『喧嘩猿』(木内一裕、講談社文庫)の感想
清水次郎長の子分として幕末期に活躍したとされる侠客「森の石松」の前半生を描いた物語。本作は講談本の語りと字体のスタイルによって語られている。講談は今現在ブームだが、講談本を目にする機会は少ないだろう。講談の口述を記録した物語で、明治・大正期の大人から子供にまで好まれた、いまでいうマンガのような存在だと言っていい。
本作は石松が地元を離れ勝蔵との因縁が生まれる「秋場山」、武居の吃安の子分と出会い一波乱がある「身延道」、勝蔵と吃安のそれぞれの見せ場の「三嶋宿」、吃安の敵役が登場して血なまぐさい展開の「籠坂峠」、避けられない斬り合いが開始する「黒駒村」の五章と、「序」と「結」が加えられたもの。それぞれ異なる物語の魅力が展開する。
読んでいて驚くのは、「黒駒の勝蔵」と「武居の吃安」のシビレルような格好良さである。それぞれに全く違う任侠を見せる。まず、石松の敵役ともいえる「勝蔵」の引用を(ルビや異体字を少しでも再現するために画像で載せます。講談本のスタイルは実は読みやすいし文字の圧が語りの熱のようにしてぐいぐい癖になります)。
異彩を放つほどのきたない身なりをした勝蔵の任侠ぶりは、明治時代の社会主義者をあわせもつような江戸時代からはみ出た魅力をもっている。今度は「武居の吃安」を。
こちらは不条理な啖呵を切って、己の道を通そうとする図太さ、強さを感じさせる場面。ちなみに、「吃安」はめっぽう強くて女に弱いというキャラクターで、そのやらかし具合はビーバップを思い出すくらい面白い。
この2人の侠客がすごすぎて、石松はどちらかというと一見「素直さ」担当という感じに見える。渡世人になったはずなのにおそろしく性格のよい青年であることが印象づけられるのである。
これは三島の親分の都合で石松を「足止め」しようと声をかけた場面。親分がてっきりキレたかと誤解するくらいいきなり感激している石松に、ものすごいピュアな人物だとじんと来る場面。
やがて、彼らはそれぞれ大立ち回りを演じることになる。その死闘を演じる者たちは、勝蔵や吃安の男ぶりに影響されていき、それぞれの個としての魅力を放ってくる。ヤクザものたちの見せ場がクライマックスになる。
脇役の1人でさえ、己じしんの生きざまをそこに乗せようとして輝く。そして、ここでの石松の活躍がすごい。勝蔵と吃安を瞠目させるばかりでない。それまでと変わらぬ純粋さで死闘へと向かう姿は勝蔵とも吃安とも無関係にすごい。本作はたしかに石松の物語で、その場面に講談でもなく今までも小説とも違うものすごい爽快感が読めます。
最後に、この作品の巻末に日本の随筆家(政治家)永田秀次郎の言葉が引用されている。そこに書かれている「旧題材の新式記述の考案」(新字体に変更しルビ略)こそ本作にあたるだろう。間違いないことなのだが、木内一裕はエンタメ小説界の「斯道の天才」である。なぜなら、時代物に挑むエンタテイメント作家は多くいるが、いきなり講談本の完コピを成立させかつ新たな趣向を盛り込んでいく手腕はシュールさを感じるほどすごいと思う。