
政界・警察・芸能界の守り神と呼ばれた男
ブルーツ・リーです。
・連絡先は非公開
・ホームページなし
・完全紹介制
・会費年間2,000万円
これは『日本リスクコントロール』というトラブル処理会社で、ホームページもなければ広告宣伝もなく、全て「口コミ」でありながら依頼は途切れることなく続いているようです。
この『日本リスクコントロール』の設立者・寺尾文孝は、元警視庁機動隊員で、秦野章元警視総監の秘書を務め「政界・経済界・芸能界の守り神」と呼ばれ、あらゆるところから持ち込まれる相談ごとやトラブルに対処し解決する、知る人ぞ知る最強の「仕事人」。
その寺尾文孝という人物が、二度のがんを経たことで、これまでの自身の伝記を墓場に行く前に書き残す心境となり、政治家・経済人・芸能人たちの「墓場まで持っていく秘密」の一端を明かす驚愕の手記が「闇の盾」。
今も現役らしいので本当にヤバいことは書いてないと含みつつも、昭和の経済事件やバブルの闇の事件の裏側が知れ、誰もが知る政界人や芸能人など著名な人物が実名で赤裸々に語られています。
中田敦彦さんも”危なそうだな”という理由で自身の「YouTube大学」では紹介できない「面白い本」として真っ先に紹介しています。
暴力団関係者との直接取引や、「裏の世界」「政治」「事業」「芸能」が近い世界で交錯しているなど、現代の倫理観では考えられないような昭和の時代の一端が知れます。
元警視総監という警察トップの秘書として、無尽蔵の人脈をつくり、警察OBとして表も裏も知り尽くした著者だからこそ、様々な問題解決の依頼が集中することもうなずけます。
そんな著者でしか知りえない手記を読んで、とくに印象に残ったところを抜粋して書き出します。
機動隊としての活躍
著者の寺尾氏は高校を卒業後に警視庁に入り、機動隊として活躍していました。
1965年に起きた事件で当時18歳の鉄砲マニアの少年が警官をライフル銃で射殺し、渋谷の鉄砲店にたてこもる事件がありました。
そこで犯人と警察とで銃撃戦が繰り広げられた末、犯人を捕まえたのが著者とのことです。
この手柄により、機動隊のエリートコースへの道がひらけてきた矢先、著者は警察をやめて不動産やレース生地のブローカをし、その後に元警視総監の秦野章の秘書になります。
元警視総監・秦野章の秘書
著者の機動隊での活躍が元警視総監の秦野章にも認識され、とあるきっかけで著者は秦野章の秘書になります。
元警視総監である秦野章の支持者からは、子供の就職の斡旋、交通違反・交通事故の処理(もみ消し)などの依頼がたくさんきていたようで、それらはすべて秘書である著者が対応。元警視総監の秘書ということで警察に連絡し、罰則を軽くするなどの対応が実際に行われていたようです。
また、山口組組長の葬儀に、元警視総監が参列することもあったようですが、これも今となってはありえない話です。
著者は秦野章を通じて普段会えない人や、ふつうでは決して入れない場所に足を踏み入れることができたと言います。 日々、秦野氏に叱られていたようですが、「叱られるとは自分の知らないことを教えてもらっているということ」と感じており、秦野氏を恩師と仰いでいました。
2つの肩書で人脈を広げる
この秦野章の口利きがあり、著者は銀行から多額の融資を得て、2棟のビルオーナーになりお金に困らない身分になりました。
毎晩のように赤坂、銀座の夜の店に秦野氏と繰り出しており、2時間何十万もする高級クラブにも出入りしていました。
高級ナイトクラブにはのちに「デヴィ夫人」と呼ばれるようになる根本七保子さんも在籍していたようです。
こうして「ビルオーナー」と「秦野事務所秘書」の肩書で著者の人脈は広がっていきました。
夜の街では政治家との交流も多々あったようで、超大物政治家の実名もでてきます。例えば酒癖が悪い元総理に宮澤喜一があげられており、
「あれでよく総理大臣になれたもんだ」というくらいの酒癖の悪さと本書では記しています。
また政治家という人種の抱えるストレスは凄まじいもので、そのストレスが夜の銀座や赤坂で歪んだ形で発散されるようです。
以前に女性議員が秘書を罵倒する音声が週刊誌に流出して世間を唖然とさせましたが、秘書である身内にパワハラを働く議員も多いといいます。
警察トップの権力の源泉
警察組織には全国に「約24万人」の警察官がおり、そのわずか「600名」ほどのキャリア警察官が24万人の上に君臨している、典型的なピラミッド型の組織となります。
そのなかのトップが警視庁長官と警視総監。
警察組織には刑事、公安、交通などの各部から膨大なデータが集まります。
首相をはじめ各大臣、政党党首には警視庁のSPが24時間体制で張り付き、その政治家がどこへ行って誰と会って何を話しているか、そうした情報は「全て警視庁に報告」されているようです。
警察庁エリート官僚の権力の源泉は、まさにその「情報力」にあるようです。
日本ドリーム観光の副社長に就任
秦野章の要請で、著者は日本ドリーム観光の副社長に就任。
日本ドリーム観光の社長は警察OBであったが、ヤクザにみかじめ料を払っていたことが発覚し、取締役会で社長解任を決議。
その社長の東大時代の同級生が安倍元首相の父、安倍晋太郎であり、学生時代の友人であることから「なんとかならないか」と著者へ電話があったいうエピソードもありました。
秦野章の第三の人生
著者は秦野章の第三の人生として、警察官僚、政治家、に続いて第3の権力であるマスコミを勧めていました。
日テレの人事局長に相談しながら、佐川急便をスポンサーにつけて秦野章の番組をつくることに成功。その後、佐川急便が不祥事をおこし、代わりのスポンサー探しでJR東日本をとりつけました。
バブル破産と新会社の設立
著者は不動産や下田でのリゾート開発などを進めていましたが、バブルがはじけて借金を背負い、破綻します。
財産を失って振り返ると、学歴もなく大型運転免許証しかもっていないことを自覚。資格も学歴もない著者に残されたのは、機動隊時代から培ってきた「人脈」だけです。
そこで、警察を退職した元警察官のために、第二の人生の進路を斡旋する仕組みづくりをビジネスにすることを考えて新会社を設立します。
新会社の会長には、著者の旧知の仲である元キャリア官僚を据えることで会社の信頼性を担保しましたが、会長が難病にかかり亡くなってしまいます。
警察OBの斡旋事業は元キャリア官僚の信頼があっての事業であったため、新会社は著者がこれまで経験してきて得意とする危機管理のコンサルタント一本に絞ることになります。これが「日本リスクコントロール」の設立になります。
世の中の人間関係は全て「グー」「チョキ」「パー」
著者のトラブル解決策の持論に、
「世の中の人間関係は全てグーチョキパー」であると言っています。
威勢を奮っている人でも必ず頭が上がらない人がいて、依頼主が「グー」で、対立するのが「パー」だとしたら、「チョキ」の人物をみつけてくるというのが著者のトラブル解決法とのことです。
さいごに
まだまだたくさんのエピソードが本書で語られており、多くの著名な人物が実名で登場する本書。
昭和のど真ん中の世代の人たちだけでなく、平成生まれの人にも、「昭和時代の裏側」を知るエンターテイメントとして楽しめるのではないかと思います。
少しおおげさですが「政界・警察・芸能界の守り神」と呼ばれた人物のリアルな手記は、いまの時代では貴重な経験として残ります。