Dear Bear
学生時代に憧れていた人がいた。彼女はネガティヴな言動を全くせず、ただただ優しく、完璧を求めている人だった。私は年下であったが、「この優しさを続けるのは無理がある。きっと無理をしているに違いない」と考えていた。出来ることなら彼女が弱音を吐ける存在となり、彼女を支えたいと思っていた。ただ、19歳の私はあまりにも無力で、学生時代の私は彼女が弱音を吐く対象にはなれなかった。
最近、ひょんなことから、彼女と一緒に仕事をすることになった。再会直後こそぎこちなさもあったが、お互いの青い時代を知っていることもあり、大変に話が弾み、息もぴったりだった。彼女は相変わらず優しく、まるで20年前にタイムスリップしたような感覚だった。
変わったと言えば、彼女との関係性だ。20年経ち私が今の職場でそこそこのポジションに就いていることも影響しているとは思うが、彼女が相談するに足る人物になれたのか、はたまた彼女の心境に変化があったのか、学生時代には触れられなかった部分に触れることとなった。今回はその出来事についてまとめておきたい。
人に優しくするという行動はある程度の余裕がないと出来ない行動だと思っていた。私の尊敬する人の多くは、ユーモアセンスや慈しみの心で何もないところから優しさを生み出しているように見え、どこからそのような活力が生まれてくるのだろうかと疑問に思っていた。どんなに辛い環境でも他人を優先し、マイナスをゼロやプラスに変えられる人は尊い。
彼女との距離が縮まり、過去の開示を進めるうちに、私たちの考え方には、ある共通点があることがわかった。彼女も私もそれ相応の悲惨な過去の経験があり、その経験との比較で毎日の活力を生み出していた。「あの日より今日はマシ。マシな分、今日も人に優しくしよう」という考え方だ。彼女曰く、学生時代の私からその思考は感じ取っていとのことだったが私にはその自覚はなかった。(今思えば、自ら進んでハピネスを提供しようと集まった集団なのだから、当然と言えば当然だが。)
途絶えたかに見えた縁だったが、このような形でまた紡がれたことが大変感慨深い。あの当時望んだ形とは異なっているが、この縁がどこまで発展するのか楽しみにしている。
敬意を込めてこの一連の流れをDear Bearプロジェクトと名付けることとしたい。止まっていた時がまた動き出した。熊出没注意である。