【フィットネスの沼を上がって】②沼ったキッカケ
こんにちは。管理栄養士のベルです🔔
もう1月も終盤…!
年始に今年or今月の目標を立てた方々、今のところの達成率はいかがでしょうか?
今年に入ってからnoteを始め、1か月あたり最低5本は更新する!という目標を元に頑張っていた私ですが、初月からもう達成できないフラグが立っています。あっれぇ~??
私の中の予定では、さすがに書くのが苦手でも1週間に最低2本は出せるっしょ~!!とりま自分信じてこぉ⤴??ってノリで書いてたんですけど、
一旦全部書き出した文章を要約しながら無駄なところは削って読みやすくまとめていく、いわば“添削作業”が思った以上に時間がかかるのなんの…。
実はすでに書き出しているテーマも4つほどあるんですけど(1個ずつ片付けろよ)、どれも書きっぱなしのままファイルに眠ってます。
というか、寝かせてます。(は?)
最近話題の熟成肉ってあるじゃないですか?
アレと一緒で、文章も1週間くらい放っておくとなんか良くなるらしくて(ならねぇよ)、あえて寝かせてるんですよ~。なんかウチの子、書き主に似て寝るのが好きみたいで~冬眠的な~?(?)
ってことで、今後もnoteへの出荷がちょ~っと遅くなるかもしれないんですけど、
「あ~今きっとファイルの中で冬眠して熟成させてるんだな~」
って感じで待って頂けたら嬉しいです。
さてさて今回は前回に引き続き、
私自身がフィットネスの沼にハマっていった経緯について書いていきます。
前回のnoteはコチラ↓
「自分を変えたい。」
そもそも私がトレーニングを始めたキッカケは、長年抱えてきた体型やメンタルに対しての強いコンプレックスからでした。
両親ともにぽっちゃりだったこともあってか自分自身も小さい頃から太りやすく、陸上競技をしていた時期以外での学生時代の写真は見事にまんまるなものばかり。そんな私の当時のあだ名は『コジマ電機の太陽』。
みんなの前では自分の容姿を自虐で笑いへと昇華していたものの、心の奥底ではいつも悔しさや悲しさに苛まれていました。
今思えば、この強いコンプレックスと現状打破への希望、そして根っからのオタク気質が私のフィットネスへの熱を生み出した根源であり、後々自分を苦しめることになる感情だったと思います。
時は今から5年前。大学卒業後、医療機器メーカーの営業職に就くもドが付くほどのブラック企業で、たった半年で心身に異常をきたして退職。
いくら企業側に過失があったとは言えど、新卒で入った会社を1年も頑張れずに辞めてしまうような私は、やはり今まで感じていた通り『異常にメンタルが弱くて自己マネジメント能力も低い社会不適合者なんだ』という自分自身に対するレッテルがより一層強化されてしまった状態にいました。
そんな精神でフリーター生活をしていた最中、もうそんな自分の体型に、メンタルに、仕事に、人生に嫌気がさして、「とにかく現状の全てを打破したい」「強くなりたい」「心も身体も変えたい」という気持ちが募りに募った結果、パーソナルトレーニングジムへの入会を決断したのでした。
沼の入り口。担当トレーナーは現役ビルダー。
そしてついに始まった私のフィットネス人生。
最初に私がトレーニングを教わることになった担当トレーナーが現役のボディビルの選手であり、これが私がフィットネスの沼へ足を踏み入れる大きなキッカケでした。
管理栄養士である自分よりも圧倒的にボディメイク面の栄養学に精通していたトレーナーとのセッションは、毎回とても濃厚な栄養学の情報交換ができる知的好奇心のくすぐられる場でもあり、コンプレックスまみれの自分が、辛いトレーニングを耐えるたびに心身ともに変わっていく実感を得ることのできる自己肯定感向上の場でもありました。
筋肉だけでなく知的好奇心もバチバチに刺激してくれる担当トレーナーがいたおかげでフィットネスの沼に一気にのめり込んでいった私は、パーソナル開始から1か月経たないうちに、パーソナルとは別で24時間ジムを契約しては黙々と一人でフリーウェイトの練習をするようになり、友人との飲み会は何が何でもタンパク質の確保とノンアルコールを徹底し、セッション中に教わった知識を元にiHarbでのサプリメント課金も開始。もう担当トレーナーもビックリよ。
ちなみに当時は今よりも糖質制限×パーソナルトレーニングのブームの真っ最中。
私も担当トレーナーも含め、まだ業界全体が糖質制限を長期的に行った時に身体の内側で起きるデメリットなどを詳しく理解しておらず、むしろどこのパーソナルでも推奨されていた頃…。
目先の目に見える結果が欲しくてたまらなかったであろう担当トレーナーも私も減量の第一候補はやはり糖質制限。
(今だったら原因も何もかもしっかり分かるのですが、)
当時は自分がなぜその減量方法で上手くいかないのかも良くわからないまま、ただガムシャラに糖質制限の生活をしていました。
それが身体にダメージを与える原因で、後々いろいろな悪影響が出てくることになるとも知らずに…。
トレーニーからトレーナーへ。
こうしてパーソナルトレーニングを始めて1か月たった頃には、もうすっかりフィットネスの虜となり、割と早い段階でトレーニーからトレーナーになることを心に決めてトレーニングに励んでいました。早すぎぃ~。
元はといえば、大学の進路を決める時点では管理栄養士だけでなくトレーナーにも興味があって体育系の大学も受験していた上に、推薦の関係で入学を決めた管理栄養士養成校だった大学も、そもそもはアスリート向けに栄養指導を行うスポーツ栄養学の授業に力を入れていたからという理由で選んでいました。
その為、一度はあきらめたものの、高校時代からずっと心のどこかではスポーツに栄養で携わる仕事がしたいという気持ちがあったからこそ、このタイミングで自身もトレーナー側を目指したことは何も不思議なことではなく、むしろ原点回帰だったなと思います。
パーソナル卒業後は自身のボディメイクの継続と解剖学などの独学をしつつ、パーソナルトレーニングジムが乱立している中で、自分が働きたいと思えるジムを見つけるための情報収集をしていました。
その中で、
知識もある上で何も方法は間違っていないはずなのに
中々糖質制限での減量で結果が出なかったことや、
女性が太くしたくない大腿四頭筋や三頭筋なども
積極的に使うメニューも忠実に行っていたが故、
理想のボディラインから離れてしまったという失敗
を経験したことで、
「こんなに心身ともにコンプレックスの塊で、
尚且つボディメイクでも失敗を経験してきた私だからこそ、より女性の気持ちに寄り添えるトレーナーとして貢献できるのではないか」
という想いに繋がりました。
そんな想いで転職活動をしながらボディメイクを継続し、周りの誰から見ても「痩せたね!」「変ったね!」と言われるレベルで身体が変わり始めた頃。
ようやくご縁に恵まれて、無事パーソナル卒業から1年も経たないうちに女性専門のパーソナルトレーナとしてデビューしていました。
気になったらそれしか見えずに目的と手段が一緒になりがちで、一気にここまで来ちゃう辺り、もうほんとにADHD極まりないオタクって感じ…(笑)
この頃の私は、決してコンプレックスが消えたわけでも、
現段階での身体に満足していたわけでもありませんでしたが、
フィットネスの力を借りはしたけど、結局は自分の力で、
自分の思考と行動によってトレーニングと食事をコントロールして
身体も、心も、仕事も、人生も変えることができたんだ!という自信と、
他者から身体の変化への評価を貰う機会が増えたことで、
こんな自分でも認めてもらえるんだ!という自己肯定感が芽生え始めていました。
確かにフィットネスのおかげで、
身体は引き締まり、
コンプレックスも薄れ、
自己肯定感が身に付き、
日々の生活習慣も健康的になり、
自分のやりたいことを仕事に出来て、
人生を大きく良い方向に変えることが出来た。
このことに変わりはありませんでしたが、
本当のフィットネスの沼は実はここからで、
とても深くて恐ろしいものでした。
次回は、自分自身の身体のと心のことを良く知らずにフィットネスにのめり込むとどうなるか、私を含む多くのダイエッターやトレーニーが陥った病気のことや、フィットネス業界の闇について書いていきます。
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