原点回帰~「書くこと」と「私」の話
25歳からライターの仕事を始めた。気づけば26年目を迎えた。
何の取り柄もない自分には「書くこと」しかなくて、「書くこと」が好きで、「書いていれば」それだけで幸せで。
そういう人生を送ってきた。
この感じをわかってくれる人がいるのかどうかはわからない。
私にとって「書くこと」は、子どもの頃から一番の親友みたいなものだった。
辛い時も悲しい時も書く。嬉しいことも幸せな出来事も書く。ノートに、パソコンに。
普通の人なら、ただ過ぎていくだけの出来事を、ひとつひとつ言葉にして書く。カタチにする。
そうすると、喜びは何倍にもなったし、どんなに辛い時でも私は恢復した。
「“書くこと”が自分にはあってよかった」
人生で何度そう思ったかわからない。
そして、「書くこと」を仕事にした。
それは幸せなことだったと思う。
ただ、「最初からフリーランス」なんて馬鹿げた立場でこの仕事を始めたものだから、なかなか安定はしなかった。タイミング悪く、それぞれの事情で、抱えていた案件が一度になくなったこともあった。
正直、「なんでこんな仕事をやっているんだろう。これが私のやりたかったことなんだろうか」と自問自答しては悶々としてしまうような内容のライティング案件もあった。
つまり、「お金を稼ぐ」=「仕事」としての「書くこと」は、自分にとって常に本意であったわけではない。
でも、生きていくためには稼がなければならなかった。
そうしていると、皮肉なことに、いつの間にか「書くこと」以外では稼ぐ手段を見つけられない年齢になっていた。他にできることはない。もう「つぶし」はきかなかった。
しかし、ライター人生を振り返ると、内容の満足度はともかく、仕事だけはたくさんあり、次から次へと仕事をこなさなければまわらない日々がほとんどだったと思う。そのことはとてもありがたく、日々の充足感はあったが、いつしか「自分の書きたいもの」など何も書けなくなっていた。
そして、6年前、いよいよ体を壊した。いや、あの時はたぶん、精神面が先に壊れていたんだと思う。もうほとんどアル中のキッチンドランカーみたいなものだったから。
書いても書いても自信がなく、人と比べては「足りないもの探し」ばかりしていた。そのくせ、仕事を褒められるとホッとした。「まだ書いていていいんだ」と思えたからだ。それが生きる意味だった。自分の存在意義だった。書けなくなったら終わると思った。世の中に必要とされなくなることが怖かった。走り続けるしかなかった。
そして、病気がようやく私を止めてくれた。
本当に「生きる意味」を考え始めた。それは自分を愛し、自分を認める作業でもあった。
今は、好きな日本酒のことも専門誌に書けるし、その他も自分のペースで仕事を請けて、ぼちぼちやれている。
特にすごいライターにはなれなかったし、これからも三流ライターのままで終わるのだろうけど、若い時のように、それに対してモヤモヤすることはなくなった。
「何者かになりたい」と思っていた自分はもういないし、「何者にもなれない」自分に失望することもない。
人を羨むこともないし、自分を卑下することもない。そうすると随分ラクになった。
若い時は、大きな案件を請けているライターの人が羨ましかった。「才能が欲しい」と何度もつぶやいた。「書く才能」をくれるなら、悪魔と取引してもいいとさえ思った。
でも、一周まわって、原点に戻った。
こうやってnoteに好きなことを書いていると、楽しくて、満たされている自分に気づく。
「結局、ここに帰ってくるんだね」と思う。
”親友”は、昔と変わらず、私をあたたかく迎え入れてくれる。
キーボードを叩く音が笑っているみたいだから、書きながら私も笑顔になる。
ああ、「書くこと」ができて、よかったなぁ。「言葉」があってよかったなぁ。そんなふうにしみじみ思う。
もしなかったら、大げさでなく、この年齢まで生きてこられたかわからない。それくらい何にも持っていない人間だったから。
一方で、もう一つわかったことがある。
病気になって、いつも死と背中合わせの生活を送るようになって、ようやくわかった。(私はバカだからいつもわかるのが遅いのだ)
別に、何も持ってなくてもよかったんじゃないのか、と。
書いて、お金を稼げて、人に喜んでもらえることは確かにうれしい。
そこだけに自分の存在意義を見出してきた。子供の頃からずっと自分の存在意義ばかり考えて、それを探して生きてきたから。
でも、もし書けなくても、何も持っていなくても、私は私でいいのかもしれない。存在していていいのかもしれない。そんなふうに思えるようになった。
とはいえ、やっぱり思うのだ。
「書くこと」ができて、本当によかった、と。
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