漱石は何を仕掛けたのか?What did Soseki do?

 以前、夏目漱石の『抗夫』という小説について記事を書きました。今回は漱石の『三四郎』について書きます。この小説は、主人公の三四郎が九州から上京して、いろいろな人と出会いながら成長する、いわゆる青春小説であり、『それから』『門』と合わせて前期三部作といわれる作品です。
 一般的にクローズアップされるのは、広田先生の文明批評の「 亡びるね」であり、里見美禰子の思わせぶりな「stray sheep」といったところでしょうか。100年以上も前に書かれた小説なのに、現代の読者にとっても充分面白くて、三四郎のドキドキやワクワクがリアルに伝わってきます。
 10年ほど前に、再読したときに新しい面白さというか、不思議なポイントを発見してから、私はずっとその意味を考えています。私の手元の『漱石全集 第五卷』(岩波書店刊)の「三の九」(331頁)に、そのポイントが出てきます。野々宮君が妹のお見舞いで病院に行くことになり(下女は臆病で怖がりなので)留守番として三四郎が泊まります。その夜、事件が起こります。事件というよりも事故です。
 「三四郎は、石火の如く、先刻の嘆声と今の列車の響きとを、一種の因果で結び付けた。さうして、ぎくんと飛び上がつた。其因果は恐るべきものである。」事故は、轢死でした。「汽車は右の肩から乳の下を腰の上迄見事に引き千切って、斜掛の胴を置き去りにして行つたのである。」若い女が汽車に轢かれて死んだのです。「顔は無創である。」という表現が意味深です。
漱石は三四郎に若い女の轢死体を、わざわざ見せています。「生」があふれる青春小説の中に、ぽつんと「死」を置いています。その小説的な効果は如何ほどなのでしょうか。少なくとも漱石好きの私は『三四郎』を何度も読んでいますが、10年ほど前まで、この描写を読んでいながら、特に何も感じませんでした。
 今この記事を読んでいるあなたが、過去に『三四郎』を読んだことがある人だとして、あなたは「三の九」(留守番の夜の轢死)を覚えていますか。たぶん「そんな事故あった?」だと思います。読者は私も含めて、100年前の読者も含めて「そんな事件あった?」というのが正直な感想でしょう。
 漱石は100年前も今も文豪という名にふさわしい大作家です。読者に印象を残さないような場面を書くでしょうか。実際に書いているとすれば、その意味は何でしょうか。私は以下のような仮説を漠然と考えています。
 漱石は読後に印象を残さないように(印象的な)シーンを書いた。つまり読者には「轢死体」を覚えていて欲しくない。読者に「死」を記憶させないように、漱石は「死」を書いた。そう書く必要があった。それは読者の意識下(無意識)のレベルに「死」を刷り込ませるために。そしてそれは成功している。なぜなら私たち読者は100年以上も『三四郎』を読むたびに、この小説が一冊の青春小説であることを認めつつも、「それだけではない」という、すっきりしない曖昧な気持ちを抱えてしまう。それこそが小説的奥行きであり、「『生』だけではないかもしれない」という読後感でもある。そのくせ読者は、若い女の轢死体は忘れて、美禰子の呟く「stray sheep」ばかりをいつまでも覚えている。それこそが漱石が仕掛けたサブリミナル効果だ。
 ……というような仮説なのですが、あなたはどのように考えますか。これを読んだあなたが『三四郎』を再読したくなったら、私は嬉しいです。

追伸

 前回『抗夫』について書き、今回『三四郎』について書きました。その繋がりは、私の手元の『漱石全集 第五卷』(岩波書店刊)に『坑夫』と『三四郎』が収められているから、というのも大きな理由でした。今回、もちろん『三四郎』も再読しました。再読して轢死体に「ぎくんと飛び上がつた」私です。でもやはり、というか、今回も印象に残ったのはそれではなくて、広田先生の日本文明批判の方でした。「広田先生、それって100年後でも21世紀でも、困ったことに先生の言う通りなんです。それから広田先生、富士山は世界遺産になりましたよ」。本当に漱石の仕掛けには答えが見つかりません。だから私は漱石が好きなんですが。


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