世界史 その32 ミケーネ文明

 ただのお勉強ノートになってしまってからも、のろのろと続けている世界史シリーズ。ヒッタイト、エジプト新王国、ミケーネ文明についての記事を書いて最後に海の民について纏める、というのが最初の心づもりだったんですが、ヒッタイトとミケーネ文明の滅亡に海の民の関与の度合いはそれほど大きくない、ということがわかってきまして、また全体の構成から考え直しという状況です。そもそも海の民についてわかっていることもあまり多くないようで・・・。
 とりあえずミケーネ文明について纏めていくことにします。

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 青銅器時代のはじめ、ギリシャ本土にはヘラディック文化、エーゲ海島嶼部にはキュクラデス文化、クレタにはミノア文化が栄えていました。ところが紀元前2000年前後、ギリシャ本土の多くの遺跡で多くの集落が焼け落ちるなど騒乱があったようです。この時にミケーネ文明を担うギリシャ人の祖先がギリシャに現れたのではないかと推測されています。
 前16世紀ごろまでに、彼らはミノア文明や更に遠くオリエントの文明に範をとったような宮殿を中心とする都市文明を築いていきました。これら宮殿はミノア文明の宮殿と同様に、物資の集中と再分配のセンターであったと考えられてきましたが、近年はそれを否定する知見が集まりほぼ否定されているとのことです。

 ギリシャ本土と本土に近い島には、ミケーネ文明の名前の元となるミュケナイをはじめ、宮殿を中心とする小王国が多数存在しました。王国というと後の都市国家ポリスより広い領域を支配したように感じますが、それぞれの王国の領域は後の古典ギリシャ時代のポリスの支配領域と比べて必ずしも広いわけではありません。
 ミケーネの土器はオリエント沿岸部からイタリアの沿岸部、更にはスペインからも発見されており、古典ギリシャ時代の人々と同じように、ミケーネ文明の人々も海上交易を積極的に行っていた様子が伺えます。陶器の壺などはそれ自体が交易品なのではなく、葡萄酒やオリーブ油の容器として輸出されたのでしょう。輸入もまた活発でオリエント全域の産物ばかりでなく、バルト海産の琥珀や、エジプト経由でもたらされた象牙なども取引されていました。
 ヒッタイトではアナトリア西部のアルザワの更に西にアヒヤワという国があると認識されていましたがこのアヒヤワはアカイアと同じ言葉で、ミケーネ文明の領域のことだと考えられています。

 ミケーネ文明ではミノア文明で使われていた線文字Aから、ギリシャ語を記述するための線文字Bを生み出しましたが、記述される内容はごく実務的な内容に限られ、文学的な文書は存在しないようです。ミノア文明圏のクレタ島でもB.C.1450年頃にも線文字Bで書かれた文書が出土するのは、ギリシャ語話者がクレタ島の支配者になっていたことを示すものかもしれません。

 繫栄したミケーネ文明ですが、B.C.1200年頃の所謂「前1200年のカタストロフ」により終焉を迎えます。ミケーネ文明の諸王国の中心だった宮殿は焼け落ち、推定される人口は最盛期の約30%にまで落ち込み、人々の体格は衰え家屋も小さくなったとされています。
 この後の時代は文献史料の乏しさからかつては「暗黒時代」と呼ばれていましたが、近年では単に「初期鉄器時代」と呼ばれます。青銅の原料である銅や錫を入手する交易ネットワークが機能しなくなったため、代わりに鉄が使われるようになったためです。
 このカタストロフの原因としてギリシャ人の第2派であるドーリス人の侵入や、エジプトの碑文でヒッタイトを滅ぼしたと書かれた「海の民」によるものといった説が唱えられています。ただ都市の破壊自体は外来の民族によるものだとしても、それはむしろカタストロフの原因ではなく結果であり、原因は気候変動や、あまりに相互依存的になりすぎた東地中海世界が何らかの原因でドミノ倒し的に破局したといった説も唱えられています。
 多くの都市が破壊された後、放棄された都市も多くありましたが、再建された都市も多く、また破壊を免れたアテネは多くの避難民を受け入れて市域が拡大した可能性があります。またこのカタストロフは、イオニア地方やキプロス島へギリシャ人が拡散するきっかけにもなったようです。それでもミケーネ文明を特徴づける線文字Bの使用や宮殿建築は衰え、ミケーネ文明は崩壊を迎えました。
 ミケーネ文明の崩壊から古典ギリシャが再び繁栄を始めるまで「暗黒時代」とも呼ばれる初期鉄器時代の数百年を挟みます。このためミケーネ文明と古典ギリシャの間には断絶があると考えられがちですが、ギリシャ語の使用の他、ゼウスやポセイドンといった古典期の神々の祖型となる神格が崇拝されていたこと、ホメロスの作とされる叙事詩でミケーネ文明時代の出来事が語り継がれてきたことなど、ミケーネ文明から古典ギリシャへの連続性は確かに存在し、無視できないものであると考えます。

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 纏めるのに苦戦した記事は、できあがりも箇条書きっぽくて面白味のないものになりがち。
 トロイア戦争の話は好きなんですけど、記事に組み込めませんでした。どこかで独立して記事にしたいけど、調べても結局、考古学的にはわかってないことが多いことがわかったって結論になりそうな気もします。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。


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