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生きる力と勉強する理由

過去に何度か悩んだことありませんか?

どうして勉強しなきゃいけないの?

数学が何の役に立つんだ?

英語なんて使わないのにどうして覚えなきゃいけないんだろう?

勉強をする理由。

それは、勉強自体が人間になるための頭の体操だからです。

そして、教育とは、簡単に言えば人生を楽しむことが出来る力を育てること。

他の理由は全てオマケです。

そう言えば、2006年の漢字は、いじめによる自殺、虐待など痛ましい事件も相次いだことから「命」でしたね。

2006年は、「命」に笑い、「命」に泣き、「命」に不安を覚えた年でした。

ひとつしかない命の重み、大切さを痛感した年。

では、我々は、この「命」の漢字の持つ奥深い意味を認識して、どう役立てていけばいいのか?

そこに見え隠れするモノは、「生きる力」が足りないのではないかという疑問です。

しかし「生きる力」と言っても、どうもピンとこないかもしれませんね。

そこで「生き抜く力」と言ってみると少しは分かりやすいでしょう。

つまり、世界のどこにいても生き抜くことができる力のことを「生きる力」と言うんですね。

日本は、今まで海と言葉に守られて来ました。

ですが、これからは、もう、海も、言葉も、守ってはくれません。

仕事と同じように、時代が進むとともに距離の壁も言葉の壁もなくなる(ボーダーレスになる)からです。

そんな時に、一体何が自分を守ってくれるのでしょうか?

はっきり言えば、それは自分しかいません。

今も、昔も、自分を守るのは自分しかいないんです。

いつまでも親がいるわけではありません。

いつも隣に親友がいてくれるわけではありません。

いつでも、どこでも、一緒にいるのは自分だけなんです。

では、どうしたら自分で自分を守れるのでしょう。

何が力になるのでしょう。

それは、「自分を信じる力」があるかどうかにかかっています。

自分を信じることを”自信”と言います。

では、自分に自信があるとはどういうことでしょう。

自信があるとは、色んな価値観の中でも自分の価値観を見失わずに生きていけるということです。

誰に何と言われても自分の判断を信じて生きていけるということです。

自分が作り出した価値観・判断基準を持てる力のことを「生きる力」と呼ぶのだと思います。

そして、この力をつけるには、どうしても「考える力」が必要になります。

だから人は勉強するんです。

色んな考え方が出来るように勉強するんです。

ここで、自分への戒めも含めて、間違ってはいけない点。

頭は、へんてこりんな計算をするためにあるのではありません。

頭は、自分の判断基準を作るためにあるのです。

そして、これがあると人生は、一気に楽しくなります。

だから「生きる力」=「人生を楽しむことが出来る力」となるのだと思います。

つまり、教育が人生を楽しむことが出来る力を育てることと言える理由かもしれません。

言い換えると、自分の価値観を信じて生きろということです。

これが、今日のポイントです。

「教育とは何か」と聞かれて、困った顔をする保護者や教師がいるそうです。

それでは教育される方はたまったもんじゃないよね(^^;

「とにかくやれ」では通らない。

12歳を過ぎると頭は大人と同じなんです。

大人と同じ理屈で考えることが出来るんです。

だから、誤魔化してはいけない。

大人のいい加減な言葉に子供達も誤魔化されてはいけない。

前述の教育とは、人生を楽しむことが出来る力を付けてあげること。

言い換えると、本当にやりたいことを見つけ出すことが出来る力を付けてあげること。

それが教育であると理解できます。

子供達は、自分が本当にやりたいことを見つけるために勉強している。

大人達も同様ですよね(^^)

だから、勉強は自分のために、一生懸命にしなければ自分が損をする。

「本当にしたいこと」を見つける。

でも、実はコレが大変なことなんだよね(^^;

残念ながら、一生かかっても見つけられない人だってたくさんいる。

ただし、見つけさえすれば人生が一気に楽しくなる。

苦労が苦労でなくなる。

「本当にしたいこと」を見つけた瞬間から全てのことが、そのことを中心に回り始める。

他のことは関係なくなるし気にならなくなる。

恋愛と同じかもね。

本当に好きな人が分かれば、他の人はどうでもよくなって、目に入らなくなるのと同じかな。

でも、ここで注意して欲しいことがあります。

「好きな人ができた」と「好きな人が分かった」では全く違うということ。

どうして自分があの人を好きなのかがハッキリ分かったという瞬間がありませんでしたか?

この瞬間があると、人は、その人を一生好きでいられるって思わない?(^^)

話を戻すと、よい教育は、よい財産になります。

人間は、学校でだけでなく。

社会の中でも。

家庭の中でも。

人やモノや自然や全ての関わり合いの中でいろんなことを学んでいます。

その経験や体験で得られた知恵や知識は、決して減ることのない素晴らしい財産になります。

しかし、間違ってはいけない。

学歴が財産なのではなく、教育が財産なのです。

なぜなら、教育とは人生を楽しむこと。

本当にやりたいことを見つけ出すことが出来る力を付けてあげることだからです。

人類が築き上げてきた財産。

それは、人生を楽しむ力です。

親を含めて教育する側の人間は、この人類の財産を子ども達に伝えていくことが一つの役目なんだと思います。

人生を楽しむ力を持たない人は、失礼な言い方かもしれないけど、成人していないのかもしれません。

未発達な状態で生きてしまっている(^^;

やろうと思えばたいていのことは出来る。

ただ、本当にやろうと思うには、自分のやりたいことが本当に分かっていることが必要になります。

ところが、それを見つけるのが難しい。

だって世の中には見たこともない世界がいっぱいある。

見なきゃ自分がどう反応するかも分からない。

だから、まずは学校で色んな世界を見てみるわけです。

もちろん全てを見れるわけではないけどね。

それでも、数学の世界、国語の世界、英語の世界、美術の世界など色々あるのを知ることは意義のあることだよね。

科目ってのは、色んな世界への入口なんです。

つまり、学校ってのは、色んな世界を覗き見しながら頭と体の体操をするところ。

特に、中学までの学習内容は運動で言うと、本番前の準備体操と同じかな?

誰にでも出来て誰にでも必要なもの。

キチンとやらないと怪我をする。

そして、準備体操を、十分にしないと実力は発揮できないもんね!

つまり、今、そう言った意味において。

キチンと教育を受けさせないと本当に好きなことは見つけられないって事です。

中学までの勉強に分からないなんてのはない。

絶対に分かる。

難しくて分からない問題なんて一つもない。

もしもあったら、それは勉強方法が間違ってるってこと。

だから、勉強で行き詰まったら。

中学校の時に勉強した英語や数学の内容をもう一度紐解いてみると、頭の体操になって新鮮ですよ(^^)/

超楽観主義的に考えれば。

人生ってねぇ。

好きなことばかりやって暮らせるんだよ、やろうと思えばね(爆)

みんなもそうだよ(^^)

誰でも出来る。

ただし、それには、自分が作った自分だけの判断基準を持ってなくちゃあダメなんだ。

だから勉強って大事なんだよってこと。

自分だけの判断基準を作るには考える力がいるからね。

じゃぁ自分の判断基準をもたないとどうなるか?

例えば、テレビゲームで「ここで1回ボタンを押す」「ここで3回ボタンを押す」「ここで右に曲がる」「ここでジャンプする」と全てのことを隣の人が言う通りにゲームをしなくてはいけないとしたら、どうでしょう。

楽しいと思う?

楽しいわけがない!

でも、自分の判断基準を持っていないってのは、こういうことと一緒なんだよね。

自分で決める力がないってのはこんなにつまらないものなんだよ。

しかも、やってるのはゲームじゃなくて人生そのもの。

もしも、自分の判断基準を作ることが出来なければ。

自分の人生を他人の判断で生きていくことになる。

さっきのテレビゲームみたいになる。

こんなにつまらないことはない(^^;

私達は、好むと好まざるとに関わらず。

すでに自分たち一人一人の人生を始めていて。

しようがしまいが。

できようができまいが。

もう、自分の人生はスタートを開始している。

そのことを十分自覚していかないと、あっというまに終了しちゃうよ!

だから、なにをするにしても、どうするかは自分で決めなくてはいけない。

その時には自信と責任を持って決めて欲しいと思います。

なぜなら、自分の人生、その決断を他任せにしていいわけがないよね。

すすむべき道は、自分の希望と責任でするこれが大事。

その覚悟がなく、進みたくない人は歩いてはいけない。

じっくり休むことも大切です(^^)

進むべき道だと思うのなら、それだけの努力をしなければいけない。

努力もしないで何かを得ようとすることは、働かないのに給料をくれと言っていることと同じですね(爆)

生き抜く力を回復させるために。

試しに、もう一度、中学の勉強をやり直してみませんか?

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