痩せないと意味がない
下の記事にも書いたのだが、わたしは結婚すると約束したひとを自殺という形で失っていた。
それでも、まだ誰かを好きになることや家庭を持つことを諦めきれていなかった頃である。
妹が結婚することになった。
嬉しかった。しあわせになって欲しいとこころから願った。
と同時に、身体がちぎれそうなくらい羨ましいと思った。わたしが手に入れたいのに入れられないものを妹は手に入れたのだ。次にわたしのこころを支配したのは、強烈な嫉妬だった。
わたしはどうすればしあわせに近づけるのだろう。
どうしたら誰かがこちらを向いてくれるのだろう。
焦りが生まれ、加速してゆく。
とりあえず、妹の真似をしてみたらいいんじゃないか。
そんな考えが浮かんだのは、妹が「痩せて」いることにのみ目が行ったからだった。
妹はひどい胃下垂で、全く太れない体質だ。
デニムのサイズも24とかで、「それって靴のサイズと間違ってないか?」というくらいの細さである。
いろんなひとから痩せていることを心配されたり羨ましがられたりと、「注目されるし見てもらえる」存在なのだ。その「注目される、見てもらえる」ようになれば、わたしもしあわせになれるかもしれない……
ここからわたしの痩せることで承認欲求を満たそうとする、歪んだ生活が本格的に始まった。
初めは食べては吐くことを繰り返していたが、だんだん吐けなくなってきた。下剤と、糖と脂肪の吸収を抑えるサプリをバカみたいに飲んだ。
少しずつ体重が落ち始め、周りからも「痩せた?」と声をかけてもらえるようになった。その時の満足感といったらなかった。気分が高揚し、思った通りに自分を管理できているというよくわからないハイな状態に陥った。
妹の結婚式までの1ヶ月ほどの間に、約15kg体重が落ちていた。結婚式に着ていく服を買い直した。
妹の結婚式を終え、痩せてもしあわせになれないのではないかという不安が頭をもたげてきた。
痩せたねとは言われるけど、心配はしてもらえるけど、承認欲求は一向に満たされない。なぜだ。
過食に切り替わるのに時間はかからなかった。食べても吐けず、下剤ももはや効かなくなっていた。
あっという間に体重は戻り、さらに増え続けた。
もう存在する意味がない。こんな体重のわたしなんて、生きている意味がないと思った。
身体のどこかに空いた穴を埋められないまま、食べ物を口に押し込んでいた。
それから20年以上になるが、「痩せないと意味がない」という強迫観念は消えない。
今もスイーツを食べたい欲求に勝てず買い食いしてしまうので、外出すること自体を控えてしまっている。
親と同居しているため、食べないわけにもいかない。
痩せていることをよしとする歪んだ価値観をどうすれば壊せるのか、承認欲求をどうすれば抑えられるのか。全く答えが見つけられずにいる。