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文系雑学③「マスメディアの歴史シリーズ⑶」【あなたは日本の新聞の歴史、知っていますか⁇】
こんにちは、かつです。
文系雑学第三弾、マスメディアの歴史、今日は、日本の新聞の歴史を概説したいと思います‼︎
私たちの生活に欠かせない情報源である新聞。その歴史を振り返ると、どのようにして現在の形になったのでしょうか❓
「(概説)日本の新聞の歴史:江戸からデジタルへ」
1.日本の新聞の起源
日本の新聞の歴史の始まりは、江戸時代以来の読売瓦版の伝統を受け継いだことにあります。
2.明治時代の幕開け:横浜毎日新聞の創刊
1870年(明治3年)、横浜で日本最初の日刊紙「横浜毎日新聞」が創刊されました。
次の表は、明治時代に創刊された主要な新聞を示しており、それぞれの新聞がどのように日本のメディアに影響を与えたのか、理解する手助けとなります。
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※ 書籍「明治時代の新聞と雑誌 (1966年) 」
(日本歴史新書)を参考にして作成。
3.初期の新聞の役割と読者層
当時の新聞は、単に情報を広めてくれるだけでなく、政治を含む時事問題について議論し、読者を巻き込んで意見を交換する場ともなりました。また、当時の新聞読者はごく限られており、発行部数も1紙で1日2000部〜3000部程度でしたが、その影響力は大きかったです。
4.自由民権運動と新聞の発展
1870年代から80年代には、東京・大阪のような大都市をはじめ、地方の中・小都市でも盛んに新聞が発行されました。これらの新聞は、自由民権運動と結びつき、政治的評論や主張を中心とした大新聞としての役割を果たしました。一方で、様々な世の中の出来事を庶民に伝える地域新聞も生まれ、情報の多様性が広がりました。
5.大新聞と地域新聞の多様性
1890年(明治23年)頃からは、大新聞と地域新聞の性格を兼ね備えて、ニュース報道を中心に、不特定多数の一般読者を対象とした全国規模の新聞も現れました。
6.20世紀の新聞発行部数の急増
20世紀に入る頃から新聞の発行部数は急増し、昭和の初めには100万部を越える新聞も現れました。
7.全国紙の確立とその影響
関東大震災後、「大阪毎日新聞」と「東京日日新聞」「大阪朝日新聞」と「東京朝日」の系列は全国紙の地位を確立しました。「東京朝日」と「東京日日新聞」、「読売新聞」は昭和の初期にそれぞれ、発行部数100万部を突破し、新聞は国民の生活に欠かせない情報源となりました。
8.戦後の新聞と民主主義の関係
新聞の発展に伴い、報道の自由や言論の多様性がテーマとなりました。特に、戦後の民主主義の確立において、新聞は市民の意見を反映し、政府の政策による監視機能を果たす役割を担いました。これにより、新聞は単なる情報提供の手段を超え、社会の健全な発展に寄与する重要な存在となったといえるでしょう。
9.現代の新聞の変化とデジタル化
デジタル化が進む現代においては、新聞の形態が変化し、オンラインメディアやソーシャルメディアとの競争が激化しています。
10.まとめ
新聞は、国内・海外の情報を伝えたり、新しい文化や生活様式を人々に広めたりする上で、重要な役割を果たしました。
締め
日本の新聞の歴史を概説しましたが、いかがだったでしょうか。この記事を読めば、新聞の進化が再確認できると思います‼︎
是非、参考にしてみて下さいね‼︎
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