続・おはよう=1枚の絵

「おはよう」、は、かんたんに、いえる、ことだし、だれでも、あたりまえに、やっている、
だから、じぶんなんかが、いわずとも、かんけいない、
だれかが言ってくれる、どっちでもいい、
そもそも言ったところで何もならない、
それに返事がなかったら自分がばかみたいだ、
ならはじめからいわない、いう必要がない、

とか、おはよう一つで思い詰めて馬鹿かという感じだが、
ようは突き詰めると、
あいさつにかぎらず
自分が何をしようが別に変らない」という結論に成り得る。

しかしだ。
「おはよう」と言うことじたいは確実にすてきなことだ。
あたりまえすぎて気が付かないのかもしれない。
価値を感じづらいのかもしれない。ちょっと口を動かして声を出すだけだから、
感情すらこもっていなくても
そうやって人前で発言すれば、その声は確かにその場に響く。はず。
場の心持ちがわずかに変わる。気持ちが前になる。
大げさだろうか。大げさだとしよう。
でも言った本人の気持ちだけでも確実に変わる。

それにもしかしたら。
あいさつするのがにがてなひともいるかもしれない。
あなたがさきに「おはよう」といってくれることで、
ほかのひとすらすくえるかもしれない。
それはおこがましさ込みの考えかもしれない。
でもせめて「自分のために」おはようと言ってみるのがいいのではないか。
その一言で世界や他人は変わらなくても、
「自分」は確実に変わる。そう思いたい。
たとえば、SNSでの「おはよう」という挨拶、と、1枚のイラストは、同じ価値だと思う。
言葉かそれ以外で発信を試みたということ。

イラストなんか、あいさつ以上に、生活になくてもいいものだし、
それこそ発信しようがしまいが何も変わらない、
という思考にに行き着きやすい気がする。
それでも何かを突き動かされ、筆をとり、命を吹き込んで、気持ちを投稿した。
たしかに「おはよう」にくらべて他人は返事のしようがないものだ。通り過ぎるものだ。
それでもあなたはあなたの気持ちを表現した。それ自体が尊い。

「この人の絵、なんか好きだ」と思う事がよくある。
技術的にここが上手く描けている、とか口でこれ以上説明できない、
「このタッチ好き」とか。
あると思います。
それは「この人のおはよう、を聞くとなんか元気出るな」
みたいな感覚に近いと思います。
「いちいちおはようの言い方で個性出さなきゃいけねーのかよ!
面倒臭えー奴だな!」とかそういうことではないです。
伝わってほしい

「おはよう」が言えること自体は難しくないかもしれないが
とてもだいじなことであり、
ほかのひとがどうじゃなく、
「あなたがおはようと言ったことじたいがすばらしい」
「絵を描いて発表してくれたことじたいがすばらしい」
「じぶんでじぶんを誇らしく思ってほしい」
それを伝えたかった。


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