【自己分析】自分の実感として


(動画を拝借します。)



いやー、やっぱりロックンロールだわー。

これはロック!最高!





只今  ”ダンサー時代を絶賛振り返り中"  ということで

こうして日々書いているわけなんだけど

いやー、この前書いた「ロング記事」は完全に振り切ったよねー

意外とやるんですよねー、実は。

書けちゃうんですよねー、ホントは。

普段はたかだか2000文字ぐらいしか書いてないからあれだけど

実は、学生時代から書くことはまったく苦にならないほうで

学生レベルでだけど意外と賞を取っていたりもする。

教師から「何か書く仕事をしたらいい」と勧められたこともあったけど

「それで食っていけるとは思わない」とか思って

ひとつも真面目に聞いていなかった。

というのも、

自分が評価されていた部分というのは「小説」を書くような能力ではなく

今こうやって書いているみたいに

「自分のフィルターを通して出てきた言葉を紡ぐ能力」で

ある意味「自分にしか出来ない即興芸」みたいなものだった。

今のように素人が書いたモノが売れる時代ではなく

物書きという職業は、自分の学生時代だと「小説家」のことで

「いやー、自分に小説家とか無理でしょー」と。

それに

自分は昔から一切下書きをせず、いきなり書き始め

そして「他人から赤を入れられることを悉く拒否する」

学生時代、

自分の書き物を賞レースに出すからと先生に呼び出され、

「ここはこう書いた方がいい」だとか言われるわけですよ。

自分が書いた原稿に赤が入りまくる。

先生も手柄になるから必死なんですよねーこういう時。

でも、それが自分には許せなかった。

「これは自分の言葉だ。何が悪いんだ。」と。

もーね、自分の言葉が違う言葉に変容することがホント許せなかった。

だから毎度毎度先生とは言い合いになるわけなんですよねー。

それで最後は

「頼むから推敲も自分でさせてくれ」ってお願いしてましたもん。

それぐらい、自分の言葉には強いこだわりがあった。

でも、ちゃんとそれで賞とったからいいだろ先生?ってカンジで。

やるときゃーやるんですよ自分だって。

と、まぁそんな話はどーでもよくて

「ロング記事」

あれは、「今の自分にしか絶対に書けない記事」

現役バリバリのダンサーにはまず書けないし

そこそこリアルガチのダンス界を見てないと知り得ない部分が大量にある。

そして、中途半端にダンス界に関わっていない自分だからこそ

あそこまで書ける。

完全にダンス界の外にいるからこそ。

元々自分はダンス界でも技術力=表現力の部分ではなく

価値観の自由という観点においては

「価値観が認められなかったダンサー」だったという部分は大いにある。

表現の自由を表向きにうたいながらも、実際にはそれとは真逆の

「価値観が統一されすぎた業界」

その中で価値観の自由を訴え続けた”ダンサーとして”の自分を

「あまりにも先を行き過ぎている」

「時代がまだ追いついていない」

と評した業界の人間も多くいた。

ダンス界での価値観のマイノリティだった自分が紡ぐ言葉というのは

もしかすると今現在ダンス界にいるダンサーからすれば

新鮮で斬新に映ることもあるだろうし

脅威で恐ろしいものとして映ることもあるんだろうと思う。

現役当時、ほとんど自分の口で語ることのなかった

新事実も沢山あると思うし

ここまで突き詰めて考えていたのかと思わされるところも多々あると思う。

そりゃー長くやってましたから、やるときゃーやるんですよ。

とはいっても、自分もここまで冷静に書くのは今回が初めてになる。

どこまで書けるか、その挑戦でもある。

あの「ロング記事」は

ダンス業界だけでなく、他業界にも少しは通じるところはあると思う。

もしかすると社会問題にも通じるのではないかとも思う。

だから是非、多くの人に読んで欲しいと思っている。





今、こうして書いている”ダンサーとしての”自分の

「人格をどう扱うのか」

特にパーソナリティにまつわる人格形成分野においては

ともすれば大きな発展をもたらすのではないかと思っている。

自分の場合は「ダンス」というちょっと特殊な世界にいた人間だけど

一般社会においても

誰しも少なからず「社会に向けた顔」と「素の顔」を持っている。

「それを同一人格として取り扱うべきなのかどうか」

それとも

「同一人格内での二面性と捉えるべきなのか」

その捉え方によって「パーソナリティ」の定義も変わってくる。

今回の”ダンサーとして”の振り返りを通じて

自分の実感としてよくよく思う部分である。

自分の場合、

「ダンサーとしての顔」「社会に向けての顔」「素の顔」

と少なくとも3つあり

それに加え、

「多重人格」であり「自分感ゼロの離人症」でもあるので

むちゃくちゃ厄介ではある。

(注意:離人症はダンサー引退後に発症している)

ただし、こと「パーソナリティ障害」については

「全部が全部パーソナリティ障害ではないのでは?」と

自分の実感としてある。

これを精神医学の世界ではどう見るのか。

スポーツ選手だとか芸事に携わっている人間であれば

自分が今こうして振り返っている”ダンサーとして”の部分を

必ず持っていて、

それは”一人の人間として”からは

あまりにもかけ離れていることが非常に多い。

自分の経験だけでいうと

”一人の人間”でしかないプレイヤーはプレイヤーとしてはダメで、

かけ離れているプレイヤーのほうがいいプレイヤーだったりする。

そのパーソナリティをどう扱うか

これは

スポーツ、芸事はもちろん

少なからずも一般社会にも通じる部分であり

この取り扱い方を精神医学の面から考えるということは

非常に大きな意味があると

自分は思っている。




(動画を拝借します。)





拙い文章お読みいただきありがとうございました。






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