?