一回エロい絵を他人に公開すると 歯止めが利かなくなるよ! と、エルモ一味が笑顔で言ってる画像探してます
鋼の錬金術師アニメ64話見終わった。良かった。
コミティア150に参加します 東7E42b ラップバトル漫画300円 既刊200円 よろしくお願いします
(トップ画像 なまくらげ さんの同人誌) なんか最近ツイッターネガキャン騒動が多いが、 なんか明日から? 「あげた画像は全部AIの素材にさせてもらうのでよろしく~」、 という騒動で また人離れがおこっているようだ。 「進化しすぎた技術が人間を滅ぼす」、 極端なやつだと賢くなりすぎたAIが 「地球のために人類は不要」と判断し殺戮を開始する、とか 創作でよくありそうだが、 ロボットが進化しすぎて人間の仕事(雇用?)が奪われたとか、 今回の場合だとAIのために趣味で絵を描いてい
言いたい事は色々あるがまとまらないので全部言うね 結局人生は行動である 不安や億劫で動けない、は直せないがやはり動く事である 完璧、を目指さない事。 いや正確には目的地、方角、は設定する。が、 「そこにたどりつくことがすべてではない」。 0か100かで考えてて、100の達成ができないならはじめから 何もしたくないような。その考えが大きな問題である気がする。 完璧、を目指すと、完璧に、なれないから、なれないと わかっているから、道のりがけわしすぎるから、 自分で壁を高くしてっ
コミティアのマンガを描かなければならないが 「描かなければならない」と思う時点で結構な筆の鈍りになる。 日ごろの落書きを雑に紙にまとめて、たまのイベントで頒布する、、とか、 ゆるくてラクそうな活動でいいなと思ってたが、 そこまでの納得のいく作品のストックがなかったのと、 1つにまとめて描きたい内容はあったから じゃあまあそれ描きましょうと思ったが、 描き始めてみるとクソ面倒臭え。 描かない理由を探したり、 X見てると食べ美ちゃんとか可愛い子が出現して 欲望のままそれ描いたりし
「おはよう」、は、かんたんに、いえる、ことだし、だれでも、あたりまえに、やっている、 だから、じぶんなんかが、いわずとも、かんけいない、 だれかが言ってくれる、どっちでもいい、 そもそも言ったところで何もならない、 それに返事がなかったら自分がばかみたいだ、 ならはじめからいわない、いう必要がない、 とか、おはよう一つで思い詰めて馬鹿かという感じだが、 ようは突き詰めると、 あいさつにかぎらず 「自分が何をしようが別に変らない」という結論に成り得る。 しかしだ。 「おはよ
自分(の描く絵)は魅力が無いんだなあと、つくづく思う。数字が全て。 雄弁。 ほんらい、「創作」は、優劣ではないと、思う。 一人の人間が何かを表現した。そしたら、それで完結。 それが、人に評価されるとかで、差が付く、付けられるものだから、面倒臭い事に、なる。 「評価」される、ことは、(より多くの)ひとに、それが(良いと)伝わった、数の、量の、差でしかない。 より多くのひとの、心を、つかむことが、「すぐれていることなのか」????? 「それ」でお金を稼ぐなどならそれは残酷
自分が気持ちいい物だけ描け 義務感が生じ「描かなければならない」になったら危険信号 余暇を全て描くことにしてもいいよ それが本当に気持ち良いなら しかし現実はやらない理由を探したり 「まだ時間あるから本気出せば描けるから」 とか思っていませんか? それならはじめからそんな時間もページ数も必要なかったことになりますね 日ごろ「気持ちよさ」だけで描いてたものを紙にまとめるだけだ、 となればよかったんですが言うほど持ち合わせも無くてね ぶっちゃけ描くことが決まってればあとは作業だか
何回か?twitterがヤバいから別のSNSに行こう的な動きが流行ることがあるが。 自分の中では歴代で明確に強いSNSはpixivとtwitterで、それを越えるくらいでないとなかなか、、、というかんじ。 インターネットが浸透してくにつれて個人ホームページが流行りだしたがさすがにそれはできず。 携帯電話で簡単なサイトが作れるやつ(魔法のiらんど?)で作ったりしたな。 しばらくして「ブログ」が流行りだして音ゲーやQMAのこと書いてたら交流があったりしたな。 元祖SNS?
ポラリスコード10日間プレーするとクリアファイルもらえるってんでスタンプ埋めた。 コナミの音ゲーの大ファンではあるがポラリスコードは あまり惹かれる要素がなく、あえてこのゲームを選んで遊ぶより 既存の機種を練習したいな。。 であり、稼働開始してからもその印象のままであった。 のでクリアファイル目当てでプレーした。 感想は、やっぱりいまのところあえてこのゲームを選んで遊ぶ理由がないなあというのが正直なところ。 キャラを推してくださいというゲームだが、オリキャラやVチューバーに
「毎日」、無数の「創作」がうみだされ続けている。 とうぜん、それをひとりの人間が網羅することは不可能だし、 一人の人間が一生のうちに物語を取り込める量、なんてたかが知れている。 ふつうの人々は意識して「物語をとりこもう」なんて思ってもいないし 暇な時に見たいものを見たいだけ見て過ごして余暇を謳歌する。 ナニかを志したりして、意識して物語を取り込もう、と意識して行動したとしても 「あんなに有名なのにまだ見たことないな」というものはいくらでも挙がってくるような。 その限られた時
先日、告別式に行きました。 52歳のパートさん。 金曜日の夕方まで一緒に仕事してたのに、土曜日に亡くなった、と。 金、通夜。土、告別式。どちらか参列していただけますかと。 突然何を聞かされたかよくわからなくて 「実感がない」 が一番でそんな事言われても、 という感じで、とりあえず売り場には出て、 他のパートさん達は仕事してる。しようとしている? 確かにその人は来ないしもう来ないらしいので 我々で頑張っていきましょうとしか。 いつも通りの事をやるだけである。 金は厳しいので土
思った事をある程度まとめてnoteに投稿したかったが多すぎてまとまらないので 今全部言うね。 麻雀は運ゲー 結局麻雀は「運試し絵合わせゲーム」というまでしか自分は遊べないと思う。 相手の捨て牌とかから判断したり、という所まで追求しようと思えない。 役さえ覚えてれば運よく揃ったら「プロにも勝てる可能性があるという」以上、 それ以上努力しなくても勝ててしまう可能性があるならバクチ脳でいいじゃんという。 そういう、頭を使う事がしたくない。。と思ってしまう時点で、麻雀(のような事柄
どんなにありがたいものでも、それが繰り返したり、 日常になりかけると、「またか」と心の中での価値が薄れる。 そうやって心がくさるこわさを、すぐれた人間は知っているから、 積極的に「変化」をもとめる。それがなかなかできない。 身近な例えはカレーも3日続けば飽きる。とか。 どこに行くにも新宿駅が起点になると、 新宿という「ものすごい駅」に慣れはじめて ありがたみがなくなるようなことをふと思った。 大都会新宿に行きたい、と日本中、 いや世界中の人で思ってる人がたくさんいるのでは
明確に「エロです!」と表現されてる作品は苦手。たぶん。 例外もあるだろうが。 例としては、「スカートからパンツが見えているかいないか」で、 絵の性質が全く違ってくる。 パンツを描いてしまったら、 「エロです!」という「誰が見ても伝わる明確なパーツ」だし、 たとえば対象年齢があがるとか青年誌向けだとか、 ちょっとラッキースケベラブコメくらいなら パンツ出そうが問題ないのかもしれないが、 性的なものを明確に描くかどうかどうかで俺の中でラインがあって、 それをこえてしまう作品は興を