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【感想】どこにでもある「変化の激しい時代」

学校と生活を接続する
  ドイツの改革教育的な授業の理論と実践
田中怜 (2022年)


結局のところ著者が一番言いたいこと
を大胆に推測する

「学校は、社会に出てから役に立つことを教えよ」と言う批判(それは世間の大半だ)は、学校教育についての考えが浅い。学校と生活(現実・社会)はそんなに単純につながらないし、無理につなげるべきじゃない。学校は、現実や社会や生活そのものじゃなく、それらと切り離された特殊な機関だ、教育のための。
家庭や職場、公園や野山で行う(生まれる)学習とは違う、「学校だからこそ可能となる学習」にもっと目を向けるべきだ。



この本を読んで、
想起し発想し、
感想して思い出す


まず言いたいのは、
「この本めちゃくちゃ面白いからとにかく買って読んでください!」
です。
恐ろしいほど細かい字がびっしり300ページ超あるし、カラーページも絵もないし、お色気も異世界転生もないし、おまけに定価4200円(税抜き)だけど、学校教育に興味がある方はゼヒ。


さて、この本が主に扱っているのは近年(1970年代以降)のドイツの改革教育の歴史だ。
ちなみに、この「改革教育」という言葉、一般的には「新教育」のがよく使われるかもしれない。デューイとかで有名なやつです。
ちなみのちなみに、1970年代というと日本では「ゆとり教育」という言葉が初めて使われだしたころだ。

ドイツの改革教育の主流も、ゆとり教育をはじめとする日本の教育改革論も、いつも大抵は同じ事を言っていて、
「学校教育はマジで社会で役に立たん」
「受験のためだけの勉強になっているのが問題だ」
と言って、
だから、
生きる力を育めだとか、STEAM教育が大事だとか、金融教育が必要だとか、アクティブにラーニングしろとか、非認知能力がこれからのキーコンピテンシーだとかいう話につながる。


…でも、社会で役に立つことを学校で学ばせるのって本当にできるの?
それ、どれくらい意味あるの?
っていう「そもそも論」の話がこの本に出てくる。
今までの常識ではあまり目を向けられなかった、ブラインドスポットを拓いていく感覚があり、とても気持ちのいい読書体験だった。


ところで、ドイツの教育の歴史の中でとても面白いものがあった。
1980年代のドイツで、いつものように「学校教育を変えよ!」という主張が叫ばれたのだが、その背景としてあった社会的な問題意識というのが主に二つあった。
①(経済や労働の)社会の変化が急激・急速化していること、
②新しい情報技術の普及に対応すること(当時はテレビとゲーム)、
である。

これ、今の日本でも同じ事 言ってるよね。
メディアやSNSで(または居酒屋で)、教育を変えろと言っている意識高い系の人とか典型だと思うんだが(意識低い系の人もかな)、とにかく今は変化の時代だと、今までの常識や教育は通用しないのだと言って改革を訴える。

その主張にはテンプレがあって、社会の変化がかつてないほど急激・急速になっていて、新しい情報技術(ネットやAI)に対応しなければいけない、である。
…40年前のドイツで言われてたことと全く同じである。


思ったのは、結局たいがいのことって過去に起こったり、言われてたりすることばかりなんだなって。
その時を生きている当事者からすると、「今」というのは過去のどの時とも違う特別な時代なんだという思い込みに陥りがちになるんだろうな。
確かに、インターネットが普及したのは21世紀からだし、AIも今までは存在しなかった。具体的な事や物に注目すれば、それはその通りだ。

しかし、ネットが社会に与えた影響と似た事象は、過去になかっただろうか。ネットが出現した影響は、過去の出来事と比べられない巨大なものだろうか。テレビやラジオ、印刷技術の普及は?もっと言えば文字の発明は?
これらの変化と比べても、まだ、僕たちの経験だけが特別だと言えるだろうか。


「今」がかつてないほど特別な時代なんだという感覚は、すべて否定されるべきとも思わない。それがある種のモチベーションや肯定感にもつながるだろう。
しかし、その感覚は容易に「だから現代の僕たちは特別な立場にいる」という傲慢さに繋がる。傲慢であることさえもすべて悪ではないかもしれないが、傲慢は視野を狭め 思考を硬くする。
これは確実に言えると思う。


僕としては、できる限り傲慢であるのを避けたいなとは思う。

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