布を巡る旅 ①韓山〜踏十里 🌿ヤン・ヨンヒ監督
布を巡る旅での、忘れ難い食の記憶がある。
note 「布始末」でも触れた、韓国・韓山の苧麻の糸と布の市を見に行った旅の道中。
仁川空港で一行を迎え、マイクロバスで随行して下さった旅の主催者は、中国系で韓国通の男性。何度か食事を共にしたその方が飲み食す様子が何とも美味しそうで、この人はこの瞬間が楽しみでツアーを組んでいるな、と思わせるニコニコ顔が今でも目に浮かぶ。
観光客相手のゴージャスな店は避け、地元の人に愛される、そこでしか味わえない食事が組まれていた。
ある昼食時、マイクロバスが止まったのは、民家が点在する田舎にポツンと立つ、韓国や日本の民話に出てくるようなあばら家 ( 失礼ながら、記憶にはそんなイメージ🛖が定着 )を想起させる一軒家。年季の入ったハングルの木札がいくつか下がっているだけで、目立つ看板もないけれど、今日のお昼はここ、と我らがツアーコンダクター。
待つこと数十分。運ばれてきた湯気の立つそれは、一目で「美味しくないわけがない!」と直感できた。食べ進むと、全ての食材を体が喜んでいるのがわかる。目と舌と鼻で、滋味を味わった。
初めて食べた参鶏湯。作り手は姿を見せなかったけれど、遠来からの人を惹き寄せるだろう、プロの矜持、心意気が伝わる仕事だった。
「布始末」でも書いたけれど、夜明け前、まだ真っ暗な午前4時、裸電球の下で始まる市での、糸と布の作り手と仲買人の駆け引きは、予想通り、いや予想以上のドラマチックな映像となって忘れ難い。雑誌で市のことを知ってから、数年後、韓山のツアーの内容を見てすぐに申し込んだ。
言葉は解らなくても、やり取りの中身が手に取るように伝わってくる。いい仕事をする女は押しが強い。決して引かない。そうした品物には、仲買人も結局は折れる。仕事への respect を示す。
プロとの攻防が一段落すると、一般客との交渉が始まる。私も苧麻の糸を分けてもらった。繋ぎ目がどこにあるのかまったくわからない、細く美しい糸だった。やがて白々と辺りがが明るくなる頃、市はお開きになった。
その後、苧麻の畑や、糸を績み、布を織る工程を見せる工房が集まる場所も見学したが、この市がなんと言っても旅のメインイベントだった。
一度だけの韓国の旅。日韓の関係が難しい時期だった。出掛けて行くのに躊躇もあった。
でも、何であれ、自分の目で見てみないことにはわからない。ツアーが終わり、一行を見送ったあと、ひとりで歩いた街で出会った人々の優しさ。道を尋ねると、手を取らんばかりに丁寧に案内してくださった。街角に立つ、軍服の若者たちも、みな親切だった。
翻訳機能を持つスマホなど無くても、使えそうな韓国語のフレイズを、ノートに20ほどカタカナで書き留めて置いたのがかなり役に立った。韓国語の発音はそう難しくない。都市部では英語も日本語も話す人は多くいた。
ニュースで時々目にする、とんがった人はいないではないか、と拍子抜けしていたら、ちゃんといましたね。
焼き栗の屋台で並んでいた時、「潰れた栗を入れるな💢」と、いきなり怒り出したおじさん。紙袋の中身を鍋に放り投げて、もう一度選ばせていた。言葉は解らずともわかりやすい展開。
ホテルに続く一通の路地を戻ると、時ならぬ渋滞。何かあったかと歩いて行くと、長い車の列🚗🚙🚕🚛🚌を背に、2人の男が、掴みかからんばかりの口論中。車と通行人とのトラブルだったか。止められた車が、クラクションも鳴らさずにじっと待っているのも可笑しかった。
この国の人は、普段は穏やかで優しいけれど、怒るべき時はとことん主張する。すでに韓国ファンになっていた私は、そう理解した。
美術館を巡ったあと歩いた、郊外の骨董街の店主は、外国人(日本人)の懐具合を値踏みするようなところは一切無く、むしろ、日本人のやみくもな購買欲が、いたずらに値を上げてしまう、と苦言を呈しておられた。
李朝の磁器や家具、暮らしの道具の間に、一枚だけひらりと置かれた羽衣のような美しいポジャギを、旅の記念に求めた。仕立てた服を納めに行くときは、ウキウキとこれで包んでいく。
国同士がどんなにギクシャクしていても、個々の人間同士なら分かり合える、と改めて感じた旅だった。
🍁 🍁 🍁
昨日午後、Eテレで、映画監督ヤン・ヨンヒさんが登場する「心の時代」の再放送を見た。朝鮮半島をルーツに持つ家族の過酷な歴史と、日本生まれの自身の子供の頃からの葛藤が、家族写真、映画の映像、インタビューとで構成され、見応えのある番組だった。
監督の実体験が元になった映画「かぞくのくに」の一場面。病気の治療のために日本に来ることを許された兄のひとりには、北朝鮮から監視役が付いてくる。ところが治療も終わっていないのに、兄に唐突な帰国命令が出る。ヨンヒ監督役の主人公(安藤サクラ)が、兄を連れ戻す監視役に言い放つ。
「あの国もあんたも大っ嫌い!」
黙ってタバコを吸い終えた男が言う。
「あなたの嫌いなあの国に、あなたのお兄さんも私も生きているんだ。死ぬまで生きなければならない。」
個人の自由な発想、行動がままならない国でも、様々な思いで生きている個人は、我々と変わらないのではないか。
名前くらいしか知らなかったヤン・ヨンヒ監督。意志の強い、聡明な、魅力的な人だな、と途中から目が離せなくなった。観終わって、原作を読もうと検索したら、古書も含めて在庫0で入手不可だった。映画では言えなかったことも詳細に書いた、と監督が言う著書 「兄 かぞくのくに」。
あとは電子書籍しかない。スマホで本を読むなど想定外だったが、どうしても読みたい、今すぐ読みたい。
まずは"電子書籍の入手の仕方"の検索から…2時間ほどで、一気に読み終えた。
番組の監督の話ぶりそのまま、情景や家族ひとりひとりのほとばしる感情が、手に取るように伝わってくる、映像作家のブレのない語り口に引き込まれた。
帰国事業により、意思に反して渡った国に翻弄された、大好きな3人の兄達。過酷な運命を辿って精神を病んだ長兄の為に涙を流し続ける。彼の国にいて、抗う事が許されない人達のために、自分は入国禁止の処分を受けながらも、映像を通して抗い続ける、怒り続ける、と誓う。
家族や周囲の人間たちの優しさが監督を支える。
朝鮮総連の幹部で兄達には厳しかったアボジは、末っ子の一人娘には甘く、可愛がった。北に渡った3人の兄達は「ヨッちゃんは好きなように生きろよ」と妹を励ます。(近作ドキュメンタリー「スープとイデオロギー」では) 婚約者を家に連れてきた時、かつて日本人との結婚はアカン、と言っていたオモニは、「好きな人と一緒におったらええやん」と、ニンニクをたっぷり詰めた鷄のスープを作ってもてなす。オモニと打ち解けた婚約者は「お母さんには長生きしてもらう」と監督に言う。
独裁国家は理解し難いけれど、そこに住む人々の気持ちや暮らしを、想像してみたいと思う。
こんなに集中して、本を読んだのは久しぶりだ。(初めての)電子書籍、良いかも知れない。読みたい時に、すぐ手にする事が出来るので、モチベーションが切れないのがいい。
やれやれ。また一歩にじり寄ってしまった。スマホと距離を取るのは、なかなか難しい。