短い読書感想文『「わからない」という方法』(橋本治著)
「わからないもの」って何だろうって考えてみると、「わかってしまったもの」は、完結していて、新しい展開がない。「わからないもの」って、徐々に分かりかけると、ざわざわと心が騒いで「わかること」に変わっていく、そういう瞬間が面白い。「わからないこと」が沢山あるって、「わかる未来」が、いつか、背中をたたいてくれて、生きている心地がする。。
引き出しがいっぱいある。
実は、希望が充満している。
「わかる」は、使命を全うして、もう、後片づけが始まっている。。。
などど、本のタイトルを見ながら、考えている。
暫く、キッチンの本棚に飾っていると、家にやってきた友人が、本に気がついて、「「わからない」という方法ねえ...」などと、つぶやいている。そのつぶやきの中には、その本の中には何が書いてあるのっていう好奇心が含まれている。
今、またお昼を食べて、食卓で『熊谷守一画文集』を読んでいると、自画像に添えてこんな文章に出会った。
橋本さんも熊谷さんも、「わからないこと」や「できないこと」を面白がって、方法に変えてたんやねと思います。
ところで、橋本さんの『「わからない」という方法』の前半には、素敵な「セーター本」の話があったり、「わからない」「わからない」といいながらバレーのレッスンに励む熊川哲也さんの札幌時代の話などもあり、興味深いです。
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