バイオリンの最高峰「ストラディバリウス」の再現がいまだにできていない理由
17~18世紀にかけて製作されたバイオリンの最高傑作「ストラディバリウス」。現代の技術や科学をもってなお、その音色を再現することが困難とされています。
バイオリンの最高峰「ストラディバリウス」はなぜ再現できないのか?
バイオリンなんて触ったこともないという人でも、バイオリン職人の「ストラディバリ」の名は聞いたことがあることでしょう。音楽の世界に身を置く人の多くにとって、その名は比類の無い最高品質を意味します。(彼が製作した)ストラディバリウスの楽器が奏でる音色は、他の追随を許さないとされます。
何世紀もの間、音楽家や楽器職人、エンジニアや研究者たちが、「ストラディバリウス」の音色を再現しようと試みてきました。使われた材料からバイオリンの製造法に至るまで、隅々までが検証されましたが、ストラディバリウスはいまだに神秘のべールに包まれています。
そこで今回は、職人の技法、原材料、化学調合物、弦楽器の物理学に細分化して、ストラディバリウスが別格とされる理由を検証し、その再現がなぜこれほどまでに困難であるかを解明していきましょう。
アントニオ・ストラディバリは、1600年代後期から1700年代初頭にかけて、北イタリアの都市クレモナにいたバイオリン職人です。ストラディバリは、ラテン語名のストラディバリウスとしても知られ、通には彼の楽器は「ストラド(Strads)」という愛称で親しまれています。現存する「ストラド」のバイオリンはわずか650挺で、世界中で血眼になって探し求められています。その音色は、「銀のような」品質を持つと評されます。
口で褒めるのは簡単ですが、僕にはぶっちゃけ価値はわかりませんね。科学的に説明するのは、さらに困難です。とは言え、研究者たちがこれまで検証してこなかったわけではありません。
研究者たちは、「ストラディバリウスの謎」を解き明かすべく、化学、物理学、林学、心理学などあらゆる手法で調べを進めてきました。ストラディバリウスの音色を理解するにはまず、バイオリンが音を出す仕組みから見ていきましょう。
まず、バイオリンには一方の端にペグがあり、もう片方の端にはテールピースがあって、その間に4本の弦がぴんと張られています。
弦は、ボディにつけられた上駒(ナット)と下駒(ブリッジ)の間に張られ、チューニングペグを回して張力を調整します。
馬毛の弓で弦をこすると、弦は振動します。振動は両駒を通してボディに伝播します。
ボディは、バイオリンらしい音色を出すために重要な役割を果たします。ボディと空気は同じ周波で振動します。例えば、「ラ」の音では毎秒440回振動します。
ところが、バイオリンのすべてのパーツが同じ周波数で振動しているわけではなく、パーツによっては880、1320など整数倍の周波数で振動します。これを「倍音」と言います。ボディの形や材質によって、強められる倍音や弱められる倍音が異なります。
ボディの形や材質は、バイオリンの「共鳴」にも影響を与えます。どんな物にもあてはまることですが、バイオリンのボディによって、もっともよく共鳴する周波数が異なります。ボディが振動するのと同じピッチで弦を振動させれば、共鳴が起こります。
バイオリンの音色が、ピアノやトランペットとは異なる理由、ひいてはその他のバイオリンとも異なる理由とは、そのバイオリンが出す周波数の音波の、倍音と共鳴の微細なバランスによるものなのです。
ストラディバリウスのバイオリンの振動の違いを、3Dスキャンを使って調査した研究も行われましたが、特異な点を見つけることはできませんでした。そもそも、「ストラド」には多種多様な形体がありながらも、そのすべてが最高品質の音色を持つとされており、形の特性だけでストラディバリウスの音色を解明することはできませんでした。
バイオリンのボディに隠された化学的な秘密
では、ボディの材質についてはどうでしょうか。バイオリンのボディは、通常は異素材の木材を組み合わせて作られています。裏板と側板はメイプル(楓)が一般的で、表板はスプルース(米唐檜、ベイトウヒ)がよく使われます。でも、どんな木でも良いわけではありません。
最高品質のバイオリン材は、固く丈夫で、弦の張力にも負けません。曲げて戻るようなしなやかさも、振動を生む上で求められます。ストラディバリは、表板にアルプス産のスプルースを用いたことで有名です。スプルースの成長は遅く、木目は細かくまっすぐになります。そのため丈夫でありながら軽さと弾力性を併せ持ちます。これはまさに、バイオリン職人にとっての理想です。
ストラディバリが生きたのは、ヨーロッパで季節外れの寒さが1645年から1715年にかけて70年ほど続いた小氷河期末期でした。樹木の成長は鈍化し、均質な木材が手に入るようになったのです。
スイスの研究者グループが、ちょっと変わった物を使ってこの木材の再現を試みました。使われたのはなんとカビです。スプルース材とメープル材を、木材の細胞構造に変化をきたすカビに暴露すると、ストラディバリが使ったものによく似た木材ができました。カビは、木材の密度の高い部位の細胞膜を分解するため、木材の全体密度が均質化するのです。
研究チームはさらになんと、カビ処理を施した木材でバイオリン制作を試みました。名付けて「バイオテク・ストラディバリウス」です。果たして、このバイオテク・バイオリンははっきりと違いがわかる見事な音色を奏で、本物に匹敵すると感じる人も出たほどでした。
ストラディバリが木材処理に使ったのは、塩と燻煙であるという仮説もあります。化学分析により、ストラディバリの手によるバイオリンの木材は何かが違うことがわかってはいるのですが、ストラディバリが工程を書き残すことはなかったため、具体的に何が違うのかまではわかりませんでした。
そこで研究者たちは、やむをえず現状の見た目のみから判断して、逆解析を行ってみました。3艇の別々のストラドのメイプル材を解析してみたところ、経年による自然な化学変化が認められた他にも、アルミニウム、カルシウム、銅などの金属値が高く出ました。このことから、何らかの化学処置が行われたことが推測できます。ストラディバリの行った具体的な化学処置は不明ですが、特異なものであったに違いない、と研究者たちは考えています。
ストラドの品質を高めているのは、良質の材料のほか、経年による変化が考えられます。木材は経年で乾燥が進み、わずかに性質も変化します。木材は、経年により振動を抑える性質、つまりdampening(「dampen」=ドイツ語で「音を止める」の意味)が減少し、振動が長く続くようになります。
ストラディバリウスの音色が唯一無二とされる、心理学的な理由
ところで、ストラディバリにはジュゼッペ・グァルネリというライバルがいました。グァルネリも同じ木材を使用しており、グァルネリの手によるバイオリンもまた、歳月を経て現存しています。そのため、木材の古さだけがストラディバリの特色ではなさそうです。では、結果としてどんなことが言えるのでしょうか。
現時点でわかっていることを並べてみましょう。ストラディバリは疑う余地なくバイオリン製作の名手であったこと、最高の材料を使っていたこと、秘密の化学処置を行っていたらしいこと、そして高級なバイオリンは単純に経年で質が上がる場合があることなどが挙げられます。
しかし、ストラディバリのバイオリンの音色が唯一無二とされるのは、一体なぜなのでしょうか。その前に、これまで誰も疑念を持つことがなかった点があります。ストラディバリのバイオリンは、本当に唯一無二と言えるのでしょうか。今日作られているバイオリンよりも音色が美しいと、果たして断言はできるのでしょうか。
2017年、ダブル・ブラインド・テスト(関わる人が全員どんな薬を投与するのかわからない二重盲検試験)が実施されました。演奏者と聴衆の両方に、現代の物かストラドなのかが知らされないまま、バイオリンの演奏が行われました。すると、どちらがより美しい音色かを問われたところ、演奏者も聴衆もはっきりとした違いがわからなかったというのです。また、現代のバイオリンの音色の方が良かったと答える人が多数いました。
ひょっとしたら、これは心理学の領域なのかもしれません。世界の一流演奏者の手から手へと何世代も伝えられてきた、比類の無いバイオリンを演奏していると演奏者が自覚することで、特別感や貴重さを実感し、襟を正してすばらしい演奏ができるのかもしれません。
また聴衆の方も、何百万ドルもするバイオリンが演奏されていると考えながら聴くことで、特別感や希少性を感じ、見事な音色だと思うのかもしれません。値段を知らされた上で高級ワインを飲むと、よりおいしく感じるのと同じ理屈です。
400年を経た今、私たちは、化学、物理学、生物学の力で、ストラドをストラドたらしめる謎のいくつかは解明できたかもしれません。しかし本当のストラディバリウスの魔力とは、あまたの人々を経て伝えられてきた音楽、歴史、そして科学の力なのかもしれません。
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