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『地震・雷・何とやら』

 お耳汚しを失礼致します。
 皆様はPTSDと云う症例をご存じでしょうか。…PPAPではないですよ。
 PTSDとは、心的外傷後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder)の頭文字を取った言葉で、命にかかわる出来事や強い恐怖・無力感を伴う体験をした後に、一連の心理的・身体的症状が持続的に現れる障害の事です。この状態は、個人の生活、仕事、対人関係などに大きな影響を及ぼします。
 思い出そうとして居る訳では無いのに、過去に経験したショッキングな出来事がモヤモヤと鎌首をもたげて心をザワつかせ支配するのです。何かしらがトリガーとなり、トラウマになった記憶に捕らわれる事で、前に進めなくなってしまうのです。
 そしてこれは、誰にでも。そう、皆さんにも起こり得る症例なのです。


 この話は、私が中学校2年生の夏に父から聞かされて、母と私が体験したお話なのですが…。

 ある朝、家族で朝食を摂って居ると、父がこんな事を口にしました。
 「最近お母が忙しくて大変やから、今晩はケンタッキーでも買って来るか。久しぶりやろう?一人2〜3個在ったら良いか?」
 のんべんだらりとした日常に、突然降って沸いたご褒美で気持ちが高揚した私は、「今夜はケンタッキー!」等とほくそ笑みながら、その日も何ら変わりのない1日を終え、夕食を迎えました。

 「あれ?お父は食べへんの?」
 ある意味、特別感すら感じて居た私は、御膳に並ぶ料理に違和感を感じました。
 予定では、バスケットとまでは言わないまでも、紙箱に入った鶏肉やビスケット、大きなお鉢には母の作った即席サラダが並んで居るはずなのですが、
 「誰がどの部分を食べる?3個も食べられるか?(笑)」等と云ういつもの盛り上がりも無く、父の前には日本酒とイカの刺身、母の前にはご飯と味噌汁、数日前の煮物の残り。私だけがキッチンで選り分けて来た腿肉と胸肉を皿に乗せて席に着いたのです。

 「ん?お父か。今日はええわ。」そう言いながら、私の運んで来た鶏肉を一瞥すると、
 「お母ご飯頂戴。」

 配膳が整い、皆が席に着いて食べ始めた時、「買って来たんやからお前は食べや。」と父が母に促します。
 「お父さんが食べへんのに。私も止めとくわ。」
 馬鹿な私は、そんな白々しい空気も嫌だった事もあり、
 「ラッキー。お母の貰って良い?」
 「おお。約束やったからな。食べ食べ〜。」父はそう言って早々に食事を終えて、2階に上がってしまいました。


 それから3週間ほど過ぎた頃、「お母に楽さしてやれてないから、今晩は外食でもするか!」と云う父の計らいで出かける事になりました。
 車庫から車を出す用意をして居ると、家の前に1台の乗用車が止まり、中から40代くらいの男性と小学校低学年くらいの男の子が降りて来ました。手に紙袋を下げたその男性は、フロントガラス越しに運転席の父に向かって会釈をします。
 掛けたばかりのエンジンを切り、「ちょっと待っとって。」と、助手席の母と後部座席の私を残して車を降りた父は、門扉の前で話し始めました。

 「誰やろうね?会社の人かな?」私が母に尋ねると、
 「どうやろうね。」と気のない返事をしながら、客人よりも目の前に止まった車の車内が気になる様子。
 「お父は話が長いから、ウチと一緒で、相手さんも待ち惚けやね。」後部座席に座る、終始俯いたままの髪の長い女性について私が言及すると、
 「ほんまやね…。」と心ここに在らずな返事を返す母。

 20分程過ぎたのでしょうか。話が終わって来客が帰り、私達も外食へと向かいました。
 「さあ、何食べる?和食か?中華か?洋食か?」
 気の利かない私は、「この前お父だけケンタッキー食べられんかったから、ケンタッキーは?」と言うと、
 「ケンタッキーは当分要らんわ。」と言うのです。
 「ふ〜ん。そしたら何でも良いけど…。」と答えた後、一時の間を置いて、
 「さっきの人、この前の?」と母が父に聞きました。
 「旦那さんと長男が、わざわざお礼を言いに来てくれはった。次男坊はまだ安静が必要で、上の姉ちゃんが家で面倒を見てるって言ってたわ。」
 「後ろに座ってた人が娘さんと違うの?」と母が聞くと、
 「イヤ、今日は二人だけで来たって。傍で見送ったけど、他に誰も乗ってなかったで。」

 「何の話?」と私が父に聞くと、
 「お前には言ってなかったけどな、ケンタッキーの約束をした日、仕事中に火事場で子供を助けたんや。」


 と或る団地に住む5人家族。いつも元気な年長さんの次男坊とチョッカイばかり掛ける小学校二年生の長男坊、ママ不在の時にはとても頼りなる小さいママは中学校3年生の長女、そしてサラリーマンのパパと家族全員の生活を切り盛りする専業主婦のママ。
 3人の子供を育てる母親にとって、夕食支度前の微睡みの時間が如何程に幸せだっただろうか?

 父は当日の事をこう話してくれました。
 ゴミ収集車の運転手をして居た父は、なぜかその日に限ってゴミの量が多く、一旦集積所に戻って荷を空にしてからその日の順路に戻ったそうです。勿論いつも通る道とは違う道を使って次の収集場所を目指して居ました。
 すると、隣に座って居た同僚が、一筋の煙を見つけて言いました。
 「あれ?火事か?」
 父もフロントガラスを覗き込んで空を見上げると、確かに煙が立ち上って居ました。もう一人の同僚が言います。
 「近づいてへんか?」
 それもそのはず。火元は次に向かう予定の団地からだったのです。
 父は、「サイレン聞こえるか?」と同僚に聞くと、
 「いや。」と答える同僚。
 「集める前に様子を見に行った方が良いかもな。」どんどん膨れ上がる黒煙を目印に、火元の棟を目指して団地内を進むと、或る棟の4階のベランダから轟々と炎が上がり、「ガッシャーン!」とガラスが割れる音がします。
 父は同僚2人を先に降ろし、消防車が到着した時に邪魔にならない所へ収集車を止め、同僚の1人が近隣宅へ電話を借りに走って行くのを横目に確認しつつ、ベランダの下に駆けつけました。

 「助けて…。」
 ベランダの柵の外に小学校低学年くらいの男の子が、今にも落ちそうにしがみついて助けを呼んで居ました。
 「おっちゃん達受け止めたるから飛び降りろ!」と父が叫びます。
 怖がる男の子を何度も宥めつつ、尻込みしながらも男の子は恐々と柵から手を離し、父と同僚に受け止められました。

 「もう大丈夫や。よう頑張ったなぁ。君1人か?」と父が聞くと、
 「ママと弟が居る。」と答えます。
 丁度騒ぎを聞き付けた野次馬達が集まり始めた頃、1人の初老の男性と同僚に男の子を任せた父は、棟の表側に走って4階まで駆け上がりました。

 「あの時、ドアチェーンが掛かって居たら終わりやったなぁ。」とその時を振り返って父は語ります。
 玄関前に辿り着くと、ラッキーな事に鉄扉の扉が少し空いて居て、空気を吸い込みながら濛々と黒煙と共に熱風を吐き出して居ました。
 注意深くゆっくりと扉を開けると、大きく深呼吸をする様に吸い込まれた空気が、室内に溜まって居た黒い熱風を一気に外へ吐き出しました。一旦落ち着くのを待ってから中に声を掛けますが、返事はありません。
 その時です。土間の床から高さ20cm程の視界が僅かに利く辺りに、小さな子供の手がうつ伏せに万歳をして倒れて居るのが目に入りました。

 「もう大丈夫や!」熱さを感じながらも熱風を避けつつ四つん這いの姿勢で、男の子の上腕をガッチリ両手で掴んで自分の方へ引っ張りました。
 どうなったと思います?

 「ズル〜ッ!」
 肘を通り越して前腕まで捲れ上がってしまったのです。

 一刻を急ぐ状況。父は反射的に息を止め熱さを諸共せずに、視界が全く利かない熱風の中へ自らの上体を突っ込みました。運良く掴んだ腰辺りのズボンをしっかりと握って自分の方に引っ張り出しました。

 両腕の手首でぶら下がった皮膚は痛々しく、意識の無い男の子を抱き抱えて階下まで運び、人口呼吸を始めた所で消防車が到着。消防士にもう1人居る事を伝えた後、仕事に戻ったそうです。
 その場を離れる頃には、次男坊の意識が戻って居たそうですが、会社に戻り上司に事の経緯を報告した際、警察からママさんの訃報が在った事を知ったそうです。


 警察と消防の情報開示によると、子供の火遊びによる事故と断定されたそうです。
 
 3人の子供を育てる母親にとって、夕食の用意をする前の微睡みの時間が如何程に幸せだっただろうか?
 家族構成は、まだまだ甘えたい盛りの5歳の次男坊といつも元気な小学校2年生の長男坊。ママ不在にはとても頼りになる小さいママは中学3年生の長女、そしてサラリーマンのパパと専業主婦のママ。

 夏休みも始まったばかりの頃、パパはいつも通りに朝から出社、ママは長女をクラブ活動に送り出し、掃除、洗濯、買い出し、下の子二人に昼食を作って片付けが終わった頃にはもうヘトヘト。子供を昼寝させて居る内に、自分もウトウトし始め、タオルケットを一枚羽織り、おやつを強請られるまでゴロリと一眠りして居たそうです。

 最初に目覚めたのが次男坊。彼の最近の流行りはマッチ箱収集で、おもちゃ箱にしまって居た空き缶を引っ張り出して来て、コレクションの空き箱を並べて遊んで居たそうです。
 すると、コレクションの中に偶然マッチが数本残って居た様で、火遊びをしてしまいカーテンに引火、おもちゃ箱にも飛び火して焦った次男坊は、自分で消そうとするもどうにも成らず、傍で横になって居た長男を揺り起こしたのですが、二人で何とかなるはずも無く、慌てた長男がママを起こした時には既に、辺り一帯が火の海になって居たのだそうです。

 ママが二人を風呂場に連れて行き、体に水をかけて外へ促したのですが、玄関へ迎えたのは次男坊のみ。玄関まで行ったものの、熱風に追いやられた長男はベランダへ逃れました。ママが玄関に行った時には次男しか居らず、長男を探しに再度部屋へ戻ったのですが、パニックになって居たのか、熱さ故か、ママは風呂場で事切れてしまって居たのだそうです。

 パパさんと長男坊が来訪されたあの時、後部座席で微動だにせず俯いたまま座って居た女性はママさんだったのでは?
 もしそうであったのなら、懺悔なのか、後悔だったのか、どちらにせよ事情を知った時には、居た堪れない思いに駆られた経験でした。

 後に父は、消防署長から名誉市民として感謝状を貰って帰って来るのですが、正装で参加した授与式での事、日頃履か無い革靴がシューズラックで煮えて痛んで居た様で、式の直前に大きな口を開け、靴下を履いた爪先が顔を出して居たのだそうです。その時ふと、火事場で横たわって居た子供を思い出したのだとか…。


 心に刻まれた記憶と云う物は忘れたくとも忘れられず、思い出したくなくとも、何がかトリガーとなり不意に鎌首をもたげる物の様です。
 しかし歳と共にその逆も然りの様で・・・。

 「お父もこの間、友達と行って来たぞ。」
 先日、リビングで父が唐突に話し始めました。
 「どこに?」と母。
 「いつもお前達が言うとるやろ。何とかマキアートとか、何とかアフォガードとか。悔しいからお父も飲んで来たった。」
 「あぁコーヒーの話か?どこの?」
 「ほら、あの〜。あそこ。え~、そうそう。『オートバックス』!」

 「えらい油臭いコーヒー飲んで来たんやね。」

 以上、『地震・雷・何とやら』と云うお話でした。
 ご清聴有難う御座いました。



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