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ビヨンセとスティーヴン・スティルス、ポール・マッカートニー 『COWBOY CARTER』 探訪 1.

ビヨンセが悲願のグラミー最優秀アルバム賞を受賞した 『COWBOY CARTER』。
この作品には60年代にリリースされた3人の白人ロックミュージシャンの曲が登場します。それがスティーヴン・スティルス、ポール・マッカートニー、ブライアン・ウィルソンの曲。
カントリー作品と称されつつも、60'sロックの要素も取り込んだ本作。本作と60年代は如何に交差したのか、ビヨンセと3人の接点を探った。


『Cowboy Carter』への道

FireAidのスティーヴン・スティルス

今年、1月30日に開催されたLA山火事救済支援コンサート「FireAid」。既に引退したと思われたスティーヴン・スティルス(Stephen Stills)が登場し、バッファロー・スプリングフィールド(BuffaloSpringfield)のFor What It's Worthを演奏し、会場は驚きと歓迎に溢れたのです。

若き日のスティーヴン・スティルス

さらに、その後はCSNでの元同僚グレアム・ナッシュも登場し、Teach Your Childrenを演奏。
既に亡くなったC(David Crosby)のいない喪失感を感じつつ、SとNの再会を感慨深く観入ったのです。
2015年のCSNの最後の来日時、3人の中では最も若いスティルスだったが、長年の難聴のためか精彩を欠いており、クロスビーの元気さだけが目立ったのだが、彼もこの世にはいません。
時は流れて彼も既に80歳、さらに声は衰えつつも、ギターを持つと見事なプレイを展開したのです。
この日はジョニ・ミッチェルも登場し、60'sの黎明期からLAのロックシーンで活躍する3人の姿はLAにも大きな勇気を与えました。

悲願の年間最優秀アルバム

そして3日後の2月2日、同じLAで『Cowboy Carter』により初めてグラミー賞年間最優秀アルバムを獲得したビヨンセ(BEYONCÉ)は、「われわれの安全を守ってくれた消防士全員に感謝し、讃えたい」とスピーチ。
グラミーを獲得した自分の喜びよりまず先に、山火事で消火活動に当たった消防隊を讃えたのです。

『Cowboy Carter』は、カウボーイというタイトルが示唆する通り、カントリーを題材にしたと言われる異例のアルバムです。
過去4回のノミネートで受賞を逃していた彼女は、ついに長年の悲願であった初受賞を果たします。
さらに、最優秀カントリー・アルバムも受賞し、ビヨンセはこの部門で史上初の黒人女性受賞者となったのです。

カントリー界からの反発

思い出されるのは2017年。最優秀アルバム賞を獲得したアデルは「今年の最優秀アルバム賞は絶対にビヨンセの『Lemonade』が獲るべきだった」という意味のコメントをしたこと。
ビヨンセの落選は黒人女性への冷遇だとして、ビヨンセへの不当な評価は批判を受けました。

この『Lemonade』にはビヨンセ初のカントリーソングDaddy Lessonsも収録されます。
2016年、ビヨンセは『第50回カントリーミュージックアワード』にて、The Chicksと共にDaddy Lessonsをサプライズパフォーマンスしたのです。
しかし、保守的なカントリーミュージックファンからは「黒人にこのジャンルにはふさわしくない」などの批判的な声もあり、彼女にとってカントリーは一つの挫折となったのです。
また、The Chicksも嘗てブッシュ元大統領下のイラク戦争を批判しており、保守派からの嫌悪感に拍車をかけたのです。

ビヨンセテキサス州出身であり、故郷テキサスでの父の教えについて歌った讃歌であったにも関わらず、保守派の白人はBlack Lives Matterを推進しリベラルなビヨンセがカントリーを歌うことに反発したのです。

それから8年間。
臥薪嘗胆、ビヨンセはカントリーの音楽史を研究し、5年という年月をかけて完成させたのが本作。
昔黒人のカウボーイは牛飼いと呼ばれ、差別を受けていました。そのカウボーイというワードと、婚姻したパートナーJay-z(ショーン・コーリー・カーター)のラスト・ネームを合わせたのがタイトル『Cowboy Carter』の由来なのです。(ビヨンセの本名;Beyoncé Knowles-Carter)
白人のものとした色分けされているカントリーミュージックの再定義、ひいてはアメリカ音楽のジャンルの再定義という壮大なテーマに立ち向かったのです。

そもそもカントリーとは1920年代、北米の南北にそびえるアパラチア山脈の南方にて生活していたイギリス系移民が持ち込んだ音楽。民謡がベースとなっており、黒人との交流の中で、ゴスペルブルースの要素も融合されたのがルーツです。
カントリーから黒人の存在が封印された歴史への挑戦が、本作のトリガーとなったのです。
そして、2024年3月29日、ビヨンセの最新アルバム『Cowboy Carter(カウボーイ・カーター)』はリリースされたのです。

COWBOY CARTER

60年代の空気感

For What It's Worth

『Cowboy Carter』のオープニングナンバーAMERIICAN REQUIEMREQUIEMとは鎮魂歌の意味ですが、アメリカの現状や歴史に対する嘆きや哀悼の意を表現していると思われ、一曲目から本作の意義が強調されます。
本作発売当時は民主党政権でしたが、グラミーを獲得した現在はトランプ政権となり、カマラ・ハリスを全面的に支持したビヨンセにとっては、図らずもリアル鎮魂歌となったのです。

この曲は組曲形式になっており、第一節はBohemian Rhapsodyのように、或いはゴスペルクワイアのように荘厳に始まり、第二節に聴き覚えのある曲調が続きます。

それは、1966年12月にバッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)がリリースしたFor What It's Worthの一部がリメイク(interpolation)されたものです。
interpolationとは、原曲を直接カバーするのではなく、メロディやフレーズを再解釈したり、再演奏したりして取り入れること

この曲は冒頭に登場したスティーヴン・スティルスが作曲しており、AMERIICAN REQUIEMにも作曲者としてクレジットされています。
(作曲クレジット; Derek Dixie,Tyler Johnson,Ernest Wilson,Jon Batiste,Raphael Saadiq,Michael Price,Dan Walsh,Stephen Stills)
スティルスとビヨンセが全く結び付かずに、なぜここに登場したのかを探ってみました。

スティーヴン・スティルスは、後にはスーパーグループとなるCSN(そしてCSN&Y)を結成し一躍旋風を巻き起こしますが、このバッファロー・スプリングフィールドは商業的には成功はしません。ただ、日本のはっぴいえんどにも影響を与えるなど、後世にその名を残します。
メンバーには後にCSN&Yに参加するニールヤングポコを結成してカントリーロックを世に広めたリッチーフューレイがいました。
For What It's Worthはチャート7位となり彼ら唯一のトップ10ヒットとなり、カウンターカルチャーのアンセムとなったのです。

Buffalo Springfield。右からスティルス、リッチー・フューレイ、ヤング

ビヨンセが60年代の白人ロックの曲を選んだのは意外な感があるようですが、このFor What It's Worthは黒人グループのパブリックエナミーがリリースした1988年のHe Got Gameにサンプリングされていて、この辺りからビヨンセが辿り着いたのかもしれません。
(スティルスも出演したパブリックエナミーのビデオ)

またスティルスのソロ作Love the One You're Withは多くの黒人ミュージシャンにカバーされていて、特に有名なのはIsley Brothersのバージョンです。ソウルやラテンのフレーバー溢れる彼のナンバーは、90年代にクラブのDJ達にFreeSoulという文脈でリバイバルもしたのです。

その後1971年にはブルース、フォーク、ラテンにカントリーまでも融合したアメリカーナの先駆けバンドマナサス(Manassas)を結成。メンバーにはマンドリンもこなすクリス・ヒルマンやスティール・ギター奏者も迎えて、カントリー色を個性の一つとして打ち出しました。
『Cowboy Carter』は彼らのデビューアルバム「Manassas」を構造的には彷彿させるような、アメリカのルーツ音楽のエッセンスを集めたアメリカーナ作品とも思えてしまうのです。

さてFor What It's Worthの歌詞は1966年LAで施行された夜間外出禁止令に抗議する集会による騒乱を描いていますが、「gun」「battle line」といった単語が歌詞に含まれていることからもベトナム戦争に対する反戦歌としても定着し、カウンターカルチャーのアンセムとも呼ばれました。

2020年8月には黒人俳優ビリー・ポーターが民主党大会で、スティーヴン・スティルスと共にFor What It's Worthを歌います。これは、 ジョージ・フロイド抗議運動でこの曲が使用されたことへのリスペクトで、Black Lives Matterの推進者のビヨンセにとってのインスピレーションのきっかけとなったと推測できます。

当のスティルスは、「ビヨンセは『For What It’s Worth』を使って、私にライターのクレジットを与えてくれました。私は『どこにあるんだ?』って感じでした(笑)」と語り、さらに、「完全に違う曲だけど、とても光栄に思います。」と付け加えてました。
ビヨンセが取り入れたのは曲調というより、For What It’s Worthの持つ精神を現代風に解釈しエッセンスを注入したのかもしれません。
そしてクレジットはリスペクトの現れかと。

またAMERIICAN REQUIEMのアレンジに使用されたシタールやアコギの響きは、60年代に起こった反戦運動や黒人解放運動などの混乱した世相の空気感も反映されてる気がします。
1964年には公民権法の成立、1965年にはマルコムX暗殺、1968年キング牧師が暗殺。彼女の生まれる遥か前ですが、黒人達にとっては激動の年代であったのです。

ビヨンセのルーツ

ビヨンセ(ビヨンセ・ジゼル・ノウルズ)は1981年テキサス州ヒューストン生まれ。母親はルイジアナのクレオール人の血を引くティナ・ノウルズ(セレスティン・アン・ビヨンセ)。父親はアフリカ系アメリカンのマシュー・ノウルズ。2人は2011年には離婚しています。
AMERIICAN REQUIEMの歌詞では、
Gadsden, Alabama
Got folk down in Galveston
Rooted in Louisiana
と父親の故郷アラバマと母親のルーツであるルイジアナについても言及されています。Galvestonというのは母親のティナの生誕地でテキサスです。
親の代から生粋の南部っ子というのが、ビヨンセの実情なのです。

母親のティナは1954年生まれ。長年にわたり、米国における公民権運動やジェンダー不平等反対運動、特にアフリカ系アメリカ人とLGBTコミュニティを支援してきました。

ビヨンセ親子

ティナは『Cowboy Carter』発売後にカウボーイハットをかぶって公の場所に登場したビヨンセに批判が巻き起こると、「人からなぜビヨンセはカウボーイハットをかぶっているのかと聞かれたとき、本当におかしくて笑ってしまった。なぜなら子どものころから毎年ロデオに行って、家族みんながウェスタンファッションに身を包んでいたから。」と母として擁護しています。

ロデオイベントのビヨンセ(2004)

歌詞の中で、ビヨンセはこのようにも歌っています。

Used to say I spoke too country
過去「カントリー過ぎる話し方」とよく言われてた
And then the rejection came,
でも今度は(カントリー界から)拒絶されて、
said I wasn’t country enough
私はカントリーには十分ではないとも言われた
Said I wouldn’t saddle up, but
私は鞍(馬)に乗ろうとしないとも言われた、でも
If that ain’t country,
それがカントリーじゃないなら、
tell me what is?
じゃあ何がカントリーなのか示してください

南部育ちのビヨンセにとって、カントリーは彼女のアイデンティの一つ。
それなのに、カントリーを歌えば拒絶され、カントリー的な身なりをすれば嘲笑される、そんなアメリカ社会にビヨンセもティナも疑問を投げかけ、このオープニングナンバーで挑戦的に歌いかけます。
「私がやってるこれがカントリーじゃないっていうなら、一体何が本物なんだ?」って、この気合いは生半可ではありません。

ビヨンセは「これはカントリーアルバムではありません。これは “ビヨンセのアルバム” です。」とも本作リリースの際に発信しました。

母方の旧姓の「ビヨンセ」を芸名にした程、母親の影響が強く、「ビヨンセのアルバム」の意味は母も含む私のルーツのアルバムでもあるとも読み解けます。
敢えて60年代の空気感を持って来たのは、母親の青春時代にも思いを馳せたのではないか、と想像します。

ジョン・バティステ

AMERIICAN REQUIEMの共同作詞作曲とプロデュースにはジョンバティステ(Jon Batiste)が名を連ねます。
バティステ
は38歳で、ビヨンセの母のルーツであるルイジアナのニューオーリンズ近郊生まれ。

Jon Batiste

バティステは2022年「We are」で年間最優秀アルバム賞を含む5部門において受賞。2008年でハービー・ハンコックが受賞して以来の黒人による年間最優秀アルバム賞受賞となっており、ビヨンセに先駆けて黒人として同賞を獲得したのです。
AMERIICAN REQUIEMではギター、キーボードと共にシタールを担当。彼の奏でるシタールが60年代のサイケな空気感を再現しているかのようです。
シタールと言うと、For What It's Worthと同年の1966年にビートルズのLove You Toでジョージが使用したことが想起されます。

ジョン・バティステの音楽は、ジャズ、R&B、クラシック、ニューオーリンズの伝統音楽など多様な要素を融合させる独自のスタイル。
まさに本作のコンセプトを体現する1人です。

「みんな、今こそがジャンル・マシーンを解体する瞬間だ。」
「みんな、今こそジャンルという機械を解体する瞬間だ」
とバティステは本作参加の意味を語ります。

また彼はクインシー・ジョーンズから『アメリカの音楽を脱カテゴライズするのは君次第だ!!』と言われたそうです。

バティステはビヨンセの共犯者として、ジャンルを超えて破壊することにチャレンジしたのです。

そして、2024年末に彼がリリースした作品はそれに呼応しました。
エリーゼのためになどのベートーベンの名曲をジャズ、ブルース風にアレンジしたのが新作のBeethoven Bluesです。

ビートルズとビーチボーイズ

Blackbird

2曲目はビートルズのBlackbirdのカバー。
黒人女性の応援ソングとして、ポールが作ったと言われるこの曲も60年代。
1968年にリリースされた『The Beatles』、通称ホワイトアルバムに収録されました。

プロデューサーとしてポールの名前もクレジットされ、参加ミュージシャンとしてもポール・マッカートニーの名前が連なりましたが、実際に彼は本作のために演奏はしていません。
1968年に発売されたビートルズホワイトアルバムで使用されたポールのアコースティックギターの演奏と足音がそのまま使用され、そこにビヨンセの歌を乗せたのです。

ポールはBlackbirdについて語ります。
「私はアコースティックギターを持って座っていて、60年代にアラバマ州、ミシシッピ州、リトルロックで起きていた公民権の問題について聞いていました…。もしもこの曲がそのような問題に直面している人々の耳に届いたなら、彼らに少しの希望を与えることができると思いました。」
「60年初頭、黒人の女の子たちが学校から追い返されている映像をテレビで見たとき、僕は衝撃を受けたし、今の時代でもこのようなことが起こっている場所があるなんて信じられない。僕の曲とビヨンセの素晴らしいヴァージョンが人種間の緊張を和らげることができれば、それは素晴らしいことであり、とても誇りに思うよ」

学校での人種隔離が違憲だという最高裁判決に従い、1957年白人しか通学を許されていなかったアーカンソー州のリトルロック・セントラル高校に9人の黒人生徒が入学を認められます。しかし、アーカンソー州知事が州兵を使って黒人生徒たちの入学を拒否。その後、生徒たちはアメリカ陸軍の護衛を受けながら入学を果たすという事件にまで発展したのが、リトルロック事件の経緯。
Blackbirdが作られた1968年は、4月にキング牧師が暗殺され、公民権運動が混乱のうちに終結に向かう時期と重なりました。
(Blackbirdのリハーサル映像)

Blackbiirdで、ビヨンセは4人の黒人女性カントリーシンガー、タナー・アデルブリトニー・スペンサーティエラ・ケネディレイナ・ロバーツとコラボレーションしています。
ポールのギター伴奏に4人のコーラスが重なり、あたかもビーチ・ボーイズがカバーしているようにもきこえたのです。
60年代のポールと、ビヨンセ、そして4人の黒人女性の素晴らしいコーラスと、時空と人種を超えたコラボレーションとなりました。

AMERIICAN REQUIEMではカントリー界(白人社会)からの拒絶による抑圧を鎮魂歌として歌いつつも、それに続くBlackbiirdでは「もう折れた翼を癒して飛び立つ時だよ」っていう希望に転換する展開の妙味。

NFL halftime showで4人と共演したビヨンセ

そして、偶然ですが前述したスティルスもCSN時代にBlackbirdを何度も演奏しています。歌詞の裏にある意味を知ると、政治的な発信を続けたCSNが演奏するのも頷けます。
(ウッドストックでBlackbirdを演奏するCSN)

ジョンに比べるとノンポリのイメージが強いポールですが、Give Ireland Back To The Irish(アイルランドに平和を)と言うプロテストソングがあります。「アイルランドをアイルランド人に返せ」と言う本曲は各局で放送禁止となります。

2016年ポールはBlackbirdのインスピレーションとなった、リトルロック・セントラル高校の元学生たちと実際に会うという念願を果たします。

Good Vibrations

本作にはビートルズだけでなく、60年代ビートルズのライバルでもあった、ビーチ・ボーイズも登場します。
それがYa Yaで一節が取り入れられたGood Vibrations
Ya Yaはグラミー賞Best Americana Performance部門にノミネートされていました。アルバムはベストカントリーアルバムでしたが、収録曲によってはアメリカーナだったと言うことは本作の多層性を表しています。

ティナ・ターナーを彷彿させるパフォーマンスの中に、突如Good Vibrationsのフレーズが登場します。
Good Vibrationsは名作「Pet Sounds」リリース後の1966年の10月にシングルとしてリリース、チャート1位となります。
作曲クレジットはブライアン・ウィルソンマイク・ラブ、プロデューサー はブライアン・ウィルソンです。
Ya Yaのクレジットにも2人が併記されました。

また、Ya YaにはGood Vibrationsと同年の1966年にリリースされたThese Boots Are Made for Walkin’(ナンシー・シナトラ)のイントロも拝借されています。
1966年は前述のFor What It's Worthがリリースされた年でもあり、「ブラック・パワー」と言う言葉が生まれ、またベトナム戦争の激化して社会が変革に差し掛かった年。
この年、母親のティナは12歳。多感な時期に南部で激化する公民権運動を目の当たりにし、彼女は黒人女性としての誇りを育む教育をビヨンセに施しました。
この時代の黒人女性への敬意も本作に反映されていると想像します。

Good Vibrationsではビーチ・ボーイズのメンバーはボーカルのみで、演奏はレッキングクルーと呼ばれたセッションミュージシャンが担当しました。
ハル・ブレイン
キャロル・ケイラリーネクテルジム・ゴードンなどの精鋭が参加しました。

まとめ

60年代という時代

最後に本作で取り上げられた60'sの曲を軸に、1960年代の主な出来事をまとめました。
過去、ビヨンセはスーパーボウルでマルコムXへのオマージュとなるパフォーマンスを行なっています。
人種差別撲滅を願う彼女がその運動の原点となった60年代にインスパイアされ本作を発想したのでは、という自分の妄想もあながち外れではないのかなと思います。

1954 ティナ・ノウルズ生誕
1963 キング牧師による「I Have a Dream」という歴史的な演説
1964 ベトナム戦争にアメリカが本格的に軍事介入開始
1964 公民権法の成立
1965 セルマの行進 マルコムX殺害
1966 Good VibrationsFor What It's WorthThese Boots Are Made for Walkin’リリース
1968 キング牧師暗殺、Blackbirdリリース
1969 ウッドストック

リアノン・ギデンズ

この記事は当初、本作でビヨンセがアメリカの黒人のアメリカーナ歌手リアノン・ギデンズバンジョー奏者として起用したことを書く予定でした。
それが調べているうちに、大好きなスティーヴン・スティルスの名前をクレジットに発見し驚き、話が別の方向に進んでしまったのです。
Cowboy Carter」には全部で27曲収録されましたが、まだ3曲の紹介に留まっています。
60年代という要素は本作の一要素に過ぎず、本作は膨大な要素が多層的に含まれた大河的な大作なのです。

アルバムに先駆けてリリースされたTexas Hold 'Emのイントロに鳴り響く、
バンジョーを弾いたのが、リアノン・ギデンズです。
折よく、3月1日から来日しますので、そのLIVEを観てから、リアノン・ギデンズバンジョーを題材に続編を公開することにします。

記事で登場した曲はこちらのプレイリストで




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