トップアーティストの逸話から紐解く「この親にして」的モーメンツ。
これまで数え切れないほどのアーティスト取材を手がけてきましたが、通訳としてではなく、音楽ライターとして署名記事を執筆するためには独自の質問状を用意するのが基本です。
アメリカのトップアーティストの場合、海外メディアのために用意された時間などごくごく限られているため、持ち時間の中でどれだけ秀逸な回答を引き出せるかは、質問のクオリティ(と通訳のスキル)によるところがかなり大きいのは当然といえましょう。ま、たまには公の場での振る舞いや饒舌さが、取材になると激変してしまうような困った人も結構いるんですけどね。。。ファレルとか。ま、それは置いといて。
まあ、最近ではSNSでアーティストがオーディエンスと直でつながっちゃうので、媒介ビジネスはなかなかタイヘンですよねー。
で、そんな貴重な持ち時間であるにも関わらず、ライター業全盛期が自分の子育て全盛期と重なっていた私は、機会があればそのアーティストの「お育ち」や「親子関係」が垣間見れるような質問をちょいちょい挟み込んだりしていたわけです。もちろん世界の頂点に君臨するからには本人の努力や実力、ネットワーク、運など様々な要素が組み合わさっていることが前提ながら、それでも「『この親にしてこの子あり』のロジックは世界のトップスターにも通用するのか?」を実際に確かめたい、という野次馬根性を満たすのには最適でした。そしてもちろん、あれやこれやのエピソードに感銘を受け、鼻息荒く自分の子育ての参考にさせてもらってきたことは言うまでもなく。
まず、ビヨンセ。たぶん、私がこれまで一番たくさん取材した相手です。
テキサス州ヒューストン生まれの彼女は、営業職のサラリーマンの父と、美容院を経営する母という中産階級のお育ちで、親に買ってもらったカラオケマシーンと共に自室にこもり、新旧のヒット曲をプレイしてはアドリブを入れたり、ハモりの練習をしてみたり、というような「歌唱オタク」な子だった、と振り返ってくれたことがあります。そのうち、娘のあまりのハマりよう(&美貌&才能)に「こ、これは!」と思った父マシューがサラリーマンを辞め、フルタイムのマネジャーとしてビヨンセと妹のソランジュを含むガールズグループ(Girls Tyme)の売り出しを始めた、、、というのは有名な話。それがまさにデスティニーズ・チャイルドの前身となっていったわけですね。そう、「彼女たちはハイヒールを履いてジョギングしているらしい」という、ド根性なビヨンセ都市伝説が生まれたのもこの頃のはず。娘が熱中していることを手放しで応援する度量とその熱量たるや。
そして次は、そのビヨンセの夫=ジェイZ。ジェイZには、息子が大スターになってもなお、米大手電話会社を定年まで務め上げた働き者の母グロリアがいるわけですが(注:その定年退職祝いのパーティーの直前にジェイZと取材した際、メンフィス・ブリークなど当時全盛期だったロカフェラの盟友たちもお祝いに駆けつけてました)、惜しくもグラミー受賞は逃してしまった最新アルバム『4:44』の「Smile」という曲のなかで息子にレズビアンであることを公表されてカミングアウト完了、という素敵なエピソードも一部には有名かと。
ネットから拝借してきた上の写真でも満面のスマイル!そのグロリアさんが、いかに息子が手のかからない自立心旺盛な子供だったかについて「December 4th」という曲のイントロで「まったく無痛で生まれてきた(注:4700グラムを超える巨大児だったにも関わらず)スペシャル・チャイルドだ」と語るくだりがありますが、ちょっと後付け臭いので別ネタを。
どこかで耳にしたジェイZの幼少時のエピソードに、「ある日のこと、自転車に乗れるようになりたい、と心に決めたショーン少年は誰に教わるでもなく、一人で黙々と練習を繰り返してすぐ乗れるようになった」というのがあり。まあ、彼の生まれ故郷であるブルックリンのベッドスタイ地区にあるマーシー・プロジェクト近辺では、お父さんに自転車の乗り方を教わっているというような微笑ましいシーンはそうそう見かけないんですけどね。(最近ベッドスタイに引っ越してきたヒップスター家族は除く。)自立心旺盛じゃないとどこにも行けないし何もできないし金稼ぎもできない、という「ないない尽くし」な環境のなせる技なのかな、と。また、「外で悪さされるくらいなら家の中で大人しく好きなことをしていてくれた方がいい」ということで、非行防止のためにラジカセを買い与えたが最後、大音量で最新のラップをプレイしたり自身もラップしたり、兄妹が母に「あんなモン買い与えやがって!」と苦情を言うほど音楽の世界にどっぷりと浸かっていったのがジェイZのその後のキャリアにつながった(途中でドラッグ稼業にも足を染めつつ)、という逸話もどこかで見聞きした覚えアリ。王道ストーリーながら、適材適所の最たる例かなと。
うわっ、なんかすごい写真を拝借しちゃいましたけど。
次は、拙訳による『デフ・ジャム物語 ヒップホップ黄金時代』(シンコーミュージック刊)で紹介されている、泣く子も黙るヒップホップ最重要レーベル、デフジャムの創始者のひとり=リック・ルービン(写真右)のNYU時代の話。そういえば一時期、ジェイZもデフジャムの社長を務めていましたね。
80年代前半の彼は、ダウンタウンの学生や遊び人界隈で話題のパーティーをオーガナイズするなど、今でいう「イベント好き」な仕掛け人だったわけで。そのパーティーの軍資金の提供からチケットもぎまで甲斐甲斐しく手伝ったりしていたのは、自身も靴の卸売業で立身出世した父親だった、という。息子のアントレプレナーシップ(起業家精神)を理解した上での溺愛っぷりがまったくもって想像の斜め上をいく非常識さで(褒めてます)。
たとえそれが親のひいき目であったとしても、「ここぞ」という才能や先見の明を自分の子供に見た時に、一般的には常軌を逸していようが、「今こそサポートのしどころやで!」と見極めたらポーン、と潔いし気前が良い。まあ、この後リックが大成功したから美談になる、ってところも多いにありつつ、でも親のサポートなしには「レジェンダリーで破天荒なルービン」という人物像も、その彼がオーガナイズするパーティーもこぢんまりとしたものに終始し、その評判も、どんな音楽がかかってるのかも、それほど大きなところにまで普及することはなく(注:当然ながらSNSなど存在しない時代だけに、1回1回のパーティーの盛り上がりが全て、というのは『ゲットダウン』なんかを見れば一目瞭然かと)、下手したらNYUの寮の部屋の中だけで終わっていたかもしれないんだな、と。ヒップホップのマス化の立役者とは、リックじゃなくてその父ちゃんだったのかも、、、っていうのは強引ですね。
そして最後に私が個人的に一番グッときたやつを。ビヨンセ、ジェイZはもちろん、カニエ・ウエストの盟友として、そして最近ではケンドリック・ラマーのプロデュースなども手がけるヒップホップ・プロデューサーのジャスト・ブレイズにも「この親にして」的なエピソードが。これは日本の音楽専門誌で大物裏方特集のような取材をした時に出たネタだったはず。いわく、友人の家の地下室などのホームパーティーのDJを頼まれていた中高生時代のある日、持参した機材のコードがギリギリ電源に届くか届かないか、という緊急事態が発生するも、助っ人としてお母さんが登場し、そのギリギリなコードを素手でピンと伸ばして繋げながらDJブースの後ろで一晩中立っててくれたという。(ガムテはないのか?というツッコミは野暮。)さらにこのお母さんがすごいのは、本人は高校の校長先生まで務め上げた教育者であるにも関わらず、ジャスト・ブレイズが大学入学後、マンハッタンのレコーディングスタジオでバイトし始めたらそっちの方が面白くなっちゃった、大学辞めたい、というと「自分の人生は自分で決めなさい」と、最終的な決断は委ねてくれたのだと。そして、悪名高いヒップホップ業界の大海原に大学を中退してまで飛び込もう、という時のアドバイスが「お母さんに何もかも言わなくていいけど、言えないようなことはしないでね」、という。なんとも愛と信頼の込もった軽プレッシャー!これはうちも息子が年頃になった時に何度もパクったセリフです。
他にも「お前の声は武器になる」という父親の助言によりアトランタでラジオDJとして芸能界のキャリアをスタートさせたリュダクリス、「男として、父親として、人間として、きっちり働いて責任ある行動をしてこそ一人前のギャングスタだ」との名言を吐いたネイト・ドッグ(RIP)など、他にもきっと忘れている数々の逸話がたくさんあったはず。それにしても人選の懐かしさときたら(汗)!
こう考えてみると、やっぱり親が子供のことをよく見ていて、時宜にかなった「ここぞ」のタイミングで最適な声かけや物資、金銭的援助、そして実際に自分自身が稼働したり、本人がその瞬間にもっとも必要としていることを理解してあげることで、まだ原石だった、後の世紀のスターが台頭するための足がかりを作ってあげてることがよくわかる。それがちょっとくらい常軌を逸していても。(と同時に、子供の側にも親が常軌を逸するだけの価値がある、尋常じゃないパッションがあることも確かなわけだが。)他人の目など気にせず、信じたらとことん。子供を信じて賭けに出た、その心意気がその後のスターの親子関係でどう花開くのか、そういうまたとない好例を見ることができたのは幸運だった。
そういうわけで、私もこのような「ヒップホップエリート保護者に続け!」をモットーに(嘘。今作った。)、子供達の熱狂の対象や支援すべきモーメンツを逃さぬよう、常に刮目して子育てしてきたつもりです。そのうち具体例について書きますね。なんだかあまりにも長文すぎてしまったので今日はここらへんにしておきます。