グリーフ哲学をーそれでも輝く
実家に帰ったら、お勤めも辞めたわけだから、時間は結構空くのかと思いきや、毎日何やかにややることがあり、また、管理するものが多くなり、必然的にルーティンも増えて、あっという間に時間は過ぎてゆく。そういう時間から、やっとゆったりとした流れとして時間を感じるようになりました。
私が実家にいた頃に三味線を習い始めたお隣さんが、10年前から三味線のお師匠さんになっていて、ご近所のお友達に教え始めていました。
ごく近所の方ばかりだから、私も顔見知りなのですが、誘われて、あまり気乗りはしなかったのだけれども、お稽古日に見学と三味線に触らせてもらいに行ったところ、、、
譜面を見ながら弦を弾くのが意外に面白く、お仲間に入れてもらうことに。ここに引っ越してきたときは、まさか自分が三味線をするとは思いも寄らず、何がきっかけで物事が始まるのかわからないものですね。
哲学もそうでした。実家の斜向かいに国立大学の哲学の教授が住んでおられました。けれども、それを知ったのは、高校生になってから。進路を考えたとき、哲学というのが射程に入ってきたのはその頃でした。その先生が書いた著書も買ったりして、哲学という響きに魅力を感じたものですが、やはり、自分にはなんだか敷居が高そうで、しかも、国立大学には落ちて、哲学科のない私立大学に行ったので、そこからしばらくは、哲学とは疎遠でした。
残念ながら、その斜向かいの哲学の教授は、私がこうして実家に帰ってくる前に亡くなられてしまいました。(合掌)
哲学と再会したのは、結婚して、子宮外妊娠を二度経験してからです。なにかに打ち込みたいという気持ちが、哲学への扉を開いたように思います。
夫が、通っていた大学の教授の退官記念に連れて行ってくれて、そのとき初めて入った構内の空気がとても自分には居心地がよく、その大学のカルチャー講座にまず通いました。
それから、もっと深く学びたくなって、その大学の科目等履修生となって、そして、もっともっと深く学びたくなって、その大学の大学院を受験して、博士課程にまで進みました。やりたいと思ったら、あとはするすると物事は動くものです。
そこまでして、哲学をしたいと思ったのは、科目等履修生となって、大学の哲学の講義を受けたあと。講義棟を出ると、ちょうどこの季節、若葉が陽光を受けてまぶしいくらいに輝く様を見て、なんてこの世は美しんだろうと心が揺さぶられました。そう、そのときはカントの構想力についての講義でした。教養の講義だったけれども、その教授の講義は、その先生のお人柄もあり、知的で興味を大いにそそるものでした。それから、カントの構想力が私の研究テーマとなりました。
世の中には醜いことや嫌なこと、目を覆いたくなるような悲惨なことがたくさんある、それでも、この世はなんと美しくすばらしいものなんだろう。そして、この世を動かしている、その見えないものを説こうとせん哲学の営みの尊さ、それがあの日、講義を聴いた後の私の脳髄を貫いたのでした。なんとも言えない至福感に包まれたあの日のことを、私はこれからも決して忘れはしないでしょう。思えば、それが哲学に向かう私の原点でした。
それから、夫の死があり、哲学をする場でもいろいろとありましたが、それでも、哲学そのものは、私を支え続けてくれました。
美しい、善いと言えるのは、醜い、悪を知ってこそです。私も夫をなくした当時は、いろいろと湧き上がる自分の負の部分を思い知らされました。そして、世間の冷たさや陳腐さも。それまで生きてきたときに知っていたよりも、もっと深く。
でもだからこそ、真心というものを知ることができました。まばゆいほどに煌めく生の輝きに気づくことができました。そして、憎しみがあったからこそ、許しもまたあることを。
実家の庭を眺めながら、それでもこの世は輝いているとしみじみと思っている自分がいます。
何よりも、夫の魂の中にも美しく輝く生のきらめきを見出すことができました。死してなお輝くもの。カントは『実践理性批判』のなかで、不死なる魂を、夜空に煌めく星として形容しました。闇にあるからこそ煌めく魂。
苦悶の果てに、彼もまた輝く星になったのだと思います。