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神は聞いて、助け出される

先月、両親の様子を見るために、実家に何泊かしてきました。妹夫婦が近くに住んでくれているので、安心ではあるのですが、やはりできる時に会っておきたいという気持ちがあります。

実家へ行くことは私にとってかなり大切なことなので、いつも何人かの友人に祈りをお願いしてから出かけています。そして、主と友人たちのおかげで、毎回、とてもよい時間を過ごすことができています。

しかし、今回は、初日の道中からハプニングの連続で、驚かされました。救急車を呼ぶ事態まであり、予想外のことが起こるたびに戸惑ったものの、ありがたいことに、すべて解決していきました。

最終日には、こんなこともありました。両親に別れを告げ、駅へ行ってみると、列車が運休していたのです。運転再開は1時間後で、それでは飛行機の時間に間に合いません。バス代行輸送どころか路線バスもなく、かなりまずい状況です。

しかし、その日は妹がたまたまシフトに入っておらず休みだったので、実家を出る前に、妹の方から「空港まで車で送るよ」と、何度も言ってくれていました。その優しさには感謝しましたが、空港までは何時間もかかるし、妹はとても忙しい生活を送っているので、せっかくの休みだからゆっくり休んでと、断っていたのです。

そこで、列車の運休について知った後も、何とかならないか調べてみたのですが、何も手段がなかったため、謙遜になって、やはり助けてほしいと電話でお願いしたところ、妹は快く車で空港まで送ってくれました。本当にありがたいことです。

これらの出来事について、主が何か私に示されたいことがあるのではないかと思い、祈ってみると、主は詩篇34篇にあるこの言葉をくださいました。

正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。

(詩篇34:19)

聖書で言う「正しい者」とは、完璧な人ではなく、神を信じてその教えに従う人のことです。まさに、今回は多くの「災い」が襲ってきましたが、主はそのすべてから助け出してくださいました。

この詩篇は、私たちが祈り求める時に、神はその祈りを聞いて、窮地から助け出してくださると、何度も繰り返しています。

わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。

(詩篇34:4)

この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。

(詩篇34:6)

正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助け出される。

(詩篇34:17)

今回、その助け出し方は、さまざまでした。

神が状況を変えてくださった時もあれば、その状況を楽しむ心の余裕を与えてくださった時もあります。

問題をただ解消してくださったこともあれば、それをきっかけとして、かえってよい結果をもたらしてくださったこともあります。

ほとんどはその日か次の日に解決しましたが、帰宅してから解決したものもあります。

祈りに答える形で解決してくださった時もあれば、運休の件のように、主がすでに解決策を用意しておられた時もあります。

でも、そのすべてに共通しているのは、私にできることは何もなく、ただ主が助け出してくださったということです。魂の敵である悪魔がさまざまな問題を投げかけてきているように感じましたが、主はそのたびに勝利を与えてくださると実感できた、素晴らしい経験となりました。

この詩篇を書いたダビデは、多くの敵に囲まれていましたが、主がいつも彼を助け出してくださったので、それをこのように歌にしたのです。彼が味わってきたさまざまな苦難を知った上で第1節を読むと、心に迫るものがあります。

わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。

(詩篇34:1)

ダビデは「常に」、いい時だけではなく悪い時も、主を賛美していました。まるで、そのような悪い時は、神による救いを見る機会であると知っていたかのように。実際、そのような苦難に遭わなければ、そこから助け出されることもなく、この美しい詩篇も生まれてきませんでした。

窮地にある時、私たちはよく「ブツブツ」言ったり、「しょうがない」とあきらめたり、あるいは「自分の力で何とかしよう」とあくせく頑張ったりしがちです。しかし、ダビデのように神を信頼して賛美し、「神は聞いて、私を助け出される」と信じてこそ、主の恵み深さを味わい知ることができるのでしょう。

主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。

(詩篇34:8)



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