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文章を創るということ

自分は子供の頃から作文とか、
読書感想文とか自分の考えを
「文章」にするのが大の苦手で、嫌いでした。
「レポートを提出しなさい」と言われても

「レポートって何書きゃいいの?!」状態。

国語の通信簿は2か1。
読解力が足りないと
言われていましたし。
読解力はついたと思いますが

今だに語彙力は無いと思っています。笑

自分でも感じるくらい
「俺、語彙力ねーなー笑」と
思う事もしばしば。

ですが
noteを始めて思いました。

「文章を創るのって楽しい」
「自分の考えを文章にするのってなんか楽しい」


普通のメールとか、仕事で報告書とか凄く億劫で、仕事の報告書は仕事なのでやりますけど
友達のメールとか返信するのが

「あ〜めんどくさ…」

と思い、
今の時代で言えばLINEの既読スルー状態。
昔はよく
「なんでお前はメール返さねーんだよ!!」と
よく友達から言われるくらい文章を考えるのに拒否感を持っていました。
ただただ億劫で面倒なだけだったのか、
「文章を考える」のに抵抗や拒否感を抱いていたのか、わかりませんが。

多分、両方ですね…笑

なんで今になって変わったのか。

自分でもわかりません。
Twitterを始めてから変わり始めた感覚はあるんですが、そもそもの根本がわからない。


妻に言われたことですが


「あんた本当に変わったよね〜」

「どこが?」

「リワーク行くようになってから、とにかく喋るようになったよね。もちろん良い意味でね」

「あ、そう?」

「自分で気づかない?ホント喋るようになった。うるさいくらい。笑」

最後にいつも一言多い…。

自分でもなんとなくは感じていますが、
「そこまで変わったか?」というのが本音です。


話は戻りますが、コミュニケーションが増えた事は、文章を創る上でも大切なのかな、と思いました。

自分の考えを口頭で伝えるのと、
自分の考えを文章にするということは

「言葉」と「文章」の違いだけで

「自分の考えを、思いをアウトプットする」

というアクションは同じように思います。

「学びのアウトプット」だけでは無く、
「今感じている事」
「今思っている事」
「これからの事」など

全てアウトプットする事で
「自己と向き合う」 
だったり
「自己理解」
に繋がっていくのかな、と漠然とですが
思っています。

自分の文章には構成力や語彙力など、駄文で他者と比べれば低いと思っています。
ですが、

それで良いんです。
このような場所があるだけで良いんです。
これから自分の気が向けば勉強するだろうと
思いますし。

今はnoteを綴る事で、自分が
満たされているような感覚もあります。
自分で自分を満たせる事ができれば、
それに越した事はない。
ただ、それだけです。

「もっと多くの人に見てほしい!」や
「もっと沢山のスキが欲しい!」とは
そんなに思っていません。

あ、スキを頂ければ
それはめっちゃ嬉しいですよ。笑

それはそれとして、

「自分で自分の事を理解するために」
「自分で自分の心を満たすために」
「ほんの少しだけ誰かの参考になったり」
「ほんの少しだけ誰かが元気になってくれたり」

全ては自分に還元される。


そう思いながら、継続します。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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