体験するために飾るアート。
『 intersubjectivity 』
ということばが在ることを先日偶然に知りました。平日の朝方、たまたまwebの記事で
「間主観性」と日本で訳されていました。
ドイツ哲学者のフッサール(Edmund Husserl)が提唱する「現象学」での用語、、、私が知り得たことはまだその輪郭だけで馴染みがありませんが、心に留めておき、拝読してみたいなと思いました。
あたりまえのことのようですが、アートの感覚を、言葉に書き起こしするのはなかなかの作業だなと思います。
なんていうか、アートはじっくりした作業、
味わう作業。
だから
食事は落ち着いて座って食べるし
「これおいしい。〇〇の味、使ってる?」など
会食上での話題は盛り上がっても
後に感動を逐一、書くほどはなかなかやらない。レシピや記録のメモはありますね。
空腹感や気分は、美味しい食事の大きな材料だと考えています。
現代アートも、額装のあれやこれも
そういった体験的な要素が大きいのかなと
思います。
うまく、言えないんですけれどね。
書くことを手放しているようですが、、
言いたいことはちゃんとあった。みたいな形容になりました。
昨日、4歳のわが家の子が寝る前に
絵を描きたくなった
と言うので
A4用紙をひとつかみ渡したところ
クレヨンで次から次に描き始めた。
できあがる側から
どんどん
私はテープで壁面に掲示をしました。
なんとなく配置をイメージしながら貼っていきました。
そのまま互いに集中して、
完成したのは15枚。!
さいごの一枚は、まだ描きたいけど紙が足りないと言いメモ帳のリングから切りはずした小さな用紙で。
つかれたわ、と言いながら全て掲示し少し眺めて満足と達成感を感じて
夜寝ました。
朝起きた時、その風景はやはり新鮮な感じがし
とても良い雰囲気でした。
今日も家に帰ったら、
眺めながら夕食、晩酌となるのかな。
そう思えたら、
それが絵を飾る意味と言えるなと思いました。
退化しやすい 移ろいやすい
その半面にしっかり、
アートって たのしい!と、
楽しく彩色豊かに過ごす時間が
心情と記録されていくのかなと思いました。