『WHAT DIVIDES US』|『オッペンハイマー』へのアンサー映画、本格始動
8月6日、広島の「原爆の日」です。
今年は肩の力を抜いて、日記のような記事となりますことをお許し下さいね。
日曜日、(いくつかご縁のあるうちのひとつである)教会に行ったところ、なにやらテレビ?の取材をしているようで、背の高い外国人男性がインタビューに答えていました。
その方のリュックサックに少し当たってしまったので、「写り込んでしまったかも」と、牧師さまに話していたら、テレビ局の方が、みなさまに親しまれているということで撮っていますから大丈夫、と慰めてくださいました。
その流れで、何をしているか教えてくださって。『WHAT DIVIDES US』という日米合作の映画製作に関する取材のようです。
ジョン・ハーシーと谷本清牧師
広島の教会に出入りしていると、被爆関連の話題で「谷本清牧師」のお名前はよく耳にします。
終戦後まもなくアメリカに渡って、被爆の惨状を伝え、窮状を訴え、「原爆乙女」たちのケロイド治療の輪を広げるなど精力的な活動を行い、アメリカでもよく知られる人となりました。
この映画のもととなるルポルタージュ『ヒロシマ』を著したジョン・ハーシー。彼は谷本清牧師とも協力し合った間柄。『WHAT DIVIDES US』は、ふたりの友情を描くヒューマンドラマとのことです。詳細は、↓↓のウェブページをご覧下さい。
私が出くわしたインタビューの当事者は、ジョン・ハーシーさんのお孫さんであるキャノン・ハーシーさんでした。小型のホームビデオっぽい機器だったので、簡易的なメモのようなものだったのかもしれません。
『オッペンハイマー』へのアンサー映画
映画『オッペンハイマー』は(怒りや情けなさで)最後まで見終えられそうにないので、見ていません。ですが、非常に気になるのでレビューはそれなりに調べました。被爆の惨状を映さず、衝撃を受けたオッペンハイマーの表情で代替しているそうですね。
『WHAT DIVIDES US』が、その瞬間に映し出されるべきだった映像を、全編を通して丁寧に汲み上げてくれるようです。(期待しかありません!!)
ちなみに、オッペンハイマーに一言言えるとしたら「ナチスが開発するよりマシだったとか言われたりするけれど、誰ひとり創ってはいけないものだったから、当然あなたも創ってはいけなかったですよね」に尽きます。あとで後悔したり、水爆開発に反対したりしても、時すでに遅しです。
核兵器並びにそれ以外の兵器も含めて(LAWSも)、開発した人ひとりひとりに、「子どもみたいに自分の力を誇ろうとするのはやめなさい」と膝を正して懇々と諭したい気持ちです。
ふだんからのほほんとしていて、毒にも薬にもならない性質の私ですが、これについて考え始めると、ふつふつと怒りが湧いてきます。
なぜかって? それは、原爆資料館を見、原民喜さんを読み、被爆証言を聞いているからです。それらが今も脈々と引き継がれている広島に住んでいるからです。
一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」専従職員・浅野英男さん(27)は、こんなふうに言われます(要約です)。──アメリカやヨーロッパに出かけ人々と話をすると、核兵器の威力は知っていて、「なんとなく」恐ろしいものだと思っている。その「なんとなく」に基づいて、核保有か廃絶かの議論をしている。でも、ひとりひとりの人間の身体が実際に炎と熱線と衝撃波そして放射線によってどうなってしまうのかを語ると初めて、「自分事」として恐怖を感じるようになる。議論のスタートポイントを、「被爆の実相」に置けないのがもどかしい──ということです。
ですから、オッペンハイマーの恐怖にこわばった顔を見ていては、実態に触れることはできません。「ある人」が「後悔し始めるような出来事があったようだ、遠い昔に」で終わってしまうのです。
遠い国で起きた惨劇はやはり遠いものでしかありません。私自身に置き換えて考えてみても、たとえば地球の裏側で起きたことなら、実感を持つのは難しいでしょう。
その距離を縮め「肌触り」にまで近づけるのが、報道の役割、文芸の役割、そして映画の役割のはずです。
核兵器廃絶は困難な道のりです。ですが、浅野英男さんが仰るように、世界には現に、核と関係なく平和を保って暮らしている国があります。東南アジア、ラテンアメリカ、アフリカなど、《非核兵器地帯》と呼ばれる地域です。
国同士が過去のわだかまりを乗り越えるのは極めて難しいことです。ですが、ひとりひとりの人間は違います。友だちになることができ、理解し合えます。もし、市民全員が、核兵器なんて要りません、と、きっぱり言えるようになれば、国も動かざるを得ません。
核保有国、核の傘の下にある日本のような国で、充分に多くの市民がNOを言えるようになること。それは、難しいことでもあるけれど、見方を変えればそんなに困難ではありません。
原爆資料館から出てきて、「核爆弾が自分の上に落ちてきてもまあいいか」という感想を持つ人は、おそらくひとりもいないでしょうから。
被爆十字架
日曜に寄せていただいた教会は、谷本清牧師ゆかりの教会。
そして、礼拝堂正面に「被爆十字架」を掲げています。
戦争から遠く隔たった世代の私が見ても、本来、神の加護にすがり安らぎを得たいと望む人々の集会のはずなので、そこに物々しい十字架をかけているということが非常に不思議でした。頭で考えるだけならそんなものかと思うのですが、実際にそこで礼拝を守る場に加えていただいたりすると、被爆の惨状を連想するため、落ち着かない気持ちになったりもします。
被爆十字架は、原爆で奇跡的に焼け残った木を組んでつくったもの。爆心地から800mにありましたので、教会に通っていた方々は、みなさん原爆で命を落とし、生き残っても心身に深い傷を負い、家族や家財を失い、一面の瓦礫の広がる中で「地を這って草を喰らう」ような戦後の混迷期を生き抜いてこられました。
ですから、「あの日」に黒焦げになった十字架など、本当は誰も見たくないのです。
戦後、50年ほど経過してようやく、新聞紙にくるんで倉庫に保管していた十字架を取り出し、礼拝堂に掲げるようになりました。
──その理由は、なんでしょうか?
原爆によってなにもかもを奪われ、もはや人類の手に負えなくなった戦争の破滅的な威力をいやというほど味わってなお、復讐したい、一矢報いたいという恨みが消せない人間の業を、忘れないためです。他人を従わせる力を求める道から降り、自分たちから率先して平和を求める人間になるためです。そしてまた、被害だけでなく長い期間加害者でもあった歴史の事実を忘れないためです。もう二度と、戦争の加害者にも被害者にもならずに済むように。
それらの覚悟が、被爆十字架を受け入れ、祈りを捧げるシンボルとした背景なのだそうです。
個人的には、被爆して亡くなった方々の《依り代》として、鎮魂のシンボルとしたのかな、とも感じます。破壊されたものをいたわるという行為そのものに、ひとの心を癒やす働きがありますし。
さて、さて。
その教会で長く牧師職をお勤めになった谷本清さん。キャノン・ハーシーさんは、そんなゆかりから、ご家族を伴って、教会を訪ねてこられたのでした。
谷本清さんの娘さんも訪ねてこられたらしく、みなさまご一緒に礼拝に出席。(平和聖日礼拝とのことで)私も飛び入りで末席にお邪魔していたので、ちょっとしたご縁を感じたのでした。
どのような仕上がりの映画になるのでしょうか。現代の技術を駆使して、実相を伝えてくださるのでしょうか。
期待しながら見守りたいと思います。
映画がつつがなく製作されますことを心より願いつつ・・・。
《番外編》山崎貴監督にも期待しています
山崎貴監督のインタビュー記事です。ご興味があれば・・・。
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昨年拝聴した被爆証言についてはこちら。心を込めて書きました。↓
【写真記事】SADAKOのおりづる↓
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