私にとってのnote
noteをもっと自分にとって大事な場所にしたい。
ここ最近は言葉すら浮かばないし、
他の人の記事を読もうと思っても
頭に入らなくてボーッとなってしまうことが多い。
ただここ数日、久しぶりに
やっぱり自分は言葉と仲良くなるべきだと思って
少し無理矢理な気もするけれど、
こうやって書けることを書けるうちに
書こうとしている。
最近はペンを持って書くことで
書きたいことが広がっていくことに気づいて、
iPadでほぼ殴り書きみたいな感じで
下書きをしてから
noteに入力するようにしている。
思考の欠片を残すものとして、
noteを自分にとって
必要不可欠な存在にしたいということは
前からずっと思っていることだ。
でも病気のこともあって、
その密かな願いが消えてしまう時期が
当たり前にあって
noteの必要性が分からなくなったり。
noteを大事な場所にしたいと思うのは、
やっぱり書く仕事がしたいということに
関係しているけれど、
もしかしたら私自身を表すアイデンティティが
欲しいからなのかもしれない。
こんなにも言葉を紡ぐことにほぼ執着に近いような
くっつき具合をしているのは、
私は書く人間、言葉を紡ぐ人間であることを
烏滸がましいけれど
自分自身に思わせたいからだと思っている。
SNSを見ていると、
写真を撮る人、イラストを描く人、歌をあげる人
など色んな人がいる。
そういう人たちってきっと確固たる自分を
持っているんだろうなと思うし、
何だか憧れる。
私といえば何だろうなと考えた時に
言葉なんじゃないかと、
正直それ以外は私らしくない。
前に写真に特化しようと思って
やってみたけれど
上手くいかなくて才能が無いんだと
落ち込んだことがある。
まだまだ自分は言葉と強い関係があるなんて
自信を持って言えないけれど、
いつかそうなれたらとっても嬉しい。
私は今までもこれからも
誰かのために書くというよりは
自分のために書いていくつもりだ。
もちろん誰かのために書くことも出来るけれど、
どうしても承認欲求が勝ってしまう。
承認欲求を持つことは悪いことじゃないけれど、
私の場合誰かに読んでもらうことに固執して
苦しくなることが多いから
そういうことは避けたい。
自分のために書くことを念頭に置けば
良い結果にならなくても苦しくならないはず。
拙い文章になっても、
それをいつかの自分が読んで、
そうだったなって思えるようにさせることが
noteを残すための1つの目的であるし、
もし自分のために残したものが
誰かに届くような、そんな奇跡が起こったら
尚更良いと思ってしまう。
少しずつnoteにかける気持ちを
取り戻していきたい。
書けそうな気がした今、
思うままに書いてみたけれど
やっぱり全てを言語化するのは難しい。
また調子が悪くなって
思うように書けなくなる時が
容易に想像出来る。
そんな時に書いてみようって
自分に思わせるような文章を残したかったけれど
それが出来るほどの才能を
持ち合わせていないから。
書けなくてもいいよ。
読めなくてもいい。
ただnoteを大切にしたいと思う気持ちは
忘れないでいたいなと思う。
残した記事1つ1つが私を形作るような
そんな場所になりますように。
自分のために残してあげようね。
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