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26w4d 506gの男の子② 絶対安静期間

私が入院する部屋が準備できたそうで、
移動してきた。
エコーの部屋からここまで、たしかに大きな病院で多少距離はあるけど同じ階なのに、
車椅子に乗せられてきた。
乗った瞬間は「点滴してるからか?」
くらいに思っていたが、だんだんと
そうじゃないことが理解できてきた。

案内されたのはなんと、
シャワー付きの個室。
そして、産科ナースステーションの
1番目の前の部屋。
部屋に入ると看護士さんが簡単に
部屋の使い方を説明してくれた。
そして1番大事な注意事項も…

「基本的には、ベッドの上にいて下さい」


あ、やっぱり…
「はい」と答えるしかないが苦笑いになる。

·この部屋からは出られない
·状況による病院からの指示だから個室代¥0
·基本的にベッド上で安静(室内ウロウロNG)
·シャワーは浴びても良い
(点滴付けたままなので看護士さんを呼ぶ)
·食事制限は特にない
·面会時間内なら個室なので面会自由
(この時2019年9月なのでコロナ前)
·産科には子どもは入れない

つまり…
人生で初めての『絶対安静』ということ。

じっとしてるのは苦手ではないので、
安静にしてることで無事に当初の予定日くらいまでいけたとしたら…3ヶ月も?
という漠然とした疑問はあるが安静は苦ではない。

そうこうしてる間にも、お腹の中では
時折赤ちゃんがぽこぽこと動くのを感じる。
たしかに、私のお腹の中で生きている。
普通この状況だったら、不安に感じるんだろうか?
お腹の中の命を身をもって感じている私は、
『この子は大丈夫』という不思議な自信がある。
そう思っていることは、もし大丈夫じゃなかった時の喪失感は大変なことになるのかもしれない。
それもわかっているけど、不思議な気持ちが湧いてくるのだ。
『この子は大丈夫』という謎の確信が。


夫を病院に呼ぶよう言われ、ついに
夫婦そろって先生の説明を聞くことに。
ひとり、またひとりと産科と産まれたあとお世話になるNICUの先生や看護士さんやカウンセラーさんが病室に集まってくる。
あれ?やっぱり結構おおごとですね?
と思いながら、私たち夫婦はとにかく現状を理解しようと一生懸命説明を聞いた。

先生は神妙な声でなるべくわかりやすく説明してくれたし、そのほかの看護士さんやカウンセラーさんは私たち夫婦のメンタルを心配してくれていることがオーラから溢れてた。
でも性格的に、2人とも取り乱したりはしなかった。
先生の話の内容的にも『今なにができるか』
を考えるしかなかったからかもしれない。


·原因不明だが、赤ちゃんの発育が悪い
·検査に来てくれて、気付けてよかった
·あと数日でも知らずに普段の生活をしてたら正直手遅れだったかもしれない
·24週で産む赤ちゃんの生存確率の低さ(現在妊娠24週)
·赤ちゃんの体力さえ持つ範囲で、1日でも長くお腹の中で育てたい(25週26週…と、だいぶ生存確率が上がっていくから)
·目標は27週までお腹で育てたい
·でも赤ちゃんの元気がなくなってきたら、ただちに帝王切開(治療に耐える体力も必要)
·みんなで最善を尽くしますが…厳しいかも

なんというか、取り乱すすきもない現実。
状況は理解できたけど、結局私たちは
祈るしかないのだ。
それなら、あとは赤ちゃん次第。
私は些細なことではあたふたするが、
本気でピンチだと冷静になるAB型。
冷静に、落ち着いた声で先生に伝えた。


「わかりました、タイミングは先生にお任せします。赤ちゃんが危ないと思ったらいつでも出して下さい。お腹の中にいても、私は頑張れと赤ちゃんを応援することしかできないですから。それならいくら早かろうがお腹から出て、直接みなさんに治療していただいた方がいいに決まってます。よろしくお願いします。」


そして私は点滴の副作用と付き合いながら
朝昼晩1日3回30分の心拍を検査して、
(手術前は食事NGだから必ずご飯前に実施)
1日3回いつ「じゃあ手術しよう」と言われるかどうかドキドキする2週間を過ごすことになる。

赤ちゃんのことは、だいたいわかった。
次に心配するべきは…2才の長女ちゃん。
平日昼間はいつも通り保育園で過ごすとして、送り迎えやパパが帰宅するまでの夕食などはパパの実家に協力してもらえることに。
それにしても…
「よりによって今週末ディズニー行く予定だったのに本当ごめん…長女も毎晩寝室に向かうのにあと何回寝たらミッキー?って楽しみにしてたのに…」と、謝る私。
「しょうがないでしょ、ディズニーはなくならないからまた落ち着いてから、今度は4人で行こう」と、1番欲しかった答えをくれる夫。さすがです。

産科病棟に子どもは入れないが、
外来との間にある廊下で短時間なら
娘と会えることになった。
週末だけの楽しみができた。
正直、お腹の赤ちゃんには申し訳ないが
実際に手のかかる絶賛イヤイヤ期のお姉ちゃんとパパの心配が私の脳内の7割を占めていた。
だからこそ、赤ちゃんの不安だけで
私の脳内がパンパンになることがなく
落ち着いて対処できたんだろうな。

火曜日に突然入院してから、最初の週末。
午後娘が来るのでその前にシャワーを済ませ家で使っていたボディクリームを塗った。
車椅子で登場するママには驚くかもだけど、
「いつものママの匂い」で安心させてあげたかった。

ついに4日ぶりの娘との再会。
車椅子の私に、遠慮がちに触れてきた。

『ママ…』

4日ぶりに聞いた娘の声に、
娘の名前も呼び返せなかった。
ただ娘の頭を撫でながら、涙がとまらなくて。
人間の記憶はなんて曖昧なんだろう。
4日ぶりの娘の声が、私が思っていたより少し高かった。それがショックだった。
私は4日でこんなに愛しい娘の声を忘れたの?毎日聞けないって、こういうことなの?

急にお迎え行かなくてごめんね、
急に入院してごめんね、
お風呂一緒に入れなくてごめんね、
夜一緒に寝れなくてごめんね。
パパとじーじばーばと、頑張って
いい子に過ごしてくれてありがとう。

言いたいことはいっぱいあるのに、
4日ぶりの娘を撫でながら、
夫と夫の母の目の前で、涙しか出なかった。

あっという間に面会時間がおわる。
点滴の充電がなくなるアラームがなってしまったから、慌てて病室へ戻らないと。
泣き出した娘に後ろ髪ひかれながら。
一緒におうち帰れなくて、ごめんね…


•*¨*•.¸¸☆*・゚
③へ つづく


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