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フレームの中への視点

 感覚をできるだけ生かして。視覚の認識しないところまで、空間を感じて配置する。
視覚と触覚で観察し、対話し、ここには無い、届かないところへ想像力を添わせる。
 またそれは作品から額の縁までの数センチの中にも呼応する。


山の稜線を拝む


 昨年の夏に郊外へ越してから日々、私の心の中での決まりごとだけども、夫婦どちらか仕事がある日の朝は、中央通りに見通せる遠くの富士山の姿を眺めます。改札横のギャラリースペースを見て改札に入り窓から眺める。送迎する道路で、ふと目に入る山なみ。このささやかな儀礼みたいな一連は、東久留米へ引っ越しを決めた理由のひとつでもあった。密かな。

 実質、生活の大半において、コンクリートの建造物の中で過ごす。移動も電車、日暮れ後の自宅に帰る。雨の日にすら傘が要らないほど造築物のハコの中じゃないか?と我が日常をかえりみていた。
 引っ越す前に、都合でこちらから仕事へ通うことがあった時に、気がついた。
 一日24時間のほんの一時であっても、改札横の市民ギャラリーを見、富士山を見てからいつもの仕事に入ることが、豊かだなと感じた。
 見方の角度を少し変えるだけですぐ心もとない気持ちになる私は、このままの勢いでいくのはちょっとギアがちがうなと立ちどまりながら、また、あれよこれよ流れ、新転地での夏と冬が過ぎた。
 変わったことと変わらないこと。
この日常の中で、私にとってはちょっと大切な、毎朝の1ページになって少しずつ、ととのえていけると感じる瞬間だったりする。

 富士山は冬の間は澄んで見えた山の稜線。三月は霞んでくっきり見えない日がずっと続いてた。大気と同んなじ色をした山の姿は、そこに在ることが確かに伝わる。遠く霞む富士の姿にちゃんと、端麗な美しさを感じる。その一堂の景観に、私はきっちり影響を受けており、額縁の打ち合わせの時とにシンパシーを見出している。

 飾る空間の作品へ与える影響はとてもあると思います。作品が、部屋の中で存在感を持つようにそれは相互関係だと思います。
 どんな風に見せたいか、そのイメージはあるのか?言葉を変えてたくさん問いかけています。

 どこに飾るか決めてるのでしょうか?
 見る場所に置いてあるもの、壁の色、光の色。

 作品をどんなイメージで眺めているのでしょうか?

 作品の持つどんな個性をひき出したいか。
 どんな場所が心地良いのか。
 ぼんやり霞む風景やデザインは統一的と言い換えますかね。
 アクセントになる細かい装飾があれば繊細な存在感を引き出します。
 額の内側にするマットやライナーの調子や、額の巾のリズムも作品を見やすく添えられていることが解ってきます。

 ことばを用いて共有していくと、Artはほんとにより良い暮らしの一部分になっていきます。

 具体的なイメージを高めていくことが大事なように思っています。

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