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『歌集 滑走路』(萩原慎一郎、角川文庫)の感想

 萩原慎一郎の短歌はやさしい。それはすっと心に入ってくるやさしさだ。

もう少し待ってみようか曇天が過ぎ去ってゆく時を信じて(p31)
この街で今日もやりきれぬ感情を抱いているのはぼくだけじゃない(p47)
ぼくたちのこころは揺れる 揺れるのだ だから舵取り持続するのだ(p136)

 揺れる日常の心を彼はうたにする。それは「ぼくたち」みんなのもちもののように感じられる。ピュアさをすこしも隠そうとしない恋心をよんだものも、きっと私たちが抱いたことのある感情のように受け取れるはずだ。

遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから(p61)
あこがれのままで終わってしまいたくないあこがれのひとがいるのだ(p112)
いまはまだショックだけれどそのうちに……そうだ、たこ焼食べて帰ろう(p115)

 そして、共感をさそうやさしいうたとともに、わたしたちは創作者の炎に出会うことになる。そしてそれは日常を生きることと無縁ではなく、日常を生きているからこそ飢渇するたぐいのものだ。

思いつくたびに紙片に書きつける言葉よ羽化の直前であれ(p46)
引き寄せてそして言葉を抱きしめる三十一文字を愛するわれは(p102)
ぼくたちはほのおを抱いて生きている 誰かのためのほのおであれよ(p127)

 『滑走路』を読むことは、等身大の心がいだいたそれ以上のなにかを感じとることも意味する。だから余計に、非正規雇用や社会の苦しみを描いたうたを読むことは、この世の尊いものがふみにじられる辛さがある。

 それらは本作で確認してほしい。そして、本書でもうひとつ必読なのは又吉直樹氏の文庫解説だ。ていねいに力強く本作のたたずまいを描写しており、作品に対する愛情がまっすぐ届く名解説である。ここでは一節だけ。

この短歌を通して、萩原さんの目を借りて見るこの光景が美し過ぎて胸が痛い。この人の網膜を通して美しい世界をもっと見たい。自戒として書くが、意地悪であることなんて簡単なのだ。平凡を笑うことは平凡なのだ。繰り返すが、萩原さんの優しさに充ちた感性こそが非凡なのだ。(p164)




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