冷たく非情な夜は、突然私の元にやってくる。 いっそのこと行けるところまで堕落してみようかという囁き。不健康に美化された郷愁。快に溺れよという怠惰。思考の鈍化。 これらが何を意味しているのか、私はまだ知らない。
現実がひしひしと迫ってくる。残り半年の休学期間を終えて、大学4年生を1年やったら、いよいよなんらかの職を得て生活していくことになる。あと1年半もしたら社会人になる。その厳然たる事実が、私を抽象思考の世界に誘う。 現実は具体的で鮮やかだ。その鮮やかさに耐えられない私は、これまで抽象思考に逃れてきた。抽象思考に逃げ込みさえすれば、現実を直視しなくて済むからだった。いちいち抽象的なことを懐疑して意識の俎上に載せていく。頭の中を抽象的なことで一杯にする。 キルケゴールの『死に至る
春学期の反省はなんだろうと考える。先日、反省点の一つとして、「無目的的であること、無計画的であることに囚われすぎていたところ」を挙げた。 なぜ囚われたか。自身のモチベーションの源泉にあるのは、「”没頭”や”充足感”」にあると考え、それらを手に入れるためには理性的でなくどこか直感的に、感性的に飛び込むことが必要だと結論したからである。 だからこそ予め何も決めず、心の揺れ動くままに過ごしていた。そしてそう過ごすことを目的化した。これを反省点と挙げたのは、「あなたは前進している
自分は今、大学を休学している。 形式的な事実としては、2021年度の春学期を休学している最中である。春学期は4-9月を指すので、じきにこれも終わろうとしている。 通っている大学では、半期(半年)毎に休学を申請する必要があるので、ひとつの単位としての休学期間を過ごしたことになる。 もともと1年間休学する予定でいたので、秋学期分の休学申請をこの時期に行わなくてはならないのだが、ここで問題が発生する。 申請の際に、休学計画書を提出する必要があるのだが、これが書けないのである
今まで気付かなかったけれど、こう考えると辻褄が合うことが幾つも思い浮かぶ。 歴史学も、文学も、哲学もどれも選べないくらいに好きだ。でもこれらに共通点を見出そうとしたことはなかった。これらのいずれも、人間の歴史と文化に関する学問(人文学)の一部であるということに気付かなかった。 今まで自分は、人より考える人だとそう理解していた。頻繁に哲学するのは、考える性格に由来すると思っていた。半分は合っている。 ”「人間」について”考えるのが、好きなのだと思う。今まで対象関係なく、考
そもそもなぜ人間は哲学するのだろう。 自分も哲学すると言ったら大袈裟だけど、哲学書を読むのは好きだ。 なぜなのか。色々考えてみたけど一番は、不安だからだと思う。 退屈な空虚に止まれるほど、強くない。だからこそ欲望に自分を従わせることもあるし、自己に意味を見出そうと行為することもある。 そして空虚から逃げた時、落胆し、空虚に立ち向かう時、溌溂とする。 哲学書を読むのは、空虚に立ち向かう行為の一つである。 哲学することが、空虚に立ち向かうことが、後々人生にじわじわ効い
『精神的に豊かになりたい』 私の昨年末からの願いであった。 これが言ってみれば、私にとってのアルキメデスの点かもしれない。 でも正直な話、noteを書いている途中でこのような願望を持っていたこと(今は精神的な豊かさを志向しているか分からない)に気が付いた。 精神的に豊かになりたい(精神的でありたい)と願うのにも関わらず、精神を忘却している。それほどまでに自身は懶惰な生活を送ってきたのかも知れない。
自分の思考体系を遡った、大元にある信念って何だろう? 自分にとってのアルキメデスの点って何だろう? 最近の自分は、そもそも信念を持たずに、移ろいやすい欲望や感情に流されるままに生きているという感覚がある。現時点でのアルキメデスの点は「ありのままの自分を肯定して、流れるように生きること」なのかも知れない。口先では、変化を、進歩を、望んでいるけれど、心の奥底では、現状維持を望んでいる。 今の自分を変えたいと切に願うならば、新たなアルキメデスの点を定めなくてはならない。現状維
僕は、今年の4月から大学を休学している。1年間の休学なので、今はちょうど半分くらい。 恥ずかしい話、この半年間何をしていたのかと問われても答えることができない。何も出来てないのである。むしろ今年の初めよりも後退したかもしれない。 理想を失い、現実からは逃避してきた。 失敗しないために、努力ではなく行動することをやめてきた。 "充実"するために、怠惰な自己を肯定しようとしてきた。 気づいたら、御託を並べてふんぞり返るモンスターがそこにいた。 何かを変えなければならな
こんにちは、野田海斗です。 少し前に「自身のキャリアの中で、ある一つの決断」をしたので、そのことについてシェアしたいと思います。 というのも実は私、4月から大学を1年間、休学しています。 既に2ヶ月程経ってしまいましたが、「数ある選択肢の中から、なぜ休学を選んだのか」、書こうと思います。 そもそも休学って?正確に言えば、「大学に在籍しながら、休むことができる制度を利用して、大学を休むこと」です。 私が通っている大学では、休学理由(下記)のいずれかで、休学手続きが可能
こんにちは。アクセスありがとうございます。 実はつい先日まで、55日間(2020/11/02-12/26)ヒッチハイクで旅をしていて、東日本を無事縦断することに成功しました。(ちなみに100日間で日本を一周する予定でしたが、新型コロナを考慮して一時中断しています。) そこで、大学生である僕がヒッチハイクを通じて学んだことを、このnoteで書きます。 自己紹介僕は、神奈川県在住の大学3年生で、慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に在学中です。野田 海斗(ノダ カイト)と申し
Day54:宇都宮→古河 Day55:古河→鎌倉 今までGo To トラベルを口実に旅を続けてきましたが、そうもこうもいかない状況になってしまったので、ゴールを鎌倉の実家に変更しました。 色々細かいトラブル(1万円無くすとか43km歩いて死にかけるとか)はありましたが、無事に旅を終えることができました。 ↑2020年のクリスマス(12/25)は43km歩きました。(多分いない) 当初掲げていた日本一周は達成していませんが、東日本を縦断することはできましたし、何より毎日
Day52:青森→弘前→矢巾 Day53:矢巾→宇都宮 Go toが停止する12/27までの5日間で、「鎌倉(青森から800km)まで帰りたい!」。 なんてことを夢想していた、本州上陸の次の日(12/23)。 想像を遥かに超えていきました。何せ2日間で青森から栃木まで(650kmも!)移動したのですから。 この二日間で2台の車に乗せて頂きました。 まず乗せて頂いたのは、弘前のデパートの社長さんの車。車内やデパート(案内してもらいました)でお聞きした話は、どれも興味深い
函館→青森 新千歳を出発して、札幌で旅費を貯め、日本の最北端に行き、最東端に行き、函館に来て。 ヒッチハイクで移動して51日目、遂に本州に上陸しそうです⛴ (実質ヒッチハイクをしていたのは2週間) 何と、数えてみたら合計22回/1594kmもの距離を乗せてもらっていたみたいです。 もちろん最北端、最東端に行けたことも嬉しかったのですが、一番印象に残っているのは、車内での時間でした。 この50日間で、たくさんの方々と出会いました。 コーヒーショップを経営されているご家族
ヒッチハイクで乗せてもらった方に、ある小説を紹介して頂いていました。 今日はその本についての感想と、自身の経験を織り交ぜ、 「ヒッチハイクのすゝめ」と号して、学んだことを書きたいと思います。 ↑紹介して頂いた小説(映画化もされている) あらすじ主人公・秋月和也は熊本県内の高校に通う17歳。ひょんなことからついてしまった小さなウソが原因で、単身、ディズニーランドへと行く羽目になる。ところが、不運が重なったことから最終便の飛行機に乗り遅れてしまう和也。所持金は3400円。
(この内容は2020/12/10のことを書いています。) 移動の軌跡:帯広→芽室→札幌(総移動距離:202km) 宗谷岬を目指して、札幌を出発したDay29以来、10日ぶりに札幌に帰ってくることができました! ↑最北端の宗谷岬、最東端の納沙布岬を制して、1400km近くを僅か10日で移動! 札幌まで戻ってきたので、これから1週間くらい留まって、本州縦断の準備(計画と旅行資金)を整えたいと思います! ぜひこれからも更新続けようと思うので、楽しみにお待ちください!