甘くない湖水/感想
昨年の11月7日に発売になったこの『甘くない湖水』という一冊の本を当時以下のnoteで知った。
以前オーエンズの「ザリガニの鳴くところ」を読んで以来、どこかちょっと疑問符の浮かぶタイトルがつけられた海外小説に興味があった。また著者であるジュリア・カミニートは1988年イタリア・ローマ生まれ、同い年だ。
「甘くない湖水」はイタリアの最も重要な文学賞であるカンピエッロ賞を受賞した。ここ数年芥川賞・直木賞の発表を楽しみにしている自分としては、この作品に惹かれずにはいられなかった。あらすじはこう書かれている。
訳者あとがきにて触れられているように、本書は冒頭母・アントニアの様相、その描写に度肝を抜かれる。ストーリーは娘・ガイアの視点から語られる湖を軸とした一人の少女の成長の物語だ。著者は覚書にてこう記す。
同じ時代を違う国で生きてきたカミニートが見聞きし、通ったという「痛み」とは…
以降読んだ人向け。
復讐と恥の感情、邪魔者
事故で負った障害により働けなくなった父、その為に一人働き続けて家を切り盛りする母、腹違いの自分の心に実直な兄、まだ幼い双子の弟たち。
どうにもできない現実に対する羨望や不安・絶望がないまぜになり鬱屈した感情がとぐろを巻いていつ爆発するやもしれない、という緊張感が常に少女に漂っていた。
なんで私だけ、という気持ちは貧困からくるものだろうがすべてを担う圧倒的存在である母に物申すことは出来ない。それは母ありきでこの家が多少なりとも回っていることに由来する。母の力無くしては一家は路頭に迷うことを幼い少女の身であれ理解できたためだ。
燻ぶり続けるガイアの火を少なくとも理解する立場にいた兄は持ち前の度胸で母に盾突き祖母の家へと送られてしまった。境遇を同じくする者という安心感が少女からごっそり抜け落ちてしまった瞬間だった。
ガイアにはいつも疎外感が付きまとったのではないかと思う。同じような仲間に見えて実際は違う、ということをよく理解していたように見受けられた。
ガイアが射的でピンクの熊を勝ち取るシーンがあるがそこには強烈な印象が残っている。女の子がそのような野蛮そうに見える遊びに(男子の前で)興じ、ましてや打ち勝って両腕に余るような物体を貰い受ける、というその場にいたどんな女子もやらなそうなことをやってのけたのだ。それは「舐められては困る」という焦りや怒りから来たものだったのかもしれないが、「女」と一括りにしないでほしいという境地だったのやもしれないと思った。
ハートがあまり好きではなかった
ガイアは性に明け透けな友人の姿勢を見つめながら女である性と向き合っていた感じがした。純粋な恋愛を楽しんでいるそぶりはどちらかというと無く、何を与えてくれるのか見返りを期待しながらも理想とは違う現実にただ打ちのめされているようだった。
望むものは手に入らないのに、ただ生きるしかない。ましてや好きに振る舞うこともできず、どうにもならない雁字搦めの感情を日々抱き続けるという現実は少女にとってどれほど苦痛だっただろう…ガイアに何かいいことが起こって欲しいと願いながら頁を捲ったことを思い返す。自分だったら、自暴自棄だっただろう。
うまい表現が見つからないのが残念だが、ガイアはきっとこの年代がどこかで経験する「切磋琢磨」という言葉が示すようなねばついた熱い視線の中同じ意志のもと向上を図る、といったことが苦手だったろうと思う。どこか冷静で(それは冷めていると表現できるかもしれない)、怒りを燻ぶらせながら絶望と共に生きている。せめて兄が傍にいれば、まだ二人は同じものを共有しあって発散できたのかもしれないと思うと、どこか悔やまれる。
一家は母に委ねられているといっても過言ではない中、少女は母と対立することは不可能であり、また母の言うように勤勉に学び同じ轍を踏まないよう努力することがどれだけ将来の自分にとって大切なことかを頭で理解していた。母親に言い返せてたら楽だったのかもしれない、という場面の数々にもぐっと堪えてやり過ごしている。
それは兄の様に意見を突き付けることで母が崩壊し、今いる立場ですら失ってしまうことを恐れてのことだったかもしれない。必死だった母と、それに向き合う兄の両名が同じ空間に居合わせる時、ガイアは誰よりも空気を読み、道化の様に場に馴染む役を演じてすべてをひっくり返さないように細心の注意を払っていた。この家の均衡を保っているのはガイアであるとすら言える。
私を恐ろしく幸せにしてよ
終盤は悲痛な音のない叫びが最後はずっと木霊していたように思う。わたしを幸せにして!と何度も願うのに周囲はそれに気づこうともせず、ただ善意を押しつけている。誰もガイアが本当に望むことに興味などない、と否が応でも理解させられ胸が痛い。
ガイアはずっと孤独だった。母アントニアは一家を路頭に迷わせぬよう必死だったが故にガイアの気持ちをなおざりにしてしまった。
きっとガイアが言うように娘にキスをし、愛おしい気持ちで撫で、また髪をとかすなどして安心させ励ましたりすることが出来ていればこの少女はまた違った道を歩いたのだろう。価値が無いと感じさせられること、それが娘の成長の過程での痛みだったのではないかと思われる。
舞台は湖。佇み、また同時に生活に欠かせない水の集合体を背景に一人の少女が成長していく物語だ。循環する、という意味合いに目をやればどこかやるせなさが残るが、それを開放しそこから発つ場面が印象に残る。ひとつの卒業を意味したのかもしれない。
当てつけのように「甘い」と言った湖水はやはり甘く等無かった。
人生は甘くない、、そう嘆き、また受け止めるガイアの姿が目に浮かんだ。