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『どくヤン!』第4話「派閥」振り返り

令和最初にしておそらく最後の読書×ヤンキーギャグマンガ『どくヤン!』の協力・仲真による各話振り返りテキスト第四弾です。

「そもそもどういうマンガ?」という方への『どくヤン!』紹介記事
第4話ツイッター公開リンクコミックDAYS『どくヤン!』第4話リンクコミックDAYSのスマートフォンアプリなら無料チケットでご覧いただけます)
・過去の振り返り:第1話「どくヤン」第2話「こころ」第3話「ドッカン」
・『どくヤン!』単行本リンク:第1巻第2巻
第3巻(電子のみ)

『どくヤン!』は、入試フリーでお金もかからず、本さえ読んでいればどんな不良でも存在を許される私立毘武輪凰(ビブリオ)高校を舞台にするギャグマンガです。

好きな作家名

第1話~第3話の読み切りがDモーニングに一挙掲載され、ありがたいことに連載が決まりました。この回は、連載として最初の回でもあるため、序盤でなんとなくビブ高がどんな学校かわかる描写が。

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1コマ目左のヤンキーの30代っぽさよ。それはそれとして、ヤンキー御用達のスプレー文字が炸裂。しかしビブ高の落書きは「喧嘩上等」や「夜露死苦」だけではない。

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ビブ高は、好きな作家の名前をスプレーで落書きする読書ヤンキーが集う不良高校なのであった。饗庭篁村(あえば・こうそん)とかよくソラで描けるものです。何回かやり直した形跡が他にあるのかもしれませんが。

派閥

本さえ読んでいれば、入学料も学費もいらないビブ高に、単にお金のかからない高校と思って転入してしまった主人公・野辺雷蔵(のべ・らいぞう)は、本が全然好きではない普通のシャバ僧です。

そんな野辺は、特に濃い目のどくヤンが多そうなクラスに入ってしまうものの、転入初日に学校の中でも一目置かれていそうな私小説ヤンキー・獅翔雪太(ししょう・せつた)に出会っていたことで、色々ありながらもどうにかクラスに受け入れられます。

ところが、その日、野辺が教室に行くと少し空気が……。

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野辺の“派閥”を確認するどくヤンたち……!

2年生、3年生、総番、裏番など、さまざまな派閥を想像する野辺であったが、さにあらず……!

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まだ本にそこまで興味がないことがバレていない野辺が何(ジャンル名)ヤンキーであるか――という話題でクラスが盛り上がっていたのであった。

このエピソードはコミックDAYSのアプリでチケットを使わずとも、ツイッターで公開しているのでぜひ本編をご覧いただきたいのですが、この後さまざまなどくヤンたちが己の派閥を広げようと、野辺が自分の好きなジャンルを好きに違いないと主張ないしは詭弁を弄しまくります。その結果、

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時代小説ヤンキーの北方拳が官能小説ヤンキーに炸裂。野辺は時代小説好きに落ち着くのかと思われたそのとき、彼らに襲いかかったのは読書ヤンキーではなく猪の大群でした。

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近年、山だけでエサを賄えないのか、猪が人里に降りてくるケースが増えています。『どくヤン!』はそんな社会問題も積極的に切り取りたい――とは特に思っていないけど、猪が登場するまでの流れやその解決はぜひマンガにて!

今週の一冊は池波正太郎『梅安料理ごよみ』。なんというか、上手いんだけど力技、的な形でこの本に流れ着く、よくできている一話だと思います。

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第4話余談①

この回はいつにも増して余談が長くなりそうです……。

『クローズ』シリーズの高橋ヒロシさんがTHE STREET BEATSや横道坊主など、好きなバンド名を落書きするアレの読書版的な、この落書きにもかなり紆余曲折が。

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(その前のページには海野十三六道慧の名前もある)団鬼六、饗庭篁村、西尾維新、円居挽、銀色夏生、舞城王太郎

連載決定の祝いを兼ねた打ち合わせで、昼間の北千住の居酒屋で話していたため細かいメモは残っていませんが(喫茶店などでの打ち合わせならその場で私がパソコンにメモ。飲み屋の場合はその場でスマートフォンにメモするカミムラさんに多くを依拠)、銀色夏生の名前を出したのは私だったはず。トータルでパンチが効いてる感じがありつつ漢字自体は難しくない。またヤンキーっぽくはないけれど、意表を突く感じがあってもいいのかなと。

その後、左近さんのシナリオが完成して3人で読んだ際に、本好きのモーニング読者は小説が好きな男性が多そうで、銀色さんを存じ上げない向きも多いのでは……という意見が出て、色々書く方向にシフトチェンジ。

さらに、公開前には西尾維新が差し替えで入ることに。作画も一度行われた後、カミムラさんのアシスタントさんより「作家名だとわからない人がいる気がする」とご意見をいただき、お一人を西尾維新に入れ替える形で公開に至りました。

第4話余談②

『どくヤン!』に登場する読書ヤンキーたちの中でも、かなりの好人物である官能小説ヤンキー・伽野桃春(とぎの・ももはる)が、新聞連載の小説を切り抜き野辺に渡すシーンがあります。

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そんな伽乃の初登場時(1話)はこれ。

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こんなにグルグルした目、私はヤバいヤツか『だがしかし』しか見覚えがありません。そして『どくヤン!』が『だがしかし』でない以上、ヤバいヤツと見ていいと考えていました。この行動(と野辺の感想)がきっかけで「ハアハア言ってるけど良いヤツ」という芯が出来ていった気がします。

これは最後にまた触れますが、前回の振り返りを読んでくれたカミムラさんがこんなツイートをしています。

特に連載初期は、キャラクターの内面が固まっておらず、1つの印象的な描写があると、それがキャラクターの軸になる。そして、ギャグマンガなので面白い描写であればどんどん採用される(「ここは変更したい」という意見が出ることもあります。逆に言うと、ある程度回数を重ねて以降は「面白いけどここは要検討」みたいな意見が出ることが増えているような)ので、ギャグがキャラクターをつくっていく部分がかなりあったように思います。

伽乃が完全に主役になっている16話~18話の長崎・修学旅行編では、公共の空間で度々勃起を繰り返しているのですが、それでも「良いヤツ」としか言いようのないエピソードになっています。そんな伽乃も新聞の切り抜きから生まれている(?)と思うと不思議な気持ちになります。

あと、「最近のスポーツ新聞に官能小説は載っているのか?」という話になり、左近さんがデイリーとサンケイスポーツ、私が東京スポーツを買って確認しました。あれから約1年、新聞の官能小説はまだ元気でしょうか。オリンピック、延びちゃったよ。

しかし、こんなちょっとした描写やギャグがその後のキャラクターの言動をリードしていく現象は、二人の漫画家の作劇を傍らで見ていて非常に興味深いですね。キャラクターの中身は蝶の蛹のように何があるのかよくわからない状態で、さまざまな描写が積み重なって、気がつけば中身ができあがっているというか。

また、この目線で言うと、すでに作中に何度か登場していて、幼虫の体は溶け切っているけど、未だに成虫の体は形成されていない蛹状態のキャラクターもまだたくさんいる気がします。できるだけそれを描けるように応援していただけると嬉しいです!

第4話余談③

北方謙三が大々的にフィーチャーされている今回。

単行本には、どくヤンのデータと描き下ろしマンガ、各話に登場した本の燐棄斗(リスト)が収録されています。下記の記事でいくつか見られますのでよろしければぜひ。

そんな1巻のコラムをお読みいただいた方はご存知のように、左近さんの北方水滸伝愛は存じ上げていたので、遂に来たか、という感じでした。

そして、「ソープへ行け」

実はこの部分、ヤンキーマンガでタバコもスパスパ吸ってはいるものの、基本的に優しい世界の本作っぽく、原稿作成の時点でもう少しマイルドな表現にセリフが変更されていたことをキッカケに、「ソープへ行け」をカミムラさんが知らなかったことが発覚する事件が。女性はともかく、中年以上の男性は全員知っている、くらいに勝手に思っていた私には結構驚きでした。「このセリフはこうこうこうなので元に戻しましょう」と説明するのがちょっとおかしかった。

ご存知ではない方は、これらの記事をご参照ください。

そして北方謙三から、『梅安料理ごよみ』への流れ。これは本当に見事だと思うのですが(私はストーリーには基本的にそれほど関わっていないので他人事のように褒めさせてください)、打ち合わせ終わりにしたメモで、すでに北方謙三と『梅安料理ごよみ』、この本を持ち出す某ジャンルヤンキーの名前が記されていました。左近さんは最初から頭の中で結びつけて、打ち合わせで本の話も出していた模様。

アイデアが出てから本を探したのか、本からアイデアが生まれたのか……。いずれにせよ『どくヤン!』でも指折りの整っている(けど、どうかしている)回だと思います。

我々の打ち合わせからシナリオができるまでの流れは、

①「今週の一冊なども含め、かなり細かいところまで筋ができた上で解散」
②「結構フワフワした感じなんだけど、左近さんが『大丈夫だと思います』とか『一回書いてみます』となって解散」


という2パターンに大きく分けられます。

この回は、それなりに話し合いはしたものの、後者だったはず。こちらの場合、私やカミムラさん――特にカミムラさんはシナリオのFIXが遅れれば遅れるほど自分のネーム・作画作業がしんどくなるので――は楽しみな気持ちがありつつ不安も抱くのですが、なんとなくヤバいシナリオが出てくるときは②が多い気がするので、また私たちを怯えさせてほしいというMな気持ちが左近さんに対してあったりもします(笑)。

第4話余談④

最初のうちは、左近さんのシナリオにおける各キャラのセリフは普通のヤンキーっぽい言葉遣いで、キャラクター固有の喋り口調は絵を描いて動かしていくカミムラさんがネーム段階でそれぞれに変更したセリフを入れていくパターンがよくありました。

第4回の時代小説ヤンキー・地代のこのセリフ、私は超好きなのですが、これもカミムラさんが入れたものであったはず。

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私もいつか「やるな協力の…」と言ってもらえるnoteを書きたいものです。

note版「今週の一冊」その4
『新装版・梅安冬時雨 仕掛人・藤枝梅安(七)』

池波正太郎『新装版・梅安冬時雨 仕掛人・藤枝梅安(七)』(講談社刊)

『どくヤン!』をずっと読んでくださっている読者様の中には、序盤で何度か池波正太郎がフィーチャーされている割に、時代小説回(第14話「母と息子と遼太郎」)には出てこないんだな、と思った方がいるかもしれません。

これは、池波正太郎成分は私から、第14話の内容は定年後研究のために大学に入り直して藤沢周平の論文を書いたという、凄すぎるプロフィールをお持ちのカミムラさんのお母さんから来ているためです。

私の家はあまり裕福ではなく、アルバイトができるようになるまで、読む本の多くは小学校の図書室や近所の図書館の蔵書でした。

後者の図書館は入り口の正面にカウンター、左折すると児童書コーナー、右折するとその他の本や雑誌の棚、読書スペースがあるつくり。私は背伸びをしたかったのか、図書館で左側の本を読んだ記憶はほとんどなく(小学校の図書室では子供向けの本を借りていましたが)、いつも入ってすぐに右折していました。

すると、すぐに国内作家の作家名あ行~の文庫本棚がある柱が目に入ります。私は「本がたくさんある作家は面白いだろう」と思い、奥に行くよりも、まずはそこにある本から読んでいきました。そして、赤川次郎などを経て池波正太郎にたどり着きました。内容を悲しいくらい憶えていないものの、池波正太郎の本は全て読んでいたつもりです。10冊以上著書がある作家で、全著作を読んだはずと言えるのは池波正太郎だけで、私にとって特別な作家なのです。

細かいところの記憶は怪しいものの、私が少なくとも全著作を読んだ気がしていられる大きな理由として、私が図書館に足繁く通うようになっていたとき、池波正太郎はすでに亡くなっていたことが挙げられます。

そして、この藤枝梅安シリーズの最終巻である『梅安冬時雨』は、氏の逝去によって未完となっている作品です。

恥ずかしながら、こんな衝撃的なトピックすら記憶が曖昧で、最も美しいだろう形に記憶を捏造している可能性もありますが、この作品が途中で終わっていることで、池波正太郎の死を知った気がしています。

氏が亡くなったとき、私は小学校低学年くらい。大きなニュースになってはいたのだろうけど、母親は読書家だが時代小説をまったく読まない人で、特にそんな話をすることもなかったはず。図書館によく行くようになった中学~高校くらいの時期も、インターネットで調べるようなことはできなかったので(私が18歳くらいの時分が日本のインターネット黎明期くらい。ただ、この定義に自信がない)、そうではないかと思うんだけど……。

とにかく、その前に池波正太郎の死を知っていたにせよ、私は『梅庵冬時雨』を読んで、「絶筆」というものがあることに驚きました。

人間が死ぬことも、作家が生きた人間であることもわかっていたのに、なぜか現在進行系で書き進めている作品が未完で終わることがあると考えたことがなかった。それこそ赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズは読み進めるうちに最新作が出ていたりして、その事実になぜか衝撃を受けていたりしていたのに。

これまで、1行・2行で物語の最後の文章が終わって、残りが全部空白の見開きがあったとしても、その空白に豊かな豊穣のようなものを感じていたように思う。ところが、作家の頭の中にはすでにあったかもしれない話の続きが描かれていないのに、未完という形で話が終わってる物語――と言うよりも“本”とするべきか――が存在する。そして、そんな本の最後の文字の後に広がる空白は、それこそ死のメタファーであるかのように感じられた。藤枝梅安シリーズの物語としても、かなりハードな話が進行している最中で、とにかくぞっとしないものがあったのです。

――とまあ、ここまで細かい話はしていないものの、最初期は原作を考えていた私が池波正太郎をやたらと読んでいたという話はしているので、カミムラさんも第1話で『鬼平犯科帳』か『男の作法』か――という池波正太郎小ネタを挟んでくれたはず。もしかしたら左近さんも、それが意識に引っかかっていて『梅安料理ごよみ』にたどり着いた可能性もあるのかもしれません。

第3話振り返りの振り返り

先ほども貼ったカミムラさんのこのツイート。

池波正太郎の件や、単行本1巻のコラムでも言及していますが、私の記憶力はかなり壊滅的なので、カミムラさんがこう言ってるなら多分そう。というかすでに私の頭の中には「読書感想文を“ドッカン”ってどうですか。ちょうど齋藤孝のこんな本があって……」と語るカミムラさんの姿が浮かんでいます(笑)。

ちなみに、中身の多くをカミムラさんが考えた回でも、そこにギャグを足したりする作業は必ず発生しているので、左近さんの文字シナリオは毎回作成されます。

そしてこのツイート。

たしかに、「この描写を変えられないなら俺はこの作品から下りる」と主張する原案者って結構剣呑ですよね。その理由だけ書かないの、大して面白くない匂わせっぽいな!……とは思いました。ただ、思いはしたものの、その説明はいたしません。その理由を書かない理由を記して今回は終わりとさせていただきます。

理由その①「それだけ書いても、なんでそんなに反対するのか、多分ピンと来ないから」

これ、リアルタイムでカミムラさんと左近さんもそう思った気すらしているのですが、客観的には「なんでそこにそんなこだわるの?」ってくらいの理由でしかないと自分でも感じていたりします。

私が引っかかった部分は、バトルがメインだった旧版『どくヤン!』(ここら辺の話は過去の振り返りでしております)のヤンキーたちの強さを決める基準の設定との整合性でした。

その設定はなんとなくギャグメインの現在の『どくヤン!』にも引き継がれているものの、そんなに厳密に気にする必要はない……はずなのですが、なぜだか私は読書ヤンキーの世界を構築する上で、外してはいけない箇所のような気がしてしまったのです。

そして、そう感じられた理由は私のかなりパーソナルな部分に起因していると自分では分析しています。で、この顛末の説明のためだけにそんな自分語りを長々とする気にはなれない。しかし私が引っかかった部分の中身だけ書いても、ピンと来る方はほとんどいないだろうな、と思う次第です。

とか言って、先ほどの今週の一冊で少しパーソナルな話を書いているので非常にこっ恥ずかしいのですが。ここで挙げる本は毎回振り返りを書いた後にその場でパッと決めていまして、余談部分でこういう言い訳をすることは頭の中で考えていたため、自分でも想定外な事態になってしまいました(笑)。

理由その②「この先どこかで、その設定が出てくる可能性がある気がしているから」

次巻である3巻が電子版のみの刊行予定となっている状態で「おまえは何を言っているんだ」(ミルコ・クロコップ)と思われてしまうかもしれません。

ただ、身内が言うようなことではありませんが、私はこのマンガが本当に面白いと思っているので、今後神風が吹いて3巻も紙で出て連載も結構長く続いちゃったりする可能性は、高くはないだろうけどゼロではない(当たり前)と思っていたりします。

で、それも結構昔の話ですが、今のフォーマットでできることをやり尽くしたら、その先どうしていくか……といった獲ってもいない狸の皮算用をしたときに、旧版の設定に近い登場人物たちが出てくる可能性の話をしたことがあったはずです。そして、「もしそうなったら、旧版の設定が出てくることもあるんじゃないかなあ」と私は勝手に思っているのです。

まあ、要するに、結局のところ「匂わせであった」という話ですね。失礼いたしました……。それではまた次回の振り返りで。