『アモールとプシュケー』あとがき|総論 編
まずはお礼から。
『アモールとプシュケー』は、ぎりぎり中編に収まる長さの物語でしたが、充分すぎるほど長かったことと思います。最後まで読んでくださった方、また、途中までお付き合いくださった方、ねぎらいのスキをくださった方、本当にありがとうございました。
ご興味は人それぞれ。書いている私が「一人」なので、公開するとなるとどなたか「一人」が読んで下されば、やりとりとして完結!と思っていました。思いがけず多くの方が楽しみに待っていると励まして下さり、またご感想も賜ったので、とても有り難く、noter冥利に尽きるとはこのこと、と感謝しています。
今現在も、一話ずつ追って下さっている方が何人かおられるので、ドキドキ(-人-)しながら見守っているところです。(そして、「あとがき」を載せるタイミングが分からなくなりました(^^ゞ)
たまに色気を出してgoogle検索してみる癖が💦 「アモール プシュケー」「ペルセフォネー ハデス」で検索したところ、そんなに上位ではなかったけれど、スマホの画面で1ページ目に入っていて、うれしくなりました。そのときは〈7〉や〈9〉だったので、(小説は読んでもらえない気もしますが)各ページにゆくゆくは《前回までのあらすじ》を載せておこうかしら…とも考えているところです。く
掲載した以上、多くの人に読んでもらえたら、もちろんうれしいのです。ただ、しがらみで読んでもらうのは本当に忍びないので、そのためにもなるべく間口を広げておき、そのことをここに明示しておきます。
振り返り
掲載の所要日数はおおむね10日間だったのですが、その直前の週とあわせて、全体を俯瞰して調整する視点が得られたので、直前まであちこちに少しずつ書き足して……最終的に、73,569文字となりました。
その頃にコメント欄で対話するうちにはっきりしてきたことも多かったので、お言葉をかけてくださった方、私のつぶやきコメントを読んでくださった方、また見守ってくださっていた皆様に、再び感謝申し上げます。
胃薬も飲み、「なんか痩せた?」と言われ、メンタルが弱すぎて情けなかった掲載期間。こころの自己免疫疾患みたいなものかな...なんて思いつつ...。(もともと、気を抜くと体重が減ってしまうタイプなのです💦)
(執筆じゃなくて)掲載することの重圧にとにかく疲れてしまったので、しばらくnoteは読み専にしていました。ひとまず、今でなければまとめられない背景説明について、書いておこうと、またnoteの画面とにらめっこしています。
ずっと、「場違いかな...」といういたたまれなさに苛まれていたので、(感想なんて書きづらいものなのに)早いうちからコメントをくださった方々は本当にありがたく、御名前をあげて表彰したいくらいです(^^)
執筆環境
この文字数ではありますが、スマホやタブレットでフリック入力しました。ATOKを使っています。
私はロービジョンなのでパソコンだと見えづらく、通常サイズの3〜5倍などに拡大すると一覧性が極端に下がりますので、結局スマホやタブレットの距離がベストな選択となります。キーボード入力していた頃より、フリック入力のほうが速度はかなり下がったため、自分の思考速度もそれとともにゆっくりになった気がしていて。まさに、書いたものを見、文字を読むことによって思考が展開していくのだなということを実感しているこの数年です。
フリック入力は、ひとつずつの文字に指先でご挨拶しているようで、これはこれで気に入っています。
iphoneのメモ帳に入力し、最後の最後に、(置換機能を使いたくて)idraftというエディターのサブスクリプションに2ヶ月ほど加入して、仕上げました。
神話を汲みつつ、近現代人の視点で
古代ギリシャの頃にすでに、人間洞察や哲学は完成しているようにも思うのです。ですが、近代になって個人主義的になり、それと共に戯曲や韻文から小説へと主流が移り、精神分析学が幅をきかせるようになって、がらりと視界が変わる…そんなふうな潮流を、ギリシャ神話関連の文献を読み比べるだけでも、感覚として多分に受け取りました。
そこで、曲がりなりにも現代人である私が、二千年近く前の物語をあらためて読み解くとして、どういった態度でいるのが良さそうか、ということについては、自ずと結論が出ていました。読む方たちが見て、一応の筋道が通った物語であるべきだろう、ということです。簡単に言うと、行動のひとつひとつに説明をつけ、心理描写をする、ということ。
これがなかなか難しくて。アプレイウスの原作を読むと、半分民話みたいな調子(そこが魅力☆)。なぜそうしたのか、なぜそう発言したのか…といった説明がなされていないことも多いのです。当時の人が読めば当たり前の行動でも、文化が違いますからなおさら、ご都合主義とは言わないまでも、ちょっと意味がわからない…といったこともありました。
そのあたりは、古代ギリシャの叙事詩本の注釈(たいてい本編よりだいぶ長い・笑)を読み解いて読解力をつけました。ギリシャ神話の受容史のようなものまで見えてきて──とても愉しく、心躍る時間でした。
物語のテーマを決めるに当たって
①なぜアモールは自分の姿を隠し通そうとしたのか
アプレイウスがどこまで自覚的だったかはさておき、もともとの物語の中に眠っていた柱やキモはどれだけ少なく見積もっても2、3はあると思います。そのうちのひとつが、《なぜアモールの姿を見てはいけないのか》です。これは民話の類型でいうと極めてシンプルに「見るなの禁忌」。『鶴の恩返し』と同じで、古い時代の「お約束」だったのでしょう。ですが、それでは説明になりません。近現代のストーリーテリングだと、理由はかならず語られねばならず、しかも大小複数の、複雑な要因が絡んでいるはずです。そのあたりは悩みどころでした…。(その答えは、長くなるので物語本編に委ねます。)
②どのような《愛》が描かれているか
そして、もうひとつの大きな柱が、「クピード」「アモール」といった呼称の問題。これにも、それぞれに意味や理由付けが必要なはずです。少なくとも書き手の私はそれらを理解しておく必要があります。
ちなみに、クピードというのは実はラテン語で、ギリシャ語では「エロース/エロス」なのですが、他の神々をラテン語名称(ローマ神話)にすると、アフロディーテ→ウェヌス、ゼウス→ユピテル、ハデス→プルートーなどとなります。日本ではギリシャ名のほうが普及しているので、ほぼその理由ひとつのために、(アプレイウスが書いたのはローマ神話ベースなのですが)そっくり古代ギリシャに舞台を移し替えました。
ただひとり、当のアモールについては、ギリシャ名エロース/エロスを選ぶと原初神のひとり(ヘシオドス『神統記』B.C.700頃)ということになり、最も美しくかつ最強とさえ呼ばれます。その人物像と、羽の生えたかわいらしい天使キューピッドとしての人物像がうまく噛み合いません。
しかも、エロースというのは、《愛欲》という原始的なエネルギーでありながらも、プラトン(B.C.400頃)あたりになると、《愛》の概念化された存在となり、より抽象的、観念的になってきます。なにもかも知り尽くしている完璧な愛の神様。プシュケーといっしょに悩みながら成長していく若者の呼び名としては、絶対化されすぎていました。──そこで、ローマ神話名ではありますが、「クピード」を採用した、という経緯です。
古代は、現代にもまして名は体を表します。
そもそも、クピードやアモールという単語の意味はなんだったのだろう──調べていくうちに、それぞれ《情熱的な欲望》《受苦の愛》という意味を持っていることがわかりました。つまり、アモールは、「欲望くん」みたいに呼ばれるのがイヤになって、プシュケーに名前を訊かれたときに、とっさに「利他的な愛」を名乗ったのでは…利己的な愛から利他的な愛へと自分を昇華させたかったのではないか、という仮説が閃いた瞬間でした。《受苦の愛》は、キリスト教でいうところのアガペーのことなので、そこから先はすらすらと人物造形が出来ていった…という運びです。
ですので、大枠として、
古代ギリシャ詩世界の愛欲エネルギー
→プラトンらソフィストによる概念化
→ローマ神話的カオスへの退行
→キリスト教的な博愛
・・・へと移り変わっていった思想史も、アモールのなかに組み込まれています。
そんなわけで、プシュケーの視点から語られることも多かったけれど、主軸はやはり「愛の神」であるはずで、タイトルが『アモールとプシュケー』の順になっているのも、その関係だったりします。
③生と死について
《エロスとタナトス》という言葉があるように、愛と死は切り離せないものです。死ななければならない運命を共有しているからこそ、すべての哀感、すべての苦しみ、すべての優しさが生まれ、また、それを互いに共有することができる──と感じます。
小林武彦『生物はなぜ死ぬのか』も、この物語の隠れた参考文献なのですが、締めくくりの部分に「死ぬことのない存在とは理解し合えないのではないか」というようなつぶやきを書いておられ、それがとても印象的でした。この本については、別記事で、参考文献のひとつとしてご紹介する予定です。
まとめ
今回は、いちばん基底のところにある枠組みをご紹介してきました。
次回からは、主な登場人物について、なぜそのような性格と職能(権能)として書いたのか、をつぶやいていきたいと思います。折に触れて書き留めていたメモなので箇条書き風、イマイチまとまりがないかもしれませんm(_ _)m💦
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