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映画「ミリオンダラー・ベイビー」を観て

4月14日、「ミリオンダラー・ベイビー」という映画を観た。
原題は「Million Dollar Baby」。2004年のアメリカ映画で、クリント・イーストウッド監督の作品だ。

キャストは、フランキー・ダン役のクリント・イーストウッド、マギーヒラリー・スワンクエディ役のモーガン・フリーマンなどである。

あらすじは、

アメリカ中西部でトレーラーハウスに住むほど貧しい上に家族が崩壊状態にあり、死んだ父親以外から優しい扱いを受けてこなかったマーガレット(マギー)・フィッツジェラルドは、プロボクサーとして成功して自分の価値を証明しようと、ロサンゼルスにあるフランキー・ダンのうらぶれたボクシング・ジムの戸を叩いた。
フランキーはかつて止血係(カットマン)として活躍した後、トレーナーとなってジムを経営し、多くの優秀なボクサーを育ててきた。しかし、彼らの身の安全を深慮するあまりに慎重な試合しか組まない上に不器用で説明が不足していたことからビッグチャンスを欲するボクサーたちに逃げられ続け、その不器用さは家族にも波及し、実の娘ケイティとは音信不通になっている。
マギーがジムに入門したのは、フランキーが最近まで手塩にかけて育ててきたビッグ・ウィリーに逃げられたばかりの時だった。最初フランキーはマギーのトレーナーになることを拒んだものの、フランキーの旧友でジムの雑用係、元ボクサーのエディ・『スクラップ・アイアン』・デュプリスが彼女の素質を見抜いて同情したこともあり、次第にフランキーは毎日ジムに通い続けるマギーをコーチングしはじめる。そして練習を通じ、やがて2人の間に実の親子より強い絆が芽生えて行く。
マギーはフランキーの指導の下、試合で勝ち続けて評判になりはじめる。あまりの強さから階級を上げる事になったものの、そのウェルター級で遂にイギリス・チャンピオンとのタイトルマッチにまでたどり着く。この試合でアイルランド系カトリック教徒のフランキーは、背中にゲール語で「モ・クシュラ」と書かれた緑色のガウンをマギーに贈るが、マギーがその言葉の意味を尋ねても、フランキーはただ言葉を濁すだけだった。
タイトルマッチの後も勝ち続けてモ・クシュラがマギーの代名詞ともなり出した頃、フランキーは反則を使う危険な相手として避けてきたWBA女子ウェルター級チャンピオン、『青い熊』ビリーとの試合を受けることを決める。この100万ドルものビッグ・マッチはマギーが優位に試合を運んだが、ラウンド終了後にビリーが放った反則パンチからコーナーにあった椅子に首を打ちつけ骨折し、全身不随となる。
フランキーはやり場のない怒りと自己嫌悪に苛まれ続け、完治の見込みがないマギーは家族に見放された事から人生に絶望し始める。やがてマギーはフランキーに安楽死の幇助を懇願するが断られ自分で舌を噛み切り自殺を図ろうとする。フランキーは苦しみ続ける実娘のようなマギーへの同情と、宗教的なタブーとのはざまで苦悩したものの、最後はガウンに綴られた「モ・クシュラ」に込めた気持ちを伝えると、人工呼吸器を止めマギーにアドレナリンを過剰投与し、姿を消した。

出典:Wikipedia

といった内容。

で、観終わっての感想。

一見ボクシングの映画ように見えるが、そうではなかった

この映画。ボクシングの映画である。
しかし、実際にはボクシングの映画ではない。
主人公たちの人生の中で、ボクシングというものが通り過ぎたに過ぎないのである。本当に大切なもの。そして、ボクシングを通して、たくさんの人生学びを得た映画。そのように感じた。
なので、主題はボクシングではないのかもしれない。

家族が一番ではなかった、悲しみ

世の中で誰が敵になっても、家族だけは味方。
これが世間一般にある常識のようなものだ。しかし、中にはそうではないこともある。
主人公のマギーの家族は、まさに”そうではない”方であった。
家を買ってあげたことも、「勝手なことをするな。年金が入ってこなくなったらどうする。」とマギーを罵る。
さらに、入院中でほぼ動けないマギーのところへ、弁護士まで連れてきて口にペンを加えさせサインをさせようとする。
そこに”家族愛”などは、存在しなかったのである。

「モ・クシュラ」に込めた思い、「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血」

フランキーは、ガウンに「モ・クシュラ」の文字を入れてリングに送り出す。彼は、もともと自分の気持ちを、あからさまにしないタイプなので、その言葉の意味を彼女には教えない。
しかし、安楽死を手伝う決断をした最後のシーンで、そのことを伝えるのである。フランキーの人生の中で、ボクシング以外にこれだけの人生を注いだことはあるのだろうか。でも、彼は人生の後半で、生きる意味や、人生の大切なものを学んだのだと感じた。

クリント・イーストウッドの監督作品はイイ!

それにしても、毎回思うのであるが、クリント・イーストウッドの監督作品はイイ!
役者の彼ももちろん好きであるが、監督作品はさらに好きである。
もう年齢的に、新しい作品を生み出すことは難しいかもしれないが、少なくとも彼の監督作品の鑑賞は制覇したい。


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