世間は普通の生き方が偉いと言っておきながら普通でない生き方に憧れている
世の中にはモデルケースがあり、これを基準に考えられています。いわゆる普通というものです。
しかしその一方で、憧れられる生き方はモデルケースと全く違います。
普通が当たり前としておきながら、普通の人がなれない職業に対する憧れが強いって矛盾しています。
今回は普通の人生と憧れられる生き方を比べてみます。
普通の人生とは
大学まで進学して、安定した会社に入って、順調に昇進・昇給し、30歳前後で結婚して子供を持ち、中年くらいで家を買い、定年したら引退して年金暮らしというものです。
これがモデルケースであり普通、この通りの人生をみんなが子供の頃から目指すことを求められます。
モデルケース通りの人生を歩めれば、立派な人、しっかりした人、優秀な人と褒められます。
しかしモデルケース通りの人生を歩めないと、落ちこぼれとか道を踏み外した人、常識がない人という扱いです。
最近はそこまで強く言われなくなったかもしれません。だんだん個性とか多様性が受け入れられ始めたのでしょう。
私はもちろんモデルケースとは遠い人生を歩んでいます。底辺の落ちこぼれですからね。
しかし今はこのモデルケース通りの人生を歩める人が6人に1人しかいないと言う投稿をどこかで見かけました。
収入が増えず、物価高、増税、社会保険料アップなどが重なり、若者の可処分所得が減っているせいで、若者が結婚できないからというのもありそうです。これもよく言われていることだなぁ。
憧れられる生き方とは
人気がある職業は会社員と公務員でしょう。会社員って何だよと人気職業ランキングを見る度に思いますが。会社員なんて職種が沢山あるんだし。
しかし一方で会社員をやっている人は仕事に対する不満が多く、エンゲージメントが低いです。高エンゲージメント従業員は5%程度しかいないからです。
つまり普通の人生が偉いと言っておきながら、普通の人生は不満タラタラなのです。矛盾していますね。
ではどんな生き方がいいのか?
近年憧れられている生き方として、YouTuberがあります。どこで見たか忘れましたが、なりたい職業ランキングでトップの方に挙がっていたのを見たことがあります。
YouTuberでなくても芸人や役者、ミュージシャンなども人気があるかもしれません。
また最近はFIREと言う言葉が流行っていますね。不労所得で生計を立て、会社には通わなくていい、労働しなくていいという生活スタイルです。
子どもにとってはアスリートは意外と人気が高いようです。
スポーツでは海外で活躍する選手がいるのも影響が大きそうです。また駅伝やマラソンなどはTVで見かける機会も多いです。
もちろん普通でない生き方は狭き門です。その上いつまで続けられるか、すなわちいつ収入を得られなくなるかが解らない仕事です。
YouTuberなんて近年は広告収入が激減したというニュースもありました。それだけで生計を立てられなくなります。芸能人はいつ売れなくなるか解らない仕事です。
アスリートだって怪我や病気で続けられなくなる可能性があり、さらには30~40歳で引退しなければいけません。どうしてもセカンドキャリアが必要になり、これが上手くいかないようです。
成功者の話はいつもメディアに出てくる
普通の生き方がモデルケースとされる一方で、普通でない特別な生き方に憧れるという話をしました。
これに加えて、メディアや書籍に出てくるのは成功者の話ばかりという厄介な問題があります。SNSに流れてくるのも成功談ばかりですね。
成功者の話しか出て来ないと、誰がやっても成功するのが普通に見えてしまいます。
1人の成功者の裏には1万人くらいの敗者がいるものだと思うのですが、敗者は見えないので、存在していないと思われてしまいがちです。
YouTubeなんていい例です。ユーザーが見ている動画のほとんどは、チャンネル登録者数が数百~数万、再生数も数千~数万です。
こうなると誰でも動画を作ってアップすれば、これくらいになれると思い込んでしまいます。
ましてや人は楽観的な人の方が多いです。楽観的なら他人にもできるなら自分もできると思い込んでしまいます。自分の方が優秀、自分の方が上手くできると思う人だって少なくないでしょう。
しかしやってみると現実は違います。特別成功した人だけが目に付くのがネットの世界なんですよね。
ちなみにYouTubeがいかに大変かは別途記事を書いています。
「YouTube チャンネル登録者数 増やす」とか「You Tube 再生数 増やす」などで検索すると、チャンネル登録者数や再生数を増やせている人は、毎月数本の動画をアップしているようです。それでいて宣伝にも力を入れています。
とてもじゃないですが、よほど好きでないと続けられません。無理してやったら簡単にバテるレベルです。私は月1回ペースです。好きでやってもこんなものです。
目に付くのは成功した人ばかりで、敗者は目に見えないのです。生存者バイアスというものです。
成功談ばかりが目に付くという曲を作ったこともありました。
普通じゃない生き方をすればいいじゃん
みんなと一緒でなければいけない時代が長く続いていましたが、そろそろ個性とか多様性に対する理解が出てき始めました。
みんなと違ってもいい、自分がやりたいことをやればいい世の中になれば、そしてそういう生き方でも認められるようになれ、どれほど生きやすい世の中になるだろう?そう思ったことは数えきれません。
でも段々そういう時代になっていくでしょう。
私は子どもの頃からモデルケースを強制され、優等生がみんなしてモデルケースを理由もなく盲信し、モデルケース通りでないことを愚かと怒られてきました。
それゆえなぜ社会が決めた生き方、社会が決めた人格にならないといけないのかずっと疑問でした。
ようやくそうでない流れがここ10年くらいで出始めています。
noteだってそういうことを発信できる場です。YouTubeでも再生されるのは難しいけど、自由にやってることを発信できます。
仕事だって自分で好き勝手にやることは裁量がある仕事(マネジメントやコンサルなど)を選べば好き勝手にやれます。社会人たるもの云々なんて押し付けられずに済みます。
モデルケースが自分に合っている人はモデルケース通りの人生を歩み、自分は個性が強いと思うのなら個性的な生き方を選べばいいと思います。
それをわがままで自分勝手と怒られるのが世の中というものですが、次第に言われない時代になるでしょう。
自由が何よりも尊重されたらいいなと私は思います。
終わりに
普通とかモデルケースに囚われると、その通りになっていない自分を責めてしまいます。自分で自分を責めなくても周囲に責められるという困った問題もあります。
でも本当は自分は自分の価値観で自分の人生を歩めたらいいなと思います。
周囲がどう文句言ってきても、やりたくないことをやったら不幸になります。自分がやりたいことをやった方が幸せになれます。
やりたいことを我慢する必要なんてないです。所詮はみんなと一緒文化による押し付けです。
自分が楽しく自分らしく生きられる方法を模索し、楽しい人生を歩んでいきたいものです。