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『捨てる、その過程』制作過程編

1月に所属(していた)演劇サークルのWS「めくる会」にて発表した『捨てる、その過程』について、最後のまとめです。数か月越しすぎる。

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ちょっと楽しかったので、またインタビュー風
色んな人から感想や質問をもらったので、それに答える風インタビュー

- この作品は、寺山修司の作品を参考にしたんですよね?

緒方:そうとも言えるけど、ちょっと違います。寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう(評論版)』に、「ハイティーン詩集」という、寺山が選出した当時の若者が書いた詩を集めた章があって。そこに掲載されていた『私が娼婦になったら』『百行書きたい』という2編の詩から構想を得ました。「埃より小さな星を食べたい」という言葉の美しさにくらくらして、その詩を声に出して読んでみたんですよ。そしたらなんとその時たまたまiPhoneから流していたHONNEというアーティストの”Day1”とぴったり合わせて読める部分があったんですよね。そこから、その曲に合うように台本を書き始めました。だから実は、メインの元ネタは寺山修司の文章ではありません。寺山の詩の一節を引っ張った部分もあるので、詳しくは参考文献編を読んでみてね。

- なるほど。最初から音楽に合わせる予定は無かったんですね。曲に合わせて書くのって大変ですか?

緒方:うーん、むしろ5分という短い時間の台本だったからか、WSだから何を書いてもいいという気安さなのか、いちばん楽しい劇作でした。5分だと推敲もたくさんできたし。だんだん精度が上がっていく感覚が楽しかったです。自分の脳のキャパ的に5分って良いのかも。演出面でも、音楽×言葉×身体の効果を考えるのは楽しかったです。演劇の中でいろんなことが同時多発的に起こっていればいるほど燃えるんですよね。観客側の時は特に。だから、やりすぎと思うくらい要素を同時に畳みかけたくなるんです。

- 同時多発的だからこそ、すんなり受け入れられた部分もあるかもしれませんね。台本の冒頭から「私が娼婦になったら」という言葉を連発するじゃないですか。すごく衝撃的なんだけど、それが音楽とあいまってソフトに落ちてきて、まるで究極のラブソングにすら聞こえてくる。(※これは後輩が送ってくれた感想。笑)

緒方:確かに、ちょっとドキッとしますよね。でも元の詩の内容はすごく希望的なんです。「16くらいの女の子が娼婦になる未来」を想像して悲しく、重ぐらく、切なくならないわけがないのですが、この少女は恋をしているかのような軽やかさで「私が娼婦になったら悲しみいっぱい背負って来た人には翼をあげよう」と言ってしまいます。「私が娼婦になったら誰にも犯サレナイ少女になろう」「悲しみを乗り越えた慈悲深いマリアになろう」という一節からもわかるように、もしかしたらこの少女にとって身体を売る、ということよりも今までたどってきた人生のほうが辛く苦しいものだったのかもしれません。作者の少女の名前は岡本阿魅さん、と言います。『娼婦』の冒頭の一節「私が娼婦になったらいちばん最初のお客はおかもとたろうだ」これは単に岡本太郎を揶揄した文言なのでしょうか、それとも父、いや兄からの何かしらを暗示しているのかも。家庭にトラウマがあるから娼婦として自分の身体で道を切り開く決意をしたのかなあ、だから晴れ晴れしているのだろうか、なんて深読みをしてみたり。
今回の劇作では、とりあえず「たろう=もう会えないかもしれない、好きだった従兄」と仮定して、最初の文章を「私が娼婦になったらあなたが最初に来てくれる?」と改変し、いじらしい少女感を出してみました。それでいて、最後には「私が娼婦になったらあなたと最初にさようなら」という台詞を入れています。

- なるほど。「最初に来てくれるんなら私を娼婦になんかしないでよ、娼婦になったらあなたのものにはなれないのよ」という女心を感じますね。

緒方:そういう捉え方もありますね。もちろん私にも意図はありますが、演劇は観客ひとりひとりのモノなので解釈は自由です。この2編の詩、そして寺山作品は過激で、なのに綺麗な言葉を随所に入れてくるので好きです。絵具で色づけした泥の中にダイヤ投げ込むみたいな(インタビュアー:それって綺麗なの?)。そこからダイヤだけ取って、他の宝石と合わせて、ちょっぴりセロハンとか安いビーズやラメを混ぜて、台本を完成させました。楽しかった!泥遊び!

- 特に頑張った作業はありますか?

緒方:元ネタの改変作業です。「絶妙改変」と「大幅改変」があるんですけど。「絶妙改変」とは、元ネタの語尾や語順を変えて、絶妙に「わたしみ」を足しつつ、音楽とのバランスを取ることで、この作業が本当に好きです。
例を出すと
「十八と十九のあいだを行ったり来たりしているほうが正しいんじゃないか」(『ノルウェイの森』より)
  ☟
「十八、十九をいったりきたりしながら夢だけを観させてね」
みたいな感じになります。十八、十九は漢字がいいなと思ったのでそこは残してるけど「いったりきたり」は漢字から平仮名にしてますよね。これは、ベケットの「いったりきたり」という戯曲が好きで、オマージュとして平仮名にしてます。「夢だけを観させてね」は、タイマーズ『デイドリーム・ビリーバー』の「ずっと夢を見て いまもみてる」の要素をどうしても入れたかったんです。そして、個人的に演劇=夢でもあると思うから、「観る」の漢字を使ってます。誰にも伝わらないだろうけど、私は私のエモとあなたのエモどちらのためにも台本書いてるので、うん。

- 本当にかすかなこだわりですね。他にもありますか?

緒方:個人的に、好きな2つの短歌を絶妙改変したのは楽しかったです。その詳細はぜひ参考文献編をお読みください。

- なるほど。他に印象に残るセリフはありますか?

緒方:自分の前作の台本から引用したりしたのは楽しかったな。これも自分のエモですね。あとは、これもまた絶妙改変のひとつなんですけど、参考にした『百行書きたい』という詩で、「東京へ行きたい」と「待ちたい」という一節があったんですよ。100行「●●したい」が並べ立てられている中でこの2つは隣り合ってるわけではなかったんですけど、なんとなくこれは「東京へ行きたいけど、待ちたくもある」ってことなんだろうなーと思って、「東京へ行きたい! 嘘、待ちたい」という風に繋げました。

- そういえばこの前「『東京へ行きたい』は『桃(源)郷へ行きたい』だと思う」ってツイートしてましたね。

緒方:恥ずかしいですね。でも、本当にそうだと思ってます。演劇や音楽に限らず、物語、ストーリーの世界って特に、『東京』に夢を持ちすぎじゃない?と思って。上京した主人公が変わるとか。東京に呑まれるとか。東京は何かが変わる場所だと思っている。地方出身者としてこれは、実際の東京は本当にそういう場所だと私は思うんだけど、「東京に行きたい」っていうセリフそれ自体は、なんか桃源郷に行きたいってことと同じ意味に聞こえるんですよ。「なんか変わりたい」と言ってるのと一緒っていうか。「(ポテチ片手に)やせたーい」って言ってるJKみたいなものを感じるっていうか。だから、この男の子、この詩の作者は男の子なんだけど、その子も結局は「待ちたい」わけだから。

- チェーホフ『三人姉妹』の「モスクワへ!」と同じですよね。

緒方:まさにそれです。最初、この公演の煽り文?宣伝文みたいなのを考えてたんですけど、それがこれでした。

モスクワへ行きたい

待ちたい
四人姉妹は恋愛中
幸せ姉妹は恋愛中
花占いも
小鳥を飼うのも
夜風にあたるのも
月を眺めるのも
あなたとの日々に比べれば
どうでもいいよなことなのです
どうでもいいよなことでした

- 寄せてますね。『三人姉妹』に。

緒方:そうですね。元々は『四人姉妹』という短編15分劇を書こうと思っていたので。次女の彼氏がモスクワに留学中の設定でした。「モスクワへ行きたい」って言ったって、結局行かないんですよ。彼氏の心が自分から離れている、という現実に直面したくなくて、日本でただじっと涙を流してる。それと似たものを『東京』にも感じるんです。まあそれだけじゃなくて、『東京に対する日本人の受け身姿勢』っていうのもあるし、『東京に来れば何かが変わる』という意味での桃源郷感もあるから、モスクワほど一筋縄ではいかないんだけどね、東京。わかります?

- なんとなくは。いや、2%くらいしかわかんない。

緒方:そうですか。

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