Any time
(動画を拝借します。)
本当に「自分のダンス」を極めたいと思ったら
安易に共感してはいけないのである。
「1人の人間」としての
日常生活、仕事、なんらかの集まり
そういう場所では共感性というのが多少必要になる。
他人との関りがある以上
共感性を以って「協調性」を持っていないと
日本では生きづらい。
しかし、こと「一人のアーティスト」となると
そんなもの全く必要がない。
なぜなら「ステージでは一人だから」
そして「一人の人間ではないから」である。
ステージとは、究極の孤独の境地である。
ダンスは言葉で魅せる芸ではない。
己のカラダと音楽のみ。
だから、言葉で魅せる芸をするアーティストとは違い
芸の途中でのコール&レスポンスの概念はない。
劇場で映画を観るのと同じで
自分のダンスの途中でこちらから客に共感性を求めることは一切なく
客が共感性を持つのは、終わった直後になる。
「自分のダンス」をステージで披露する時
そこには己のカラダと音楽しかない。
たとえ、仲間がいようとバンドがいようと
「自分のダンス」が出来るのは自分しかいない。
誰も助けてはくれないのである。
その時必要なのは
「自分を強く信じる」とか「強い気持ちを持つ」ことではない。
気持ちや感情ほど、己のカラダで不確実なものはない。
そこに強さを求めると、時としてそれは揺らぐ。
それが「自分のダンス」に不安定感をもたらす。
結局、ステージ上で最も信じられるのは
「自分のダンス」しかないのである。
「表現力=技術力」に裏打ちされた、「自分のダンス」
その「自分のダンス」を極めきれてないと
客に媚びて芸の途中で共感性を求めがちになったり
ステージ上で誰かに助けを求めがちになったり
音楽に遠慮がちになったりする。
パッションで表現力のスパイスが効くのは
あくまでも「自分のダンス」を極めているのが大前提になる。
ダンスは顔芸や感情表現ではない。
そこを履き違えるといつまでたっても「自分のダンス」は
手に入らない。
「自分のダンス」を手に入れるというのは
そんな簡単なものではなく、長い歳月がかかる。
安易に共感することなく
自分の好き嫌いをハッキリしすぎるほど持っていること。
誰がなんといおうと「コレがいい」と貫き通せること。
そして、共感性を一切求めない、圧倒的な「芸」であること。
本物のアーティストであればあるほど
必ず、「熱狂的なファン」と「過激なアンチ」がつく。
それもまた、本物のアーティストである宿命でもあり
それが「自分の芸」を極めた証でもある。
これは「一人の人間」には、決して分からない感覚である。
拙い文章お読みいただきありがとうございました。
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