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人間は顔を上に向ける動物

「人という字はねぇ、ひとりの『人』がもうひとりの『人』を支えている字です」とは、ドラマ『3年B組金八先生』からの有名な言葉ですが、実際の起源は違うそうです。

甲骨文字までさかのぼってみると、ひとりの人を横から見た姿であることがわかります。左の部分は頭から手まで、右の部分は胴体から足までをシンプルに表しているとのことです。

聖書に出てくる「人」という言葉の語源も知っていただけたらと思います。まず、旧約聖書の原語であるヘブル語(ヘブライ語)では「アダム」という言葉が使われており、それは神が最初に造られた人の名前でもあります。土くれ(アダマ)から造られたから「アダム」だとされています。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

(創世記2:7 新共同訳)

新約聖書では、ギリシャ語の「アンスローポス」という言葉が使われており、それは「顔を上に向ける者」という意味です。

語源にはいくつかの説があって、まず、地面を見ながら進む獣と異なり、人間だけが直立二足歩行をし、顔を天に向けられるから、というもの。あるいは、理想や希望を高く掲げ、上を目指したいという人間の思いを表しているという説もあります。

そして、もう一つの説は、人間は他の動物とは違い、自分よりも力強い霊的な存在の助けを求めて天を仰ぐからというものです。

実際の語源がどうであれ、「人間は祈る動物だ」という言葉もあるように、確かに人間は本能的に神を求めているように思えます。クリスチャンでなくても、さらには神を信じないと言う人でも、何か自分の手に負えないことがあれば、思わず祈ったり天を見上げたりすることがあるし、それが人間本来の自然な反応なのではないでしょうか。

イエス・キリストも、天を見上げてから祈ったり奇跡を起こしたりされた様子が福音書に記されています。(マタイ14:19, マルコ7:33-34, ヨハネ11:41, ヨハネ17:1

聖書において、天を見上げるとは、神を仰ぎ見ることであり、詩篇の作者は、天は神の栄光をあらわすとも歌っています。

もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。

(詩篇19:1)

私は、透き通るような青い空や、刻々と色を変えていく夕焼け空を見上げると、神の臨在を感じて、自分はひとりぼっちではなく、神が見ていてくださるのだと実感することがあります。

主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、そのおられる所から地に住むすべての人をながめられる。主はすべて彼らの心を造り、そのすべてのわざに心をとめられる。

(詩篇33:13-15)

自分の内側を見て、あるいは横にいる人や状況に目を向けて、落ち込んでうなだれることは、きっと誰にでもあることでしょう。そんな時は、内側でも横でも下でもなく、上に顔を向けて、神を仰ぎ見るなら、新たな力と勇気が湧いてきます。

主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。わが神よ、わたしはあなたに信頼します。

(詩篇25:1-2)

主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。主よ、あなたは恵みふかく、寛容であって、あなたに呼ばわるすべての者にいつくしみを豊かに施されます。主よ、わたしの祈に耳を傾け、わたしの願いの声をお聞きください。わたしの悩みの日にわたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられるからです。

(詩篇86:4-7)

私たちは、ただの土くれであり、弱い存在かもしれませんが、天を見上げて神と交わり、強められることができるように造られています。そして、そのように神に目を向け、神に寄り頼みつつ生きることこそが、人間本来の自然な生き方なのではないかと、私は思うのです。



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