大屋好子

絵を描いています。テーマは、主に、「見え方の不思議」です。現在は、シルクスクリーンで制…

大屋好子

絵を描いています。テーマは、主に、「見え方の不思議」です。現在は、シルクスクリーンで制作しています。針穴写真や、布のパターンも投稿. https://pumpkienne.wixsite.com/mysite/people-s-motif

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    ちょうちょと少女/ひまわり

    エッシャーの版画に影響を受け、「見ることの不思議」をテーマに作品を制作しています。境界線によって出来る模様を模索しています。シルクスクリーンで作品を制作しています。ちょうちょの中に現れる少女の姿を描いています。 シートのみの販売になります。 制作年 2024 イメージサイズ 242mm×157mm シートサイズ  382mm×272mm 紙にシルクスクリーン 紙 TMK画学紙 絵具 シルクスクリーン用不透明絵具/セリカラー
    ¥12,000
    小さな空/オオヤヨシコのハンドメイド・クラフト作品・手仕事品一覧
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    花うろこの鯛と結び昆布/さくら

    鯛と結び昆布の2つのパターン繰り返される形で画面を構成しています。お正月から春のさくら咲く季節をイメージして印刷してみました。 制昨年 2023 サイズ 263mm×178mm 額の大きさ 縦304mm×横393mm×厚さ20mm マットの色 ホワイト 紙にシルクスクリーン 絵の具 シルクスクリーン用不透明絵具・セリカラー 版の数 6版 エディション 4
    ¥18,000
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    クローバーのハトとハート

    「見え方の不思議」をテーマに作品を制作しています。ハトとハートの2つのパターンで、作品を構成しています。家の近くの田んぼで、ハトの部分にクローバーの種を蒔いた作品です。発芽初期の段階で写真撮影し、オフセット印刷しました。クロバーの成長段階によって、ハトとハートの形が変化していきます。この作品は、発芽して間もないので、それぞれの形が保たれています。 制作年 2016 イメージサイズ 325mm×390mm シートサイズ 420mm×565mm 紙にオフセット エディション 35 ※この作品はシートのみの販売になります。
    ¥8,000
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    ちょうちょと少女/ひまわり

    エッシャーの版画に影響を受け、「見ることの不思議」をテーマに作品を制作しています。境界線によって出来る模様を模索しています。シルクスクリーンで作品を制作しています。ちょうちょの中に現れる少女の姿を描いています。 シートのみの販売になります。 制作年 2024 イメージサイズ 242mm×157mm シートサイズ  382mm×272mm 紙にシルクスクリーン 紙 TMK画学紙 絵具 シルクスクリーン用不透明絵具/セリカラー
    ¥12,000
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    花うろこの鯛と結び昆布/さくら

    鯛と結び昆布の2つのパターン繰り返される形で画面を構成しています。お正月から春のさくら咲く季節をイメージして印刷してみました。 制昨年 2023 サイズ 263mm×178mm 額の大きさ 縦304mm×横393mm×厚さ20mm マットの色 ホワイト 紙にシルクスクリーン 絵の具 シルクスクリーン用不透明絵具・セリカラー 版の数 6版 エディション 4
    ¥18,000
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    クローバーのハトとハート

    「見え方の不思議」をテーマに作品を制作しています。ハトとハートの2つのパターンで、作品を構成しています。家の近くの田んぼで、ハトの部分にクローバーの種を蒔いた作品です。発芽初期の段階で写真撮影し、オフセット印刷しました。クロバーの成長段階によって、ハトとハートの形が変化していきます。この作品は、発芽して間もないので、それぞれの形が保たれています。 制作年 2016 イメージサイズ 325mm×390mm シートサイズ 420mm×565mm 紙にオフセット エディション 35 ※この作品はシートのみの販売になります。
    ¥8,000
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岡本太郎の「痛ましき腕」の中のリボンについて

高校の図書館で見た画集の中で、記憶にしっかりと刻み込まれているのは、岡本太郎の「痛ましき腕」である。 記憶の「痛ましき腕」を辿ってみると、リボンにはふさわしくない日に焼けた力強いフォルムの腕がある。腕から視線を下ろしていくと、しっかりと握った右手があって、手首には光を放つ金属のブレスレットが嵌められてる。 何かに拘束されているようでもある。 ブレスレットによって装飾される腕。 下を向いている顔はどんな顔か判らず、大きな赤いリボン(これがリボンだというような)が画面の中央

    • 見つからない詩/電球とチビ鉛筆

      記憶ってなんだ。昔あったそこにあった時間、場所、空間を再現すること。再現が出来なくなって、、どんどん記憶が変形して曖昧になる。抽象化して別の新しい形が知らないうちにハバを利かせている。抽象化によって、そぎ落とされたものは何だろう。その、何だろうが分からない。分からないのだからわからない。そぎ落として、落とされて、失ってしまうものは何だろう。。知らないうちに記憶は混色され、、(混色されているんではないか、、)気が付けば失ってしまっているものって。 見つからない詩 赤瀬川原平

      • 表層雪崩

        表層雪崩 夢は表層雪崩 夢を、校庭の隅で始める人がいました 夢を見るのは私であるが、表現するのは別人である 夢は呼吸する 夢は現実に起こされて、現実を代弁する 夢は現実の標本で 現実は夢としばしば結婚する 夢は現実と幸せな生活を送ることが出来る 現実は夢でやり残した仕事をする 現実は夢を出荷している 現実はいつも夢の調達方法を考えている 現実はいつも夢にしがみついている 夢もまた現実にしがみついている 夢はいつも現実の相談相手になっている 現実は時々夢に身震いして、現実を養

        • 『思考する魚』と『反芸術アンパン』の中の瀧口修造

          蔵にしまい込んでいた本を見かえしている。捨てる本、残しておく本、本の未来を分類している。しかし、本を仕分けして、一歩前進したつもりの都合のよさってなんだろう。そんな都合のよさは、本にとっては迷惑だろうな。。 今、掘り起こしている本は池田満寿夫さんの『思考する魚』、1974年、池田さん40歳頃に出版された全エッセイ集だ。めくっていると、面白そうなので寝る前に読んでいる。結構分厚い。 昨日は、「魅せられた人々」というタイトルの中に、「厳粛なる微笑・瀧口修造のために」という一編を

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        岡本太郎の「痛ましき腕」の中のリボンについて

          赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2 つづきのつづき『なんでもないものの変容』

          文章に書いてみて、はじめて、そうだったのかと発見することがある。文字にして状況を繰りかえす、反復することで、表面にある覆われたものは取り除かれていく。書くという言語活動はいろいろなものを掘り起こしてくれてて、うれしい。 1988年の「トマソン黙示録」展の小さな新聞の切り抜きに書かれていることを読み直すまで、赤瀬川原平さんにとっての瀧口修造さんについて考えることはなかった。8回目の瀧口修造氏のオマージュ展だったという佐谷画廊での「トマソン黙示録」展。1回目から7回目はどんな展

          赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2 つづきのつづき『なんでもないものの変容』

          『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2 つづき

          「トマソン黙示録」の展覧会 赤瀬川原平さんに会ったことがある。 銀座の佐谷画廊で、「トマソン黙示録」の展覧会が開かれている時だ。 ちょうど、赤瀬川作品を読み始めた時期だった。芸術新朝の「ひしゃげた親切」が出てくる文章が面白いと友人に力説すると、今、銀座で赤瀬川さんは個展中(らしい)だから会いに行ってみたら、などと言う。 「最終日に行けば絶対に会えるよ!」 と、新幹線代まで用意してくれた。 地下一階にある佐谷画廊の階段を降りると、案の定、赤瀬川さんは、ファンらしき男女と中

          『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2 つづき

          赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2

          少なくとも人間は重工業 付箋バサミの数だけ気になった個所はある。付け忘れていなければ。付箋バサミを確認しながら、言葉を2度味わう。 人間と重工業の組み合わせは、何か気になる不思議な組み合わせだ。資本主義社会の象徴としての重工業、管理社会に組み込まれて、機械の一部でもあるような人間の在り方、プレスされた鍋にオブジェという称号を与えることのできる肉体も重工業のシステムの一部であるということだろうか。 また、重工業というと、岡本太郎の「重工業」という絵が頭をよぎってくる。「重

          赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2

          赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。

          『オブジェを持った無産者』をもらう  昨年の暮れに、近くに住む友人のⅭさんとお買い物に出かけた。時々、Cさんは、車の運転できない私を町に連れ出してくれる。帰りに、赤いギンガムチェックの紙袋を「どうぞ」と手渡してくれた。家に入って見てみると、『オブジェを持った無産者』が出てきた。思わず、「わツ!」と固まってしまう。赤瀬川本は、結構たくさん持っているのだけど、この本は持っていない。第一、ちょっと高いし、4千円以上する。うれしい~。それで、今、赤瀬川原平の文章『オブジェを持っ

          赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。

          わたしたちのオーデン

          『わたしたちのオーデン』というのは、『オーデン詩集』(深瀬基寛訳)の最後にある解説のタイトルです。いいだももさんが書いています。 以前、『見るまえに跳べ』について思い出したことを書いてみたので、本の整理をしている時に目に入ってきた、この『オーデン詩集』を読むことにしました。懐かしさを感じつつも、何十年も(なんと!)閉じたままで、積読状態にしてにしておいたのは、本に申し訳ないと思っています。でも、そういう本がいっぱいあります。いつかのための本。いつかというぼんやりした未来を背負

          わたしたちのオーデン

          三つの視線

          せの君の如何ありやと見ておれば     火鉢の湯気の立ち上る見ゆ この間、思いがけなく、祖母の日誌を開いてみた。その中にある、祖父を歌った情景が心に残った。 火鉢の前にすわって、おそらく鉄瓶の湯気を見ている祖父がいる。湯気が立ち上っているので、炭もあかあかとよく燃えている。赤く熱した炭火が、安定した火力で部屋を暖めている。 立ち上る湯気を見る祖父 ↓ それを見る祖母 その情景を歌に詠む ↓ その歌を長い時を経て鑑賞するわたし 言葉で残されたものは、言葉を辿っていくとそ

          三つの視線

          夏の夜に少年を加える

          暑い夏の夜に、終わらない農作業の合間に、3人の少女の中に少年を描き加えてみました。沸騰する暑さが、無彩色の世界で少しおさまればいいのですが。またしても、暴走する表現欲のブレーキをかけることになりました。

          夏の夜に少年を加える

          版画は楽しい

          丼鍋のステンレス感が気に入っています。丼鍋のどこに惹かれるのか考えると、まず、形がシンプルで、邪魔にならない使用感であること。あまり丼という料理をしたことがないので、調理する映像が目に現れて憧れる。ほこりが、うっすら溜まっていても美しい。鍋の薄さがいい。取っ手が変わっている。中央が膨らんだエンタシスの柱のようである。銀のステンレスと黒い取っ手がいい感じだ。円盤状の蓋が面白い。 この丼専用の鍋を、ピンホール写真の題材にしている。ピンホール写真は、絵を描くのに近い感覚があります

          版画は楽しい

          定型詩について考えていたら

          マンガも小説も省略の様々な形態だとすると、その省略の仕方に表現の個性が現われて作品になる。575,57577という型に言葉を省略する俳句や短歌のなどの定型詩について考えていると、繰り返しで平面を充填する絵画は定型絵画と言えるのではないかと気がついた。このような呼び方は初めてだ。この定型絵画も、まず、制限が前提にあって、そこが出発点になる。 自分で、一応制限のルールのようなものを決めている。ルールはいろいろ制作しながら、考えている。ついこの間作っていたのは、ハートの間に2人の

          定型詩について考えていたら

          鰻と腎臓のはなし(『オン・ザ・ロード』再考)

          腎臓を心配するディーン ディーンの方がサルよりも、いろいろな経験をしているという意味でずーっと大人だ。病気のサルをほっておいて、自分にとっての緊急性を優先してしまうようないい加減さも、あえていうなら、生きる逞しさかなと思う。なんか、全然憎めない。さらに、ワイン中毒の父を小さい時に弁護したという経験を持ち、まだ、ずーっと、行方不明の父を探している。そんな不幸にも埋没していないディーンの生き方が愛しい感じがする。最後の方で、お金の入ったサルと一緒に、ニューヨークに向かう時、レス

          鰻と腎臓のはなし(『オン・ザ・ロード』再考)

          〈繰り返し〉について考えたこと

          反復と連続性、繰り返すものが いつも気になっている。 同じ形で繰り返される模様に、 何かしら、心が落ち着く。 〈図〉と〈地〉が反転したり、 平面がいくつかの同じ形で埋め尽くされるので、 〈埋め尽くし〉と呼んでいる。 それぞれの形が〈図〉であり〈地〉であるときは 背景が失われている時だ。 あるいは背景が〈地〉であり、〈図〉であるときだ。 その時、〈図〉と〈地〉の境界線は共有されて、 領土を分かち合っている。 この間小川洋子さんと平松洋子さんの 『洋子さんの本棚』とい

          〈繰り返し〉について考えたこと

          覚悟たち

          捨てるのはなんと難しいことか。 今あるものを別のところに置くだけで、 なんか、違和感をおぼえる。 夏の間、ずっと開けっ放しにしていた台所の 戸を、秋の肌寒い空気に変わるころに閉めると、 いつもとは違ういつもがやってくる。 いつもとは違うちぐはぐになれるまでに、暫く時間が 必要なこともある。 人は、変化に弱いし、 慎重だと感じることはたびたびです。 しかし、思い出すと、 高校の卒業時の寄せ書きに書いた言葉は・・・    見る前に跳べ でした。大江健三郎の大ファンだったから