親父が死んだ日
今年の書き初めからなんて酷いタイトルだろう。我ながらそう思う。
でも私が今書きたい事。残したい事はこれなのかも知れない。
先に申し上げておくが、今回これを書いているのは衝動的だ。
故に今まで書いたどの文章より稚拙な物になってしまうであろう事をお許し願いたい。
前回気まぐれで書いた記事が2020年の事。
それから私を取り巻く環境は大きくは無いが僅かに変化を遂げた。
だが、社会はその頃から大きく変動したと言っても良いと個人的には考えている。
それに比べれば私の変化などは、大袋菓子パンの内容量が一つ減った程度の事だろう。
何故このタイミングで放置していたnoteを開いたか。
それに関しては、酷く単純な理由だ。
以前noteへ登録した際に私はTwitterを始めとするSNSを辞めた。(これに関しては後程詳しく書きたいと思っている。)
そこから備忘録代わりにnoteを使用したいと思っていたのだが、別のアプリの方が使い勝手が良く、また公開機能が無かったので自由に書けた。
ではnoteを使用して非公開へすれば良いのでは?という話になるのだが、そこは不思議な物で、公開出来るなら誰が見てくれる訳でも無かろうが、見て欲しい承認欲求には勝てない。
結果としてnoteはくだらない駄文を数件残し放置された。
今年に入りその記事にスキを付けてくれた人がいた。
私は登録した事すら完全に忘れていたのだが、つい先日誰かがスキをくれた。その通知が来たのだ。
なんとなく気になり開いてみると、「登録から2年経過しました!」と祝われた。悪い気はしないが、申し訳無くもある。
じゃあどうせならお題に沿った記事を書こうとこれを書く事に決めたのだ。
note書き初め。
何を書こうか。
親父の事だろうな。と直感で思った。
これはあまりプライベートで人に話してはいないが、誰かに聞いて欲しい。言いたい。その類の話だ。別に反応は無くても良い。
ただ誰かが暇な時に、ふと目を止めて読んでくれれば嬉しい。
そしたら何も世の中に残さなかった私の父も、生きていたんだなと証明する事が出来る。
父は自由な人だった。
先ず転職の回数は三桁に近い。
正確な数はわからない。
すぐ新しい事を始め、飽きて、また新しく何かを始める。
その繰り返し。
人の言う事を聞かず、自分中心。
祖母に叱られるとヘソを曲げて家出する。
ただでさえ少ない給料を、更に少なく申告し、母に告げる。でもバレている。
金が足りなくなれば借金をして、その返済のために借金をする。
ローンを完済したかと思えば、すぐに新しいローンを組む。
毎年のように新しい趣味を見つけては、のめり込む。
ある日、家を買いたいと思っていると相談した息子に「俺を捨てるのか?」と、ガチギレした事も今となっては良き思い出だ。
さて、言い始めればまだまだあるが、キリが無いので辞めておこう。
わかりやすく言うと、ダメな大人を絵に描いたような人だと思っていただければ良い。
それで十分だ。
そんな親父が突然死んだ。
何の前触れも無く、別れも最後の言葉も無く、文字通り急死した。
50代半ば。
まだまだ生きられた筈だった。
私が病院に急行した時はすでに意識が無く、なんとか自発呼吸をしているという状態だった。
そこから12時間。
ゆっくりと呼吸の回数が少なくなり、そのまま息を引き取った。
私は人前で泣くという事が嫌いだ。
同情を誘っているように感じてしまうし、そもそも感情表現が豊かな方では無い。
娘が生まれた時でさえ「なんか血とか凄いな」が最初の感想だった。
人前で大袈裟に泣いている人を見ると、訝しんでしまうほどだ。
この時に初めて、涙は自然に出てしまうのだという事を知った。
先程お伝えした様に父は最低な人だと思う。
ただ絶対に暴力は振るわなかったし、人ととして大切な事だけは忘れていなかったと思っている。
家族を愛し家族に愛され
隣人を愛し隣人に愛された。
あまりにネタが多い人だったから、私も親父の話をする事が多く、友人からファザコンだと言われた事もある。(絶対に認めたくは無いが)
私の友人もそうだが、多くの人に愛された人ではあったのでは無いかと思う。
私もきっとそんな父が好きだったんだろう。(やはり認めたくは無いが)
葬儀は家族葬で執り行ったが、田舎だという事もあり、話を聞きつけた多くの人が参列してくれた。
あんなに文句を言っていた妹達も
葬儀に参列する事が出来なかった祖母も
怖い顔の親戚のおじさんも
勉強を教えてくれたおばさんも
会った事も見た事も無い人も
もちろん母も
みんなが泣いていた。
それだけで父の人生には意味があったのでは無いかとすら思えてくる。
悔しいかな自分の時にこれだけ多くの人が参列し、涙を流してくれるとは思えない。
喪主挨拶の時に、感極まって芝居がかったドラマチックな事を言ってしまった事は、今でも少しだけ後悔している。
火葬され、親父は親父だった骨になり、棍棒で押し込まれながら、やがて壺になった。
その壺を入れた箱は、もう箱でしか無く、残念ながら親父は最後綺麗な箱になった。
そこから数ヶ月が経ち、母の事後処理もやっと終わりが見えて、今に至る。
不思議な事だ。
人が一人いなくなった。
ただそれだけの事なのに景色は違う。
あの時はまだ気づいていなかったのだが、今になってそう思う。
私の世界だけほんの少し色が薄くなってしまったのだ。
勿論、一緒に生活していた祖母などに比べれば、私の世界の変化など微細な物だろう。
でも確かに色は失われた。
きっと我々の胸の中に親父は生き続けている。
そんな事はどうだって良い。
死は死だ。
それ以外では無い。
もう二度と会う事も。話をする事も、どうでも良いLINEが送られてくる事も無い。
孫の誕生日に来る電話も、新しいキャンプ用品を揃えた報告も、偶然見かけた芸能人の目撃情報も、
もう二度と無いのだ。
あれから涙を流す事はしていない。
親父に対して泣く事はおそらくもう無いだろう。
それでも私はきっと悲しんでいるのだ。
残念な事に命あるものいつかは失われる。
それは確かな事で、抗いようが無い。
遅いか早いかだけだ。
今この瞬間も新しい命が生まれ、消えていく。
太古の昔から決まっているのだ。
そこに対して不満は無い。
不満は無いが、やはり寂しい。
今私が言いたい事。
それは何だろうか。
そんな事もうわかりゃしない。
とにかく私は今、生きている。
そして、父が生きていた事をまだ覚えている。