写真だらけの台湾旅行記《台北5日目》
この日は12月31日大晦日。良い天気になった。
朝ごはんは外で食べた。
「四海豆漿大王」
朝から小籠包、、、と思われるかもしれないがアッサリしているのでもたれない。
この後は母が絶対に行きたがった台北植物園へ。
「台北植物園」
とても高い木が生えている。南国らしい。
花の写真を撮ることがめったにないのでどうやって撮っていいのかわからない。
割と手入れが雑(最低限の水やりだけ、という意味で)なので植物がのびのび育っている。日本だと支柱を立てたりして生え方も矯正してしまいそうだが、この植物園はそれがない。とても植物が自由に育っていて良い場所だった。
とても静かな園内。都会の喧騒からしばし離れて休む。
広大な場所で全て見ることは不可能だった。
次に行くところを決めていなかったのだが、台湾初の祖母もいたため台北101を見物しに行くことにした。
「台北101周辺」
私たちは有名観光地に興味がないひねくれ者なので、101って高いねー、で次どうする?となってしまった。
「四四南村」
なんだか古い建物が立ち並ぶ場所。植物園でもかなり歩き、そろそろ休憩したいということで飲食店に立ち寄る。
なんだかビビッドなスムージーが運ばれてきた。これはコッテリしているのでは・・・と心配になった。
極太なストローで飲んでみると意外にアッサリしていて結構おいしかった。手元の記録によるとリンゴ&ドランゴンフルーツ味だったらしいが、今となっては味が思い出せない。ああ、美味しかったことは覚えているのだが味を忘れてしまった。悲しき脳みそかな。
さて、次は昼ご飯。
「六品商館」
前回、台北に来た時も訪れたお店。ものすごく美味しかったという記憶がある。店内には接客主任と思われる少し怖いおばさんがいたが、母によると前回もいたらしい。
台湾芸能人のサインもずらりと並んでいたが、写真を撮るのをすっかり忘れた。
特に美味しかったのはコレ。
台湾独特の香辛料もあまり感じない。家庭的な台湾料理を味わえた。また、味が濃すぎなくてよい。
スープも鶏ベースの程よい味付けでおいしかった。白菜が染みててよかった。
そして会計時。母が払ったのだが、何故か台湾元を日本円に換算し、その日本円の金額を台湾元で支払おうとした。実際の金額は1000元札が1,2枚でよかったのだが、換算した母は1000元札を5,6枚くらい取り出し平然とした顔。大金を前にした接客主任はこんな金額じゃないよ、と大笑い。涙を流して笑っていた。そして、ボケている母の肩をパンッと叩いていた。
いったんホテルに帰り、そのあと買い物へ。
「小北百貨」
街中のあちこちにあった「小心地滑」看板。私も欲しくなって買うことに。ホームセンターに行き、店員に写真を見せながら「これはあるか?」と尋ねたら、にやにやしながら「あるよ」と言って案内してくれた。
ギリギリスーツケースに入る大きさだった。ちなみに、今も部屋に立てかけてあるが結構かさばっている。
「迪化街」
乾物屋などが立ち並ぶこの街。カゴ屋などもあり、母や祖母は大喜び。父と私はすっかり暇に。買い物に興味のない人は退屈するエリアかもしれない。
途中で金柑ジュースを飲む。目の前で絞ってくれて新鮮。めちゃくちゃ美味しい。オレンジジュースもあった。
恋愛に効くという神社。
私はあまり興味が無かったのだが、母に連れていかれた。といっても何も祈ることもなく。。。
買い物を堪能した母と祖母。すっかり日も暮れて夜飯に。
どこへ行こうか考えたが、前回も行ったところへ行くことにした。
「冠京華」
実はこの店、私にとってはトラウマな店なのだ。7年前台北に来た時、私は胃腸炎になり苦しんだ。その胃腸炎になる前の最後の飯がここ、冠京華だったのだ。苦しんでいる間、これがいけなかったのだ!ここのコッテリした小籠包がいけなかったんだ!と激しくこの店を恨んでいた。(実際には一緒に来ていたいとこが旅行の直前に胃腸炎になっていたことが判明・・・・)
・・・・7年ぶりのこの店。私は激しく緊張していた。
私の中で伝説となっている小籠包。恐る恐る口に運ぶ。その手がカタカタ震えた。
が、一口食べてみて震えは止まった。おいおい、ここの小籠包はこんなに美味しかったのか!なんて美味しいんだ!
続いて、チャーハン。
パラパラで薄味。素晴らしい味のチャーハン。
私は激しく後悔した。この店を恨み続けていたことを。
実際はとんでもなくおいしい店だったのだ。また来たい。
さて、この日は大晦日。地下鉄にも人がたくさん。みんな楽しそう。一方、我が国はどうなってしまうのか・・・と大晦日になぜか余計な心配をしてしまったが、その余計な心配は2024年かなり現実になりつつある。
台湾の年越しといえば花火。ホテル屋上から見えることが判明したので起きていることにした。
7年前、8年前に来たときは私が幼すぎて起きていることが不可能だったのだ。
23時50分ごろ、部屋を出て屋上に向かった。部屋では父と母が爆睡。
屋上では私のほかに1組、中国系の家族がいた。
そして0:00になり、台北101から花火が噴きだした。
遠くからでも圧巻。見ていた家族と、「Happy new year!」と言葉を交わした。
花火はずいぶん長い時間やったように感じた。
肌寒い台北で2024年がスタートした。