鈴木忠平「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」を読んだ。
この週末で読了。
470ページあるので読むのに時間が掛かるかもと思ったが、引きこまれて一気に読み終えてしまった。
この本は発売直後からかなり話題になっており、noteでも感想記事が多くアップされている。
だいぶ乗り遅れている感は承知で、引きこまれた部分について感想メモを記しておきたい。(と言ってもいつも読んでいる本よりはだいぶ新しい。)
なぜ、嫌われるのか。
タイトルの「嫌われた監督」というのは、週刊文春の加藤編集長が決めたものだそう。長年スポーツ新聞の記者として落合と接してきた著者の鈴木氏は、「それなら書けそうな気がした。」と感じ、連載がスタートしたそう。
鈴木氏は、いつかは落合博満という人物について長編を書きたい、と思っていたが、そのタイミングはずっと先だと思っていたそう。
それが、「嫌われた監督」というタイトルが決まったことにより、書けそう、と気持ちに踏ん切りがついたというのが面白いと思った。
本の帯にもあるが、「なぜ嫌われるのか。」というのが、この本の一つのテーマとなっている。
落合博満。
好き嫌い、でいうと、単なるプロ野球ファンとしては、どちらかと言うと、好きな存在だった。
選手時代の印象の方が強いのだが、個性的な物言い、圧倒的な実力に、他の選手にはない魅力を感じていた。
ただ、落合が「嫌われる」のもまた、よくわかる。
実際、こんな人物が近くにいて、付き合わなければならないとしたら、結構憂鬱なのではないか。
この本を読みながら、数々のエピソードから、一読者としては「好き」の感情がより強くなったが、もし自分がプロ野球選手で、新監督に落合が就任し、この本に出てくる数々の謎かけのような指示や、言葉をかけられたら、相当戸惑うのは間違いない。(こんな上司がいても、それは同じだと思う。)
最終章(荒木雅博の章)に、以下のような部分がある。
人々は、落合の言動に惑わされる。
この本は、落合の周囲の人物の戸惑いエピソードの連なりから成っているとも言える。(選手だけでなく、著者の鈴木氏も記者として落合と付き合う中で、数々の謎のような一言を掛けられている。)
落合の言動についていけない人間は、「自分の理解の埒外」として、落合の存在を遠ざけるだろう。嫌いになることも多いにあるだろう、と思う。
この本には、落合の言動を理解しようとする選手やコーチのエピソードが多く出てくるが、その裏には、その言動を理解できず、落合との距離が埋まらず(あるいは距離の取り方がわからず)、落合の元を去っていった(あるいは落合が遠ざけた)人間も数多くいたであろう。
そもそも、「好き・嫌い」は気にしない人。
この本を貫くテーマとして、「では、落合が重く見るものは何か、落合の価値観とは?」というものもある。
それは、プロ野球の監督として、という部分では、「契約(=優勝すること)」が第一に信ずるものであり、役割としては何よりも「勝負の責任を取ること」であると、落合の言葉で明示される。
落合が、選手起用について、「好き嫌い」で決めたり、「情に流される」ことはない。(厳密には、監督初期に冷徹になりきれず失敗したエピソードは出てくるが、その失敗に懲りた落合は、以来冷徹に徹したという。)
本のタイトルが「嫌われた監督」であるが、落合にとっては好かれるか、嫌われるか、というのは全く重要ではない。
少なくとも、プロ野球の監督としては。
落合は監督として優勝を追い求める。そのための選手起用をする。選手を切り捨てることもまた、容赦なくする。
選手に対しては、「給料分の働きをせよ。そのための技術を磨け。」と要求する。
和田一浩の章で、チームのために自分を犠牲にして進塁打を放った和田に対して、落合はこう言う。
いわゆるジョブディスクリプションというもので、「勝たせるのが監督である俺の仕事」で、「技術を鍛え、成果を最大化することが選手の仕事」と、しっかりと線引きを行なっている。
チームプレーというものを選手任せにするというのは、ある意味では選手が本来持つ個性・能力を最大化する努力を放棄させ、チームプレーに逃げる余地を与える、という考え方もできる。
いい悪い、は置いておくとして、落合が重きを置いた考え方が、引用した和田への言葉に凝縮されている。
落合博満とは一体何者なのか。
読後感として残るのは、意外やこの問いだった。
プロ野球監督としての落合博満は、上に引用した部分にもある通りの人と言ってほぼ間違いないと思う。
「勝利に殉じたプロフェッショナル」だと思う。
ただし、2011年9月、中日の監督を退任することが発表され、直後に中日が快進撃を開始しヤクルトから首位を奪取し、日本シリーズまで駆け抜けていく中でそれまでになかった変化を見せる落合博満の人間像というのは、プロフェッショナルに徹した落合博満とはまた違う印象なのである。
それは、ヤクルト戦で決死のヘッドスライディングを見せた荒木雅博に掛けた「大丈夫か?」という優しい一声や、日本シリーズ後の、選手やスタッフに言ったという、「八年間、ありがとうな」という言葉から受ける印象である。
どちらかというと、勝利を追求するプロフェッショナルのチームの指揮官、という役割に徹さねばならなかった落合博満というのは相当な無理を自分に強いているもので、そのストレスから解放された落合博満の方が本当の姿なのでは、と思えた。
<余談・ロッテ時代の落合選手>
昔のNumber誌に、ロッテの選手時代の落合のインタビューが載っていた。
1982年。29歳で史上最年少の三冠王に輝いた年。
少し落合の言葉を引用。
1983年は、落合の予想を下回り、ロッテは最下位の6位に終わった。
落合の個人成績は、二年連続の三冠王は取り逃がしたが、打率,332で三年連続の首位打者となっている。
チームを勝たせることは監督の仕事。
自分は、自分の仕事をやる。
選手時代からしっかりぶれずにプロフェッショナルで、かっこいい。