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『嵐が丘(上)』『嵐が丘(下)』(E・ブロンテ、光文社古典新訳文庫)の感想

 「私」が村の別荘を借り嵐が丘の館に挨拶しにいく。家主ヒースクリフ、使用人、美しい若い男女も「何て連中だ!」と憤慨(ふんがい)させる人物たち。吹雪が吹き「私」は帰路を絶たれたのに、館を追い出されそうになる。必死に踏みとどまって誰も使わない一室に泊まると、そこの本には「キャサリン」という女性の書き込みがある。読みつつ眠ると死霊となったキャサリンが館を窓から襲うというホラーな夢をみる。それを、「私」が家主ヒースクリフに告げた時の反応がこれ。
「「おいで! 入っておいで!」彼はむせび泣いていた。「キャサリン、入っておいで。さあ、入ってくるんだ――もう一度! ああ、心から愛するお前、こんどこそ私の言うことを聞いておくれ――キャサリン、こんどこそ!」」(上p61)
 キャサリンとヒースクリフの悲劇的な愛が本作の主題である。その物語は「私」が事情通の家政婦に彼らの話を聞くことで明らかにされる(本章)。キャサリンとヒースクリフの少年少女時代から語られ始める。
 ここで意識するのは①どんなきっかけで恋愛するか、②キャサリンはどう亡くなるかだろう。子供時代の彼らは「ねじれた性格」(p88)で、いかにも「愛」がないのである。思春期ぽく二人が花摘み幸福に見つめるシーンなど期待する。
 そんなベタなシーンはない。二人は子供時代の身勝手な激情そのままに恋愛を始める。これが怒涛(どとう)の勢いなのである。
「いまとなっちゃ、ヒースクリフと結婚しては自分をおとしめることになっちゃうわ。(略)あたしがどんなにヒースクリフを愛しているか(略)これは(略)彼の方があたし以上にあたしだからよ。魂というのは何でできているか知らないけれど、彼の魂とあたしの魂は同じものなの。」(上p179)
 キャサリンはこの確信のため「あたし」のいいようにヒースクリフを扱い、彼とは違う別の男と結婚する。彼の苦しみなど顧慮(こりょ)せずに。そして、この怒涛(どとう)の身勝手さそのままでキャサリンは狂死する。「あなたの苦しみなんか、どうだっていいわ。あなたはどうして苦しまずにいらっしゃるの? あたしは苦しんでいるのに!」(下p14-15)
 愛する魂が一つということ。究極の原理に忠実であるほど愛は暴力に変じていく。「愛したい、尊敬したい」「愛されたい、尊敬されたい」(下p363)という敬意の距離さえ(要ら)ない。強度の愛の爪痕(つめあと)を覗き見るような恐面白い一冊。

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