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【人物月旦 #01】😁義父のはなし
👇️本編要約
義父との旅行を通じて、その人生哲学と強さを再認識します。義父はバブル崩壊による会社の破綻や肺がんといった試練を乗り越え、控えめで誠実な姿勢を貫きながら、家族や仕事に対して深い思いやりを持ち続けています。義父の言葉「感謝される仕事をする」という信念は、自らの実践によって裏付けられており、その生き様が人生の指針となりました。義父の胆力や楽観的な性格は、試練に直面しても前向きに行動する力の源泉であり、多くの学びを与えてくれる物語です。
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気付き(プロローグ)
思えば、人は出会いを通じて成長していくものなのだと思います。一見すると相性が悪いと感じる人や、自分の価値観とは異なる人であっても、多くの場合、何かしら学びを与えてくれる存在です。それに気づけるかどうかは、結局のところ、自分自身の心のあり方次第だと感じます。かつての私は、自分と違う意見や価値観に対して壁を作り、拒絶することが多かったかもしれません。しかし、その壁を越えた先には新しい視野が広がり、自分の中に新たな可能性が生まれることを、今では強く実感しています。
振り返ってみると、「あのときもっとこうすればよかった」と思うことは山ほどあります。未熟だった若い頃の自分が招いた後悔は、数え切れません。それでも、そうした経験を通じて学び、成長できたことを前向きに捉えたいと考えています。誰かとの出会いや交流が、自分を変えるきっかけになることもある。その変化がたとえ痛みを伴うものであっても、それが成長のために必要なプロセスだったのだと信じたいのです。
人生にはどんな出会いにも意味がある。そう思うようになったのは最近のことです。そして、それに気づけるようになった今の自分を、少しだけ誇らしく感じています。これからも出会いを大切にし、その中で学び続ける姿勢を忘れないでいたいと願っています。このエッセイは、そんな私自身の気づきと成長の軌跡を綴ったものです。読んでくださった皆さんにとっても、自分の出会いや経験を振り返るきっかけとなれば幸いです。
「人物月旦」について
先週、義父と初めて一緒に旅行をしました。家族としての付き合いは長かったものの、義父は寡黙で感情をあまり表に出さない人でした。私が初めて彼に会ったとき、その静かな佇まいに少し戸惑ったことを覚えています。しかし、こうしてじっくり時間を共有する機会を持つことで、彼の内に秘めた強さや優しさを改めて感じることになりました。そして、それがこうして文章を書き始めた一つの理由になりました。
また、最近始めたnoteの存在も、この試みを後押ししてくれました。これまでは「トラベルノート」として旅の記録を主に綴ってきましたが、この機会に新しいテーマにも挑戦してみようと考えたのです。そのテーマが「人物月旦」。これまでの人生で出会い、記憶に残る人々について、自分なりの視点で再評価を試みるシリーズです。
「人物月旦」とは、ある人物を多面的に捉え、その本質や価値を見つめ直す試みです。このシリーズでは、過去に出会い、心に残る影響を与えた人々を取り上げることで、自分自身の頭の中を整理し、客観的にその人を理解する努力をしていきたいと思っています。それによって、これまで以上にその人への敬意が深まることもあれば、かつては良い印象を抱いていなかった人への見方が変わることもあるかもしれません。
もちろん、プライバシーには十分配慮し、個人が特定されるような記述は避けるつもりです。それでも、自分の内面的な成長や視野を広げるため、この試みが意義深いものになると期待しています。
記念すべき「人物月旦」第1回は、先日の石垣島旅行で改めて見直した義父についてです。この旅行を通じて感じた義父の人柄や、新たに発見した彼の一面を、できる限り正直に、丁寧に綴りたいと思っています。義父をテーマに選んだのは、タイミングが合ったという理由だけではありません。義父が私にとって「再評価」の好例となる存在だったからです。
義父を振り返ると、初めて会った頃の印象は決してポジティブなものばかりではありませんでした。無口で感情が掴みにくく、どこか近寄りがたい印象があったのを覚えています。それはおそらく、私自身が彼を知ろうとする努力を十分にしていなかったからでしょう。しかし、時間を重ねるにつれて、彼の内に秘めた優しさや、家族への深い思いを少しずつ理解できるようになりました。そして、今回の旅行でさらにその理解が深まりました。
石垣島の美しい海を前に、何気ない会話を重ねながら、義父がどのような価値観を持ち、どのような人生を歩んできたのか、少しだけ知ることができた気がします。特に印象的だったのは、彼が自然体で「控えめであることの美徳」を体現している姿勢でした。何かを声高に主張するわけでもなく、静かに周囲を見守りながら、必要なときに適切に行動する。その姿勢は、私がこれまで気づけなかった彼の大きな魅力でした。
私たちはつい、自分の価値観や基準で他者を判断してしまいがちです。しかし、その判断は往々にして一面的です。義父についても、初対面の頃は私自身の狭い視点に囚われていたのでしょう。しかし、時間をかけて接点を増やす中で、新たに見えてくるものがあるのだと実感しました。人を深く理解するためには、相手を知る努力と時間が不可欠なのだと改めて学びました。
この「人物月旦」シリーズは、私自身のそうした学びや気づきを記録に残す場でもあります。過去を振り返りながら、出会った人々がどのように自分の人生に影響を与え、成長の糧となったのかを見つめ直す試みです。文章を書くことで、過去の出会いに感謝し、また新しい視点を得るきっかけになることを期待しています。
義父についての話を皮切りに、これからどのような人たちの話を書いていくのか、私自身とても楽しみです。もしかすると、この試みを通じて、かつては良い印象を持てなかった人への見方が変わる瞬間があるかもしれません。そんな期待を抱きながら、「人物月旦」を少しずつ積み上げていこうと思います。
義父の言葉(ここから本編)
私の義父、つまり妻の父は、長年自営で不動産業を営んできた人です。その「仕事」について語る言葉は含蓄に富み、簡単には実行できないけれど、心に深く刻まれるものがあります。それは、彼自身が長い人生の中で実践し、失敗し、そして立ち直ってきたからこそ、重みを持つ言葉なのでしょう。
そんな義父が、手術が不可能なステージ4の肺がんであることを告知されてから、早くも2年が経ちました。それでも彼の生き方や考え方が変わることはなく、むしろその姿勢は一層強く、鮮明に感じられるようになりました。病気であっても、彼は自身の哲学を持ち続け、その信念を行動で示し続けています。
義父の人生には大きな挫折がありました。バブル期には会社を清算し、経済的にどん底まで落ち込んだ経験もあったと聞きます。しかし、そこから立ち直り、独自のビジネスモデルを築き上げました。現在の会社は規模こそ大きくありませんが、安定した収入を生み出し、顧客との長い信頼関係に支えられています。それを可能にしたのは、義父が仕事に対して持ち続けた哲学と実践の賜物です。
彼がよく口にする言葉があります。
「商売は、相手に感謝されてお金を儲けるのが一番良いこと。いつも相手の立場に立って考えることが、その近道だよ。」その言葉を聞いたとき、私は義父の仕事への姿勢を改めて考えました。
この言葉は一見すると当たり前のように聞こえます。多くの人が賛成するでしょうし、「自分もそうありたい」と思う内容かもしれません。しかし、これを日々の仕事の中で実践し続けることは容易ではありません。特に、利益や効率が重視されるビジネスの世界では、「相手の立場に立つ」ことを貫くのは大変なことです。それでも義父は、長年にわたりその考えを仕事の基盤としてきました。
義父の仕事ぶりを見ていると、その言葉が単なる理想論ではなく、彼の人生そのものだと分かります。顧客との信頼関係を何十年にもわたって築き上げ、取引を続けてこられたのは、義父が一貫して相手を尊重し、誠実に向き合ってきたからこそでしょう。こうした実績を目の当たりにすると、彼の言葉の重みが一層感じられます。
義父は派手な人ではありません。むしろ控えめで、必要以上に語らないタイプです。しかし、その言葉の端々には長い人生経験から得た知恵と信念が垣間見えます。そして、それらは言葉だけではなく、彼の行動や生き方そのものに表れています。
義父の言葉を聞くたびに考えさせられるのは、「本当に信頼される人間とは何か」という問いです。義父が築き上げた顧客との関係は単なるビジネスの枠を超えたものであり、人生の指針にもなるような深いものがあります。その背景には、彼が信じてやまない「感謝される仕事をする」という信念があり、それを実現するための具体的な行動が積み重ねられているのです。
肺がんという厳しい現実を前にしても、義父は決して悲劇の主人公を演じることはありません。その姿勢の根底にあるのは、「今できることを全力でやる」という彼の哲学です。そして、それが他者に感謝されるものであれば十分だという確信。それこそが彼の強さの源だと感じます。
この義父との時間は、私にとっても大きな学びの場となりました。彼の言葉に耳を傾け、その行動を目の当たりにすることで、「仕事とは何か」「人としてどうあるべきか」を深く考える機会を得ました。義父の教えは決して教科書に書かれているようなものではありませんが、だからこそ心に響きます。
義父の言葉と行動を通して、私も「感謝される仕事」とは何かを模索していきたいと思います。そして、この経験を文章として残すことで、彼の言葉の力が少しでも多くの人に伝わることを願っています。
義父の言葉の力は母親譲り
少し話が逸れますが、義父の母、つまり私の妻の祖母も、心から尊敬する人物の一人です。彼女が存命中、九州の片田舎で農家を営んでいた頃に、妻と二度ほど訪問し、泊まりに行ったことがあります。初めてお会いしたときの印象は今でも鮮明です。83歳を超えていましたが、背筋がぴんと伸び、話し方は毅然としていて、長い人生経験から得た知恵と品格が自然と滲み出ていました。
彼女はただの農家ではありませんでした。政治や経済にも関心があり、時事問題についても幅広い知識を持っていました。その博識さに驚かされたのはもちろんですが、それ以上に印象に残ったのは、彼女の語る内容とその姿勢でした。当時、義理の家族としてまだ浅い立場だった私に対しても、仕事に対する向き合い方を語ってくださいました。その言葉は、義父の話と驚くほど共通点があり、親子の絆と教えの深さを実感させるものでした。
彼女が語った言葉の中で、特に心に残っているのは次の一言です。
「仕事というのは、人に喜んでもらってこそ価値があるもの。誰かのためになって、それが結果として自分に返ってくる。それが一番正しい働き方じゃないか。」
その場ではただ頷くだけでしたが、今振り返ると、義父の人生哲学の根底には、この母からの教えがあったのだと感じます。義父の言葉には、彼自身が実践し続けたことで得た重みがありますが、その根っこにある理念は間違いなく彼女から受け継がれたものです。
彼女との会話は短いものでしたが、その中で交わした言葉の断片は今でも鮮明に心に残っています。彼女の語る言葉そのものだけでなく、言葉を発する佇まいにも感銘を受けました。83歳という年齢にもかかわらず、鋭い観察眼と穏やかさを兼ね備えていて、押し付けるのではなく自然な形で知恵や哲学を伝えてくださいました。その姿勢が私にとって非常に心に響くものでした。
義父を見ていると、時折その祖母の姿が重なることがあります。「感謝される仕事」や「相手の立場に立つ」といった義父の言葉の中には、彼自身の経験と共に、母親から受け継いだものが根付いているように思えるのです。それは私の想像に過ぎないかもしれませんが、義父の人生哲学の源泉には、彼女の教えが息づいていると感じます。
実際、義父が築き上げたものは彼自身の努力と実践の成果です。しかし、その基盤には母親からの価値観が深く根付いているのでしょう。彼女が田舎の農業を営む中で培った信念が義父に受け継がれ、それが義父の仕事や生き方に昇華されていると思うと、とても感慨深い気持ちになります。
義父の母は、亡くなった今でも私の記憶の中で鮮やかに生き続けています。彼女の言葉や佇まいは、私が迷いや壁に直面したとき、立ち戻る指針のような存在です。そして、その教えを体現している義父の姿を目にするたびに、「人は誰かから何かを受け継ぎ、それを次の世代に繋げていく存在なのだ」と改めて感じます。義父の言葉の力、それはまさに母親譲りの遺産なのでしょう。
義父の胆力から自分の悩みの小ささが見える
義父の人生について聞くたびに、その並外れた胆力に驚かされます。私が知る限りだけでも、彼が乗り越えてきた困難は計り知れないものがあります。「波乱万丈」という言葉がこれほどふさわしい人生も珍しいと感じます。そして、その背後には、どれだけの努力や忍耐があったのだろうと想像すると、自然と尊敬の念が湧いてきます。
妻によると、義父は辛い時期でも、その苦労を家族にほとんど語らなかったそうです。特に子どもたちには、金銭的な問題や生活の厳しさを隠し、できるだけ穏やかな日常を与えようとしていたようです。しかし、会社が破綻し、持ち家から賃貸住宅に移らざるを得なくなったとき、妻もようやくその背景にあった事情を理解したと言います。
その頃、義父は妻の母と離婚し、父親として3人の子どもたちを育てながら新たなビジネスを始めました。家庭も仕事も失い、生活基盤が大きく揺らぐ中で、そこから再起するのは並大抵のことではありません。しかし義父はその困難を乗り越え、現在の安定したビジネスを築き上げました。その話を聞くたびに、義父の精神力と決断力の強さにただ感服するばかりです。
義父のような人の話を聞くと、自分の日々の悩みがどれほど小さく見えることか。仕事のストレスや人間関係の些細なトラブル、将来への漠然とした不安――こうしたものが、義父が経験してきた困難に比べると取るに足らないものに思えます。もちろん、悩みの大小を比べるべきではないと分かっていますが、義父の話を聞くと、「これは一時的なものだ」「もっと冷静に対処できる」と考える余裕が生まれるのです。
義父の胆力は、単なる「我慢強さ」ではありません。それは、どんな逆境にあっても前を向き、最善の道を探り、着実に行動し続ける力です。彼は現実を直視しつつ、それに屈せず、常に未来を見据えてきたのだと思います。その姿勢には学ぶべきことがたくさんあります。
私も日々の仕事や生活の中で悩みを抱えることがありますが、義父の生き様を思い出すたびに「自分ももっとできることがあるのではないか」と考えさせられます。義父がどんなに厳しい状況でも一歩ずつ前進し続けたように、私も目の前の課題に全力で取り組み、少しでも前に進んでいくべきだと思います。
義父の話は、ただ「すごい」と感心するだけで終わるものではありません。それは、私自身の生き方を見つめ直し、前向きに変えていくきっかけを与えてくれるものです。義父のように大きな困難に直面することがなかったとしても、彼の胆力や強さを思い起こすことで、小さな悩みに囚われることなく前を向けるようになります。義父がどのように人生を切り開いてきたのか、その姿勢を見習いながら、私も自分なりの道を進んでいきたいと思います。
妻がうろたえたことで実感できたこと
義父ががんの告知を受けたとき、妻は目に見えて動揺していました。それまで冷静な態度を崩さなかった彼女が、不安や戸惑いを隠しきれず、表情や行動にその感情がにじみ出ていました。私は何とか彼女の気持ちを軽くしたい一心で楽観的な言葉をかけましたが、それがかえって彼女を傷つけてしまうこともありました。どんな言葉が適切なのか、慎重に考えながら話していた当時のことは、今でも鮮明に覚えています。
その頃の私は、妻を支えたい一心で、自分に何ができるのかを模索していました。その一環で、大病院のがん相談支援センターに何度か相談に行きました。しかし、相談の内容は義父の治療についてというより、妻の心のケアについてでした。妻が安心できるような適切な言葉をかけてくれる専門家や、同じような経験を共有してくれる人を見つけたいと考えていたのです。
こうした状況では、どうしてもインターネットで「5年生存率」や統計的な情報ばかりに目が行き、不安が増してしまう日々でした。当時の私たちは、がんの経過が個人ごとに大きく異なることを理解する余裕もなく、ただ漠然とした恐怖に囚われていました。今振り返れば、治療の進展や体力、生活環境など、さまざまな要因が絡むことを知っていますが、当時は情報過多の中でその本質をつかむことができませんでした。
そんな中、私の海外の友人の話を思い出しました。彼の母親も義父と同じ肺がんのステージ4と診断されていましたが、告知から8年後も元気に生活を送り、さらにその後も10年以上健在でした。この話を妻に伝えましたが、当時の彼女にはあまり心に響かなかったようです。義父の状況を目の前にして、それを現実的な希望として受け取ることは難しかったのでしょう。
しかし、時間が経ち、義父の病状が安定してきた頃、妻がふとこう言いました。「あのときの話、今なら少し分かる気がする。」義父ががんと向き合いながらも日々を力強く生きている姿を見続けたことで、妻の中に変化が生まれたのだと思います。当時は「希望を持とう」という言葉さえ重荷になりかねないほど、私たちは不安と恐怖で視野を狭めていたのです。
妻の動揺する姿を見ながら、私は何度も自分の無力さを痛感しました。正解の分からない中で、手探りの日々を過ごしていました。それでも、あの時期に妻とともに悩み、動き続けたことが、少しは彼女の支えになったのではないかと今では思います。妻の「今なら分かる」という言葉には、私自身も救われたような気がしました。
義父ががんと共存しながらも前向きに人生を歩んでいる姿を見て、私たちも次第に視点を変えることができるようになりました。がんという病は確かに厳しい現実を伴いますが、その進行や治療の成果は個々人によって大きく異なることを、義父を通して学びました。
あの不安や戸惑いの日々がなければ、今のこの「分かる」という感覚には至れなかったかもしれません。つらい経験ではありましたが、それがあったからこそ、今の義父に対する感謝や尊敬、妻との絆の深まりを実感しています。あの時の自分たちに、「大丈夫だよ」と声をかけてあげたいと心から思います。
強い運気と生命力は自分自身がつくることを実感した。
義父は、驚異的な生命力と運の強さを持った人です。彼がこれまでどのように病気と向き合ってきたかを振り返ると、その事実に改めて驚かされます。1度目の抗がん剤治療で回復し、続く2度目の治療も成功させ、現在もがん細胞を小さいまま維持しているという事実だけでも並大抵のことではありません。一時期、体重が大幅に減少したこともありましたが、今では以前の体重に戻り、安定した体調を保っています。
しかし、義父の試練はそれだけでは終わりませんでした。抗がん剤治療の最中に帯状疱疹を発症し、その影響で左手の爪が剥がれるという大きな障害を負いました。一時は左手が全く使えなくなり、日常生活にも大きな支障をきたしていました。それでも義父は諦めることなくリハビリに励み、現在ではほぼ完全回復に近い状態まで復活しています。
さらに、肺がんの告知の約1年前には心筋梗塞にも見舞われました。夜中、一人で寝ている最中に発症し、意識を失う直前に電話で救急車を呼ぶことができました。病院に運ばれる途中、義父の心臓は5回も停止したそうです。医師からは「通常であれば助からなかった」と言われるほどの重篤な状態でしたが、奇跡的に命を取り留めました。
この心筋梗塞を機に、義父は定期的な検診を受ける習慣を持つようになりました。そしてあるとき、「呼吸がしづらい」という義父の訴えから精密検査が行われ、肺に水が溜まっていることが判明しました。この検査がきっかけで肺がんが発見され、早期治療のスタートとなったのです。振り返れば、この心筋梗塞は義父の命をつなぐ大きな転機だったと言えるでしょう。
こうして見ると、義父の生命力と運の強さは偶然の産物ではなく、彼自身の生き方が生み出しているものだと感じます。義父はどんな困難にも真正面から向き合い、常に「次にどう進むか」を考えています。その前向きな姿勢が、彼の生命力を支え、運を引き寄せているのでしょう。
義父の性格は、楽観的でありながら現実的です。物事を過度に深刻に捉えず、適切な距離感を持ちながら対応する彼のスタイルが、病気への闘志や回復力を引き出しているのだと思います。そのため、私は義父が病気に屈することはないのではないかと、今では強く信じています。
義父の存在は、私自身にも大きな影響を与え続けています。彼が試練を乗り越えていく姿を目にするたびに、「自分ももっと強くなれる」「困難は乗り越えられる」と励まされます。彼を見ていると、生命力や運気は偶然ではなく、自分自身の考え方や行動次第で作り出せるものだと実感します。
これからも義父は、私にとって学びと刺激を与えてくれる存在であり続けるでしょう。彼の生き方を手本にしながら、私も自分自身の人生において強さと前向きさを育んでいきたいと思います。義父の強さは、単なる体力や偶然の運ではなく、彼の性格と姿勢が作り上げたものです。その姿を間近で見られることに、深い感謝の念を抱きます。
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