【夏の1コマ】「実家がなくなる」という心持ち
今回の記事はこのブログの趣旨としては異色の話となる。note公式で「夏の1コマ」というお題があったので、これについて1話書いてみた次第。
初めに断わっておくが、この記事は「実家の空家問題」の解説・解決方法を述べている記事ではない。「実家がなくなる」ということに対する率直な心持ちを述べたものにすぎない。エッセーであり写真記事だ。
それでもよければ読んでもらえると参考になるかもしれない。こんな感じになりますよ、と。
応募写真「夏の残影」
撮影地:山形県鶴岡市
カメラ:NIKON Z7
レンズ:NIKKOR Z 24-70mm f4 S
リンク:https://blue-san.com/camera/8426/2023/08/21/
「実家」という心象風景
筆者の実家は山形県鶴岡市の郊外にある。日本海沿岸によくある浜辺の瓦屋根の一角だ。街を吹き抜ける潮風が心地よい。
いきなり出オチで申し訳ないのだが、ここでいう「実家」は筆者自身のものではなく「筆者の母親の実家」となる。だから正確な意味での「実家じまい」ではない。
けれども筆者が幼い頃から毎年のように夏休み・冬休みには帰っていたし、ここで親戚や従妹と会ったりもしたのでとても馴染みの深い場所だ。筆者自身は都会育ちだが、都会出身でもこういったシチュエーションの人は割といると思う。
筆者の母親はきょうだいがいるのだが、皆生まれ育った生家から上京をしているため、ここに戻って住むきょうだいはいない。この実家には祖父母が住んでいたのだが、祖母は筆者が小学生の頃に他界し、祖父も大学生の頃に他界して以降空き家になっている。これも地方あるあるだと思う。
空き家となった実家は母の兄にあたる長男が所有権を相続し、現在に至るまで厚意で維持管理をしてくれており、きょうだいやその子(筆者)はお盆や年末年始の折に帰省して郷愁を味わったり昔を懐かしんだりしていた。
筆者も幼い頃から父の運転する車で幾度となくこの実家を訪れており、夏は虫取りに登山、海水浴や天体観測をして遊んだし、冬は雪だるまを作ったりスキーをして楽しんだ。とても思い出深い場所で、筆者の心象風景になっている。
いつか訪れる「実家じまい」の現実
しかし状況が変わった。筆者の父が予想よりも大分早く亡くなってしまったことで、母やそのきょうだいは「空き家問題」に対して、いよいよ真剣に向き合わなければならなくなったのだ。
次世代(孫世代)に迷惑をかけないためにも、やがて確実に訪れる現実に向けて、きょうだいたちがまだ健在のうちに話し合わねばならない。いわゆる終活というやつだ。
こういった話はいかにも揉めそうであるが、幸いにして母とそのきょうだいの仲はいいため話はすんなりまとまった。「売却」だ。地方都市の郊外にある一軒家であるため「賃貸」や「リノベ」は需要が見込めない。また所有権を持つ長男が東京在住のため、管理が難しいという問題もあった。
ともすれば「負動産」になってしまうリスクもあるため売却するしかないのであるが、売るにしても更地にする、リフォームをする、現状売りなど複数の選択肢がある。ここでも需要が読めないため「現状売り」希望として、長男知り合いの地場の不動産屋に相談することとなった。
さて「現状売り物件」として仲介(媒介)してもらうことになったわけだが、この少子高齢化の折である。やはりすぐには売れない。新年を迎えGWも過ぎて梅雨の季節に入ったので、今年ものお盆もギリ帰れるかなと何となく思っていた。
──その矢先、買い手が決まった。先方の物件引渡し希望日は8月との提示を受けた。リフォーム工事を行うそうで、すでに工事業者の人工も抑えてしまっているため引き延ばしは難しいということだ。
実家の売却は決まったが「現状渡し」になるため8月上旬のまでは使用することはできた。家財道具などは「残置物」という扱いになるため、引き取ってくれた方がむしろありがたいそうだ。
母とそのきょうだいにとっては生まれ育った家なので「お別れ会がしたいね」という話が自然と出てきた。祝日のない土日のため滞在時間は限られてしまうが、それでも、と筆者やそのいとこからも同じ意見があったため、忙しい中示し合わせてこうして集まることになったのだ。
母なる大地・庄内の原風景
鶴岡を訪れるといつも感じるのは空の青さと水田の瑞々しさだ。あるいは夜の深さとウマオイの鳴き声であり、または雪の白さと静けさだ。これこそが筆者が幼少の頃から変わることがない庄内の原風景で、母やきょうだいも同じ心象風景を見ているかもしれない。
こうして母の実家は幼少の頃から何度も帰省した場所であるためとても馴染みの深い場所なのだが、しかし今年に帰省した折にあっては、その様相は今まで見てきた姿とはやや異なっていた。実は売却を相談した際に仏壇や家財道具などをある程度移動・処分を進めていて、離れにある納屋も解体して更地になっていたのだ。
けれども、玄関をくぐると何とも言いようのない懐かしさがこみ上げる。ところどころに見られる生活の痕跡……、音が、匂いが、柱の傷が、少年時代から続く在りし日の記憶を鮮やかに蘇らせる。
まとめ
そんなわけで、「実家」に帰るのは今回で最後となってしまった。いつかこんな日も来るだろうと思っていたが、なかなかこみ上げるものはある。まず感じたのは喪失感で、これは身内を失った感覚にほど近い。幼少から慣れ親しんだこの場所はもうすぐなくなってしまう。
否、場所そのものはあるのだ。けれども次にこの地を訪れてももう入れないし、リフォームによってこれまでの生活の痕跡と記憶は消えてしまう。
リフォーム後はイメージを一転して、お洒落で開放的な洋風の間取りとなる予定なのだが、それはもはや「違う場所」なのだ。それまで見守ってくれていた祖父母も消えてしまうような、少し悲しい気持ちになった。
それから実感するのは時の経過だ。筆者が幼少期の頃、この実家はとても広くて大きく見えた。それが今、大人になって帰ってみると意外と小さく見えるのだ。お別れというシチュエーションや、納屋が解体されたこともあって、猶更小さく見えたのかもしれない。
また母も、きょうだいたちもこの事実は意外と冷静に受け入れているようで、ともすればあっさりしているように見えた。筆者からするとそれが少し解せなくて、母に対してつらく当たってしまったこともあった。それだけ筆者にとっては思い入れが深く、寂しかったのかもしれない。
だが同時に感謝の気持ちもあった。いつかこのような日は来るものと思っていたが最後の里帰りは突然で、あっけないものだった。
しかし実家を後にして最後に振り返った時、「今までありがとう」という気持ちで胸がいっぱいになった。こういう心に刻まれた出来事というのはきっと一生覚えていることだろう。そんな「夏の1コマ」だ。
リンク
筆者の心のふるさと、鶴岡市についての観光情報はコチラ(※非公式です)
庄内よ、我が愛しき大地よ。
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