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『日本人です』と言いたい。
『日』という字は、日本人にとって身近な存在だと思う。
欧米にはあまり浸透していない印象があるが『初日の出を見る』文化を大事にしていたり、国旗が日の丸だったりと『日』とは縁が深い。
初期にぶつかる壁
語学を勉強すると、やはり自己紹介は避けて通れない。
しかし中国語の『日』の発音の難易度がものすごく高いのだ。
一部の参考書では『リー』というふりがなが振られているが、ドラマやラジオで聞く限りどうしても単純な『リー』には聞こえない。
よく『カタカナ英語』と言われるように、日本人はカタカナという便利な文字を発明してしまった。
便利さの代償を、ここで払うことになるとは。
そもそも『rì』はピンインと言って、英語のアルファベット読みともちがう。発音の段階でこの調子なのに、中国語にはさらに四声というものがある。
難しい発音を維持しつつ、さらにイントネーションをつけろという無理難題だ。
それでも、私は日本人だ。
負けず嫌いな私は、何度も発音を聞いた。
これが言えないようでは私は日本人ではない。
言葉にするうちに、気づいたことがあった。
英語の『 r 』は舌を上下に折るイメージだが、中国語の『 r 』は舌の両サイドを曲げ、ややアヒル口で『イィ』と発音するとそれらしく聞こえる。
自主練のようすはかなり間抜けである。
声の質は人それぞれ違うので、万人に使えるかと言えばそうではない。本当にこの単語を発音したいと思ったら、それに近づくようにひたすら言い続けるしかないのだと思う。
①私は日本人です。
我是日本人。
②この魚は日本産です。
这条鱼是日本产的。
『食べ』に『行く』
私の中ではこの表現も苦労した。
『食べる』と『行く』は、カタカナで表現すると、どちらも『チー』なのだ。
日常でも多用する単語が、どうしてこうも似ているのか…。
しかしよく見るとピンインも四声もちがう。
『食べる』ほうは吃『chī』になっているのだが、これは先ほどの『rì』と同じ舌の位置と口の形で『チー』と発音するイメージだ。
声より先に息が口から出ていく、日本人には難しい部類の発音だと思うが『ハオチー』という単語は浸透している。
そう、私の言っていた『ハオチー』は本当の『ハオチー』ではなかったのだ。
去『qù』は四声にだけ気をつければ、日本人が普通に発音する『チー』とほぼ変わらないと思う。
①美味しい北京ダックを食べるためにレストランへ行来ます。
我为了吃好吃的北京烤鸭去餐厅。
漢詩は良い教材
中国の小学生は、初めに漢詩を300首暗記しなければならないという。
漢詩の文学的な要素も素晴らしいが、必要最小限の言葉と韻を踏んだリズムは確かに発音の練習にもなると思った。
今回は日本でも有名な杜甫の『春望』を原文で読んでみた。
杜甫は三国志の諸葛亮孔明の大ファンだったらしい。
春望 杜甫
国破山河在,城春草木深。
感时花溅泪,恨别鸟惊心。
烽火连三月,家书抵万金。
白头搔更短,浑欲不胜簪。
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書万金に抵たる
白頭掻けば更に短く
渾べて簪に勝へざらんと欲す
前回の『春曉』音読はこちら。
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いつか中国で『私は日本人です』と胸を張れるように
もっと勉強し、正しく生きる人になりたいと思う。
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