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バイブルメッセージ

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毎月2回配信している聖書関連のメッセージです。
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#祈り

神に守られて

日々の生活の中で、神に守られていると感じたことはありますか。毎日ではなかったとしても、何か危険が迫ってきた時などに実感することはあるかもしれません。 以前、この世で私たちが出会う危険について、次のように書いたことがあります。 先月、妻が新型コロナにかかりました。しばらく前に友人がかかった時も、妹がかかった時も、それぞれの家族全員に感染していたので、私も覚悟はしていました。 もちろん、別々の部屋で過ごすなど、できる範囲で予防措置は取りましたが、家の造りから言って、妻も私も

求め、探し、門をたたく神

マタイによる福音書7章には、祈りについて、こんな言葉が記されています。 しばらく前に、神もまた私たちに対して、求め、探し、門をたたいておられると書かれた記事を読んだことがあります。 たしかに、神と私たちの関係が父親と子どもの関係であるなら、お願いするのは私たちだけではないはずです。もし私たちが天のお父さんの願いを無視して、自分の願いばかり主張するなら、自分勝手な人間になってしまうことでしょう。 そうはなりたくないので、神が求め、探し、門をたたいておられることについて、聖

祈りの答えは神の恵み

私たちが祈る時、神が聞いていてくださると知ることは、とても素晴らしいことです。そして、その祈りがかなえられる時は、嬉しい気持ちになります。 でも、ヒゼキヤ王の話を読んでいると、祈りがかなえられること自体よりも大切なことがあるのではないかと考えさせられました。それは、私たちが祈る時や、祈りがかなえられた後の態度です。 少し背景を説明すると、ヒゼキヤがユダ王国の王となったのは、北方のアッシリア帝国が領土を次々と拡大していた時代で、預言者イザヤも同時期に活動していました。 父

神は聞いて、助け出される

先月、両親の様子を見るために、実家に何泊かしてきました。妹夫婦が近くに住んでくれているので、安心ではあるのですが、やはりできる時に会っておきたいという気持ちがあります。 実家へ行くことは私にとってかなり大切なことなので、いつも何人かの友人に祈りをお願いしてから出かけています。そして、主と友人たちのおかげで、毎回、とてもよい時間を過ごすことができています。 しかし、今回は、初日の道中からハプニングの連続で、驚かされました。救急車を呼ぶ事態まであり、予想外のことが起こるたびに

人間は顔を上に向ける動物

「人という字はねぇ、ひとりの『人』がもうひとりの『人』を支えている字です」とは、ドラマ『3年B組金八先生』からの有名な言葉ですが、実際の起源は違うそうです。 甲骨文字までさかのぼってみると、ひとりの人を横から見た姿であることがわかります。左の部分は頭から手まで、右の部分は胴体から足までをシンプルに表しているとのことです。 聖書に出てくる「人」という言葉の語源も知っていただけたらと思います。まず、旧約聖書の原語であるヘブル語(ヘブライ語)では「アダム」という言葉が使われてお

どこに焦点を合わせていますか

私たちの目がいかによくできているかは、驚くほどです。単にものの形をとらえるだけではなく、色を認識できるし、周りの明るさに応じて取り込む光の量を調節することもできます。 また、見るものの距離に応じて焦点を自動で合わせてくれるので、私たちは見たいものに集中することができ、視界の中でかすんでいくそれ以外のものに、あまり気を取られずにすみます。 そういった目の機能について考えていると、『目を上げて主の御顔を(Turn Your Eyes Upon Jesus)』という賛美歌を思い

愛に裏打ちされた神の忍耐

何かの記事を読んでいて、「コーチには忍耐が必要」という言葉が目に留まりました。コーチがスポーツ選手を成長させるには、愛に裏打ちされた忍耐が必要だと言うのです。 確かに、選手が新しい技術を習得したり、記録を更新したりするには忍耐が必要ですが、コーチも忍耐をもって選手の成長を見守らなければ選手を支えることはできません。そして、選手がそのことを理解して、コーチを信頼するのも大切なことです。 それは、私たちと神との関係にも言えると思います。神が愛情と忍耐をもって私たちの成長を助け

私の名を呼んでください

3ヶ月ほど前のバイブルメッセージで、『悲しみよありがとう』という本から水野源三さんの詩を紹介しましたが、昨日はその本を読んでいて、また別の詩が心に響きました。 夜の闇の中にただ一人横たわり、不安を抱えている時に、ただ神に自分の名前を呼んでもらえさえしたら安心するのだと訴えているようです。 福音書には、イエスが不安を抱える人や、まもなく大変な経験をする人に対して、名前を呼んでから話しかける場面がいくつも記されています。 例えば: 多くのことに心を配りすぎて、思い煩ってい

「まず」求めるべきもの

先日何かを読んでいて、「まず」という言葉が目に留まり、気になったので、聖書でその言葉が使われている箇所を検索してみると、興味深い聖句がいくつも見つかりました。 中でも、「まず神の国と神の義とを求めなさい」という言葉(マタイ6:33)は、心にしみました。 イエスはこのマタイ6章で、自分(の願望や評判や富や必要物)を中心とした生き方ではなく、神を中心に据えた生き方をすることについて、さまざまな角度から語っています。 33節は、自分の生活に必要なものに心を奪われるあまり、神に

「偶然」は神のペンネーム

「匿名宝飾店」が話題になっているそうです。ブランド名を伏せ、商品そのもので判断してもらうというコンセプトで、期間限定で営業されてきたのですが、最後にその正体は有名ジュエリーブランドだということが明かされました。 このニュースを見て、「偶然とは、神が匿名で事を為される方法」や「偶然は神のペンネーム」という言葉を思い出しました。 最近、私にとってまるでジュエリーのように素晴らしい出来事があったのですが、それは確かに「宇宙一のジュエリーブランド」である神が「偶然」というペンネー

祈りのご利益?

最近、ある人が、「祈っても自分にはご利益がないので、祈らない」と言っていました。たしかに、多くの人が祈るのはご利益のためであり、祈らないのはご利益を感じられないからなのかもしれませんね。 後になって、「私はなぜ祈るのだろう」と自問してみたのですが、何よりも「神は天の父であり、私は父と話をしたいから」という結論に至りました。そして、そんな父との会話を、一方的な願い事だけで終わらせたくはないと思ったのです。 以前にも書いたように、「子どもが親に話すのはお願いだけではありません

祈りについての聖書の言葉

社会運動家としても有名な伝道者、賀川豊彦は、「聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録である」と語りました。 誰かが数えてみたところ、聖書には叶えられた祈りが450件以上記されているそうです。それ以外にも祈りについての言及が多くあるので、祈りはクリスチャン生活の重要な部分であることがよくわかります。 そこで、祈りに関する聖書の言葉をいくつか紹介したいのですが、その前に、祈りはただの宗教儀式ではなく、天の父である神との会話であることを覚えていただけたらと思います。 親

神の愛のしるし

先日、ある出来事があって、神の愛のしるしについて考えさせられました。 話は一昨年の秋にさかのぼります。私が近所の内科でしてもらっている定期的な胃カメラ検査で、声帯の端に結構大きな突起ができていることがわかりました。 耳鼻咽喉科の医者は、いくつかの原因を疑い、それに合わせて薬を処方してくれたものの、1ヶ月試してもいっこうに改善しません。 薬はそれでやめて、ただ経過観察のために何度か通いましたが、9ヶ月の間、大きさが変わらなかったため、医者から「少なくとも悪性の腫瘍ではなさ

神に見捨てられたように感じる時

「神に見捨てられた」と感じることはあるでしょうか。辛いことが続き、神がいつまでたっても祈りに答えて助けてくださらないように思える時です。 最近、何人かの知人が大変辛い時期にあることを耳にしました。「神に見捨てられた」とまでいかなくても、かなり苦しく感じているのは確かだと思います。 「あなたの傷は海のように大きい。だれがあなたをいやすことができよう」という言葉が旧約聖書の哀歌にありますが(2:13)、神にはその力があるので、それぞれの人生に触れて癒やしてくださるよう祈るばか