前回煮詰めたのでこの回では楽しく書く。 3.長く飾ることを楽しむ 大切にしたい、額の中の景色。それを長い時間そばに置く。何気なく目を合わせ、自分との対話や、居合わせる人と会話が始まったりする。 それは、よいひとときです。 額を飾る間に時が流れて、作品の見え方が変わっていきます。 アートは ものをよく観察し独自の見解をすること そのもの。 私は一枚、一枚の額装に対面するのを重ね アートそのものを問うことを重ねてきたし、 作品を介して他者とのコミュニケーションになっていま
私の普通の日々から生まれた まとめ。 作品を額に入れること、眺めること、を仕事としている。 美術館でも、たまには見る。でも、どちらかといったら自らの、他者にとっての私的な観点に折に触れ、考え始めたことの まとめです。 2.額も作品も自然の中で作っているもの 言いかえては褪色(たいしょく) など 時が経つにつれての作品劣化に対する自論をまとめます。 額装の意義は、作品を護り 現存の状態を長く保つこと。現代アートの額装におかれては この動機が多い
生まれ育ちの東京西部からさらに西へ住まいを移り一年、また夏を迎えた。 さっき、川沿いの側道を横断するトカゲに はちあわせた。その時から何となく自転車走らせながらかんがえたこと。例年の夏なら文章を書くよりも読書が慣習だ。だけど今日のことは、ちょっと書き留めてみたくなった。 この町ハワイ島となんか共通点がある ハワイ島といえば、キラウエア火山がそびえている。この町からは富士山が展望できる。 そう思ったら案外容易く、 この田舎道の花や草木の威勢や デコボコのコンクリート道
私は仕事でフレームを付ける行為を行います。 一連して額装と言ってますが、そこにまつわる話をnoteでときどき纏めて、思考や行いの記録整理を試みてます。 業務中は目前の作品に近寄る行為の連続のため、ここは日常の自分を浮き出せる場所となってる。同時に独り言ではなく、このテーマにはいつも相手があります。1人で思いつくことではなく、きっかけは出会いがあり、浮かんだあれこれなので やっぱり日常アートを感じた誰かに、このnoteが届くことをイメージしています。別段、それがアートだと
時々詩を綴ります。 noteでは はじめて。 どうぞ 波紋 けさの空は階段を4段ほど下りたくらいの高さ 川の水面を 小粒の雨がやさしく降り 温かい風がテンポをとる あさひは丘を明るく 世界を透かし 川の水面を照らしている 春の波紋だね たのしい秩序は この社会のようであれ 水鳥は くちばしを堅く 鮮やかにして はの字の波紋を連ね すいーーー と 波紋の上を奏でる なんて軽快だったんだ この水面の上は 毎日 ながめていたのに 地平を見つめているうち 空には 雲が透きと
感覚をできるだけ生かして。視覚の認識しないところまで、空間を感じて配置する。 視覚と触覚で観察し、対話し、ここには無い、届かないところへ想像力を添わせる。 またそれは作品から額の縁までの数センチの中にも呼応する。 山の稜線を拝む 昨年の夏に郊外へ越してから日々、私の心の中での決まりごとだけども、夫婦どちらか仕事がある日の朝は、中央通りに見通せる遠くの富士山の姿を眺めます。改札横のギャラリースペースを見て改札に入り窓から眺める。送迎する道路で、ふと目に入る山なみ。この
『 intersubjectivity 』 ということばが在ることを先日偶然に知りました。平日の朝方、たまたまwebの記事で 「間主観性」と日本で訳されていました。 ドイツ哲学者のフッサール(Edmund Husserl)が提唱する「現象学」での用語、、、私が知り得たことはまだその輪郭だけで馴染みがありませんが、心に留めておき、拝読してみたいなと思いました。 あたりまえのことのようですが、アートの感覚を、言葉に書き起こしするのはなかなかの作業だなと思います。 な
額装は客観性と主観性の間で vol.2 作品と最初に向き合う瞬間 「作品を額に入れたい」 まずはじめに、額を決めようとするとき、作品と対面するまでの視点のお話です。 私の場合ですが、作品から受け取る第一印象は大切。だからこそ、その一歩目を 「少し距離をはなして主体(作品)をみる感覚」を片手に持ち、額へ入れる作品と向かい合います。 どういうことかというと、作品が今から感覚をかき立てる想像力、集中力、この時間は限られている。それゆえ先入観や思い込み、つまり脳の主観の入
額装は客観性と主観性の間で と表題してみます。 何から書こうかな。、 休日の一日を通して 何となく考えて気の向くままに過ごしてました。 作品を手にする方の立場や 額に入れる目的が何であるかにより あててみる額の選択は変わります。 額装で優先したいことは何か とも、言いかえています。 ここでは 額に入れるモノを 大きなひとくくりに "さくひん" と 呼びあてています。肩肘を張るような声ではありません。
額装、表装、フレーミング 身近なことでしょうか。 縁遠く感ずるでしょうか。 私はごく身近に感じています。 料理をし、口に運ぶくらい あるいは布を洗い畳み仕舞うまで 同等くらいに日々行い、考えています。 思い入れても、無意識でも それを大切に長く眺めたいと思ったら 行わなければならないことのひとつ。 額装って何?という問いかけに 時々、触れることがあります。言葉にせずとも、 そういう謎を抱えた心のまま 訪れて出会う人もいます。 私は、私なりのことばを紡いで毎日、毎日お